はっきょう―【発狂】
気が狂うこと。精神が異常になること。
熱毒が胃にありながら、心に入って神を昏迷させ、言語と行動が急速して妄言・妄笑し、高い所へ昇って歌を唄い、着物を脱ぎ捨て、逃げ去り塀を飛び越え、食べもせず寝もせず、わめきまわる症。
発狂とは精神状態が常軌を逸する事であり、統合失調症だけを指して言う言葉ではありません。例えばヒステリー状態でもそれに等しい状態になることはありますし、重度の不安神経症や人格障害をその様な状態と言えるケースもあります。
ですので、「何病」と決め付ける事は出来ません。精神病及び神経症のうち、対外的に激しい症状が出る事を一般的に「発狂する」と言います。
また、精神的に非常に強い衝撃を受け、それが個人のキャパシティを超してしまうと病気で無くとも精神に破綻をきたしてしまう事もあり、それも同じ様に発狂状態と言えます。
即ち「発狂」とは病名ではなく「状態」と言えるでしょう。
なるほど。多分に情緒的、感覚的な表現であって医学的なものではないのですね。
統合失調症でなくても、感染症でも症状はみられます。
(質問が二つあると思いますが、解答は一つだけですのでポイントいりません)。
な、なるほど。
医学的な所見として、医師が発狂という言葉を使うことはないと思います。
出展や根拠を求めるなら、文学・漢文の分野になるはずです。
また「狂」の細かな分類を始めたのは西洋医学ですが、それら狂疾が細かく分類整理されはじめたのは100年前、また精神病と神経症の中間症例とされてきた症例の正確な分類が試みられるになってきたのは40年ほど前からであり、それは現在も仮説の領域を出ないものです。
よって、発狂という言葉が、現在の精神医学領域の特定の一疾病を指すとは考えにくいです。
ちなみに昔の中国では、癲・癇・狂という三つの言葉がありましたが、それぞれ今で言う
脳神経科、小児科、精神科の領域にほぼ対応する語です。
なるほど。詳しいですね。まあ、ドクターが「発狂してます」とか言うともかんがえにくい、、
Chinese ancient fable
第12章
【狩を好んで獲物を追うことに熱中すれば、人の心の平衡を失う。】(馳騁畋猟、令人心発狂。)
ten_12
【狩りを好んで獲物をとることに夢中になれば、人は正常心を失う。】(馳騁畋猟、令人心発狂。)
「心の平衡」、「正常心」を失うこと。
老子・第十二章→
【馳騁畋猟(チテイデンリョウ)は、人の心を発狂せしむ。】(馳騁畋猟、令人心発狂。)
五臓
b. 精神意識、思考を主る
【人の精神意識や思考は、大脳中枢神経の機能の働きによっている。人のこのような働きは心との関係が最も密接である。人体の心の生理機能が正常で、臓腑、気血が充足していれば、人の精神状態、思考も明晰である。
これに反して心の病変が生ずると、いらいら、もだえ、不安、動悸、不眠、多夢などが出現し、ひどい場合は昏睡などの意識障害や意識喪失、あるいは痴呆、発狂などの精神異常の症状が現れる。】
心の病変。いらいら、もだえ、不安、動悸……などの果て。
AURORAL -1-
【気が狂うのは月の影響だと考えられており、精神異常も月の満ち欠けによるものとされていました。古代、月が発する霊気を受ければ発狂するという信仰があり、月は狂気の源だと信じられていました。
ブラジルでは新生児を月光から隠して狂気から守るといいます。これに似た慣習は世界各地で見られます。日本でも月を見るな、という禁忌がありますが、『竹取物語』や『源氏物語』、『更級日記』でも月を見る事をタブーとしています。こうした民俗は今でも日本の各地に残っています。】
0151night
19870223-4
【今日眠っている時、夢の中で色々考え感じている自分を観ている「彼」がいた。「彼」はこんな訳の分からない事ばかり考え感じていたら気が狂うに違いないと思った。目が覚めてからもそう感じて恐怖した。しかし肯定的に考えればそのようなことまで意識できるようになったということだ。まさに否定的な思考法こそが発狂への道を切り開くのだ。発狂とは現実という世界観の共通項の部分と、夢や個人的精神世界とのバランス感覚がなくなり、混乱したまま迷い、帰り道を見失った状態のことだ。まさに夢も現実も一つなのだ。】
「現実という世界観の共通項の部分と、夢や個人的精神世界とのバランス感覚がなくなり、混乱したまま迷い、帰り道を見失った状態のこと」。
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安直、安易、短絡的思想
【私的幻想のほとんどを共同化し得なかった者が、精神病者である。
彼の私的幻想は、彼一人の自閉的世界の中で増殖し、一応順応してる偽りの外面を、ついに突き破り踊りでてくる。それが発狂である。
発狂とは、私的幻想の、失敗した共同化の試みである。】
精神分析学(岸田秀さん)。
気が狂うこと
【自分の所有物を失う不安の先に、自分自身を失う恐怖があるとすれば、その恐怖の最果てに見えているもの、つまり最悪の事態として想定されるのは死の他にもうひとつ、「狂」でしょうか。つまり気が触れることの恐怖。】
【自分が未知の自分になってしまうという不安は「発狂」以外にたとえば「変身」「憑依」の不安として表現されることもあり、いずれもホラーというジャンルには馴染みの深い言葉です。内部を奪われるのではなく、外に向かって自分が増殖するドッペルゲンガーという主題も同様。自分に制御できない自分の出現という意味で、これらはすべて「発狂」の主題として括ることが可能でしょう。】
「自分に制御できない自分」が出現すること。
物狂い(ものぐるひ)の状態になる、要するに、精神が制御できな(out of control)くなるに至ったこと全般を指すようです。
「国文学の成立」雑感
【結論から言ってしまえば、日本文学は「かみごと」(神語)の律文から発達し、「次第に目的を展開して、偶然、文学の規範に入って来たに過ぎない」ということらしい。「まれびと」の「まれ」とは、稀少という意味ではなく、そもそもは「唯一の」という意味が強く、「まれびと」というのは神のことであったとか、「恋ふ」のそもそもの語源は魂を乞うであったとか、「うた」は呪言の歌謡化したものであったとか、「踊る」は本来跳ぶ動作で「舞う」は回る動作であり、激しく舞う動作を「狂う」と呼び、その動作が先にあって狂うという意味が付け加わったとか、いろいろ日本語の語源に関する記述を興味深く読んだが、要するにすべて信仰に起源を持つということである。】
「激しく舞う動作を『狂う』」。「熱狂」、「狂喜」、「酔狂」、「狂言」、「死に物狂い」、「猛り狂う」という言葉もありますね。
参考:
信長FAQ64
3. 「数寄は何かあると御尋ね候」と「この世は夢ぞただ狂へ」
【狂(くるひ)は、狂ふ(くるふ)の名詞形です。古語としての意味は、・廻る。〜原意、「くるくる」が活用したものとされています。
・精神が乱れる。気がちがう。
・神かかりする。物怪が取り付く。
・常識が乱れる。常軌を逸する。
・くるくると動き廻る。
・正しく合わない。ぐれる。
などの意味で使われています。ご質問の「おくるひ」は、「常識が乱れる。常軌を逸する」の意味で使われていると思います。用例は、古くは、万葉集、六国史、大鏡などにも見られます。戦国の戦記物に用例があるかどうかは存じませんが、近世、江戸期にも用例が見られますから、あるいは、使われたかも知れませんね。】
「狂ひ」とは?
【能では「狂ひ」の心持になった人間あるいはその亡霊がしばしば登場します。この「狂ひ」を現代語の狂い、すなわち英語のcrazyの意味にとると、少々誤解が生じてしまいます。「狂ひ」とは精神が高ぶった結果、心ここにあらずとなった状態のことを指すのです。】
【また、古い能の演目では、「狂ひ候へ」と女に促すセリフが出てきたりしますが、これは「狂ふ」が「舞ふ」とほぼ同義に使われているということなのです。これから「狂ふ」という状態が「舞ふ」と同様、心的にプリミティヴな状態であることが分かります。】
【観阿弥は「狂ひ」を”憑き物”とその”祓い”いう側面から描き出しましたが、世阿弥はそれをさらに昇華させて、人間の内面的葛藤という状態へ普遍化させました。観阿弥の仏教的な側面と世阿弥の内的心情という概念は、現在の能の「狂ひ」の基盤となっています。】
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3) 鎌倉・室町時代
【この時代に形成された謡曲に「狂女物」がいくつかあり、「狂」というものに対する意識を垣間見ることができよう。ここでは「百萬」、「三井寺」、「隅田川」、「班女」をとりあげたい。あらすじは岡田靖雄『日本精神科医療史』から引用した。】
「ルナティック、静謐なる狂気」
月岡芳年『月百姿』展
【月岡芳年というと、あの凄惨な血みどろ絵、怪奇で残忍な浮世絵を思い浮かべることが多い。】
【必ずといっていいほど、画面のどこかに月が描かれる。時に糸のようにか細く、時に朧な望月になり、いずれも画中の人物・事件の物言わぬ目撃者となっている。しかしながら、大方の絵に共通するのは、まずもって、月がもたらす「ものぐるひ」である。ルナティックである。その静かな狂気は、彼の盛年に描かれた凄惨な血みどろ絵とは対照的ではあるが、これはこれで、やはり芳年なのだと思わせる凄みがある。】
ものぐるひの記
物狂いの観点から見た自己史
今週のコラム: 「狂」
【狂という言葉は現代ではあまり良い意味には使われないが、かっての日本では現代と異なる意味があった。狂歌、狂言、酔狂・・等々。かっての日本人は「もの狂い」するところがあった。】
【松下幸之助氏は商売に狂い、本田宗一郎氏は技術開発に狂い、湯川秀樹博士は独創理論に狂った。狂わなければどうしてあのような「超人的な業績」を遺し得たのであろうか。】
【狂とは最も高度で、純粋な精神状態であり、今の日本人はこの「狂の心」を忘れている。】
今週のコラム: 「三島由紀夫の行動と思考」
【日本武士道の教則と言われる「葉隠」は、如何に工夫すれば思考が停止するのかを教えたものでもある。その内容は武士道とは死ぬことと見つけたりという雑念を取り去ったところに発現する「純粋行動の美学」である。日本の歴史風土が生んだ「狂の時空間」である。狂とは現代の語感がもつ否定的な意味ではなく、本来は酔狂、狂言のように純粋精神の「もの狂い」を意味する肯定的な言葉である。ある種の集中心の昇華である。このもの狂いを体現化した武士道こそは世界の人々が日本民族に抱いた唯一の畏敬の念であった。】
http://kan-chan.stbbs.net/word/pc/kichigai.html
きちがい 誰もがきちがいになり得る
きちがい 誰もがきちがいになり得る
「馬鹿」が良くて「きちがい」は駄目?
【「きちがい」の使われ方と「馬鹿」の使われ方は、比較的似通っている。前者は正気を失った状態、後者は愚かな行動をしている状態、と意味は異なるものの、どちらも、いわゆる「頭がおかしい」状態を表す語である。俗には精神病患者や知的障害者のことを「きちがい」「馬鹿」と呼ぶ事もあるものの、用例の多くはむしろ、そうでない人々に対してよく見られる。マニアのことを「きちがい」「馬鹿」(例えば「釣りきちがい(釣りキチ)」と「釣りバカ」)と呼ぶのも共通している。】
・平常心を失う――きちがい(気違い・気狂い)・狂気・狂気の沙汰・正気の沙汰でない……発狂する……
・平常心を失った人――狂人・狂者・パラノイド
・熱狂的な趣味者――愛好家・ファン・フリーク・マニア……
・英語――crazy, mad, insane, lunacy, lunatic
圧倒されました。脱帽です。あのう、あなたにこれだけ答えてもらえるような質問を考えたいと思います(本末転倒
質問の意図を把握されておられないような、、