まずは「道徳」の崩壊についての論文です。
ニーチェはキリスト教的ルサンチマンを、反感や憎悪をそのまま愛と同情にひっくり返すことによって復讐を行う独特な装置とみていた。
http://www1.ocn.ne.jp/~masaki-o/master.html
Nihilismus und Religion von Nietzsche
平成11年度東京学芸大学修士論文。ニーチェの同情の否定についての記述があります。
http://www.hatena.ne.jp/1070344337#
ニーチェに詳しい方、答えて下さい。ルサンチマンによる同情とは別の同情。これはある種の自己防衛が潜んでいると言われていますが、どういうことですかね。もし同情をした.. - 人力検索はてな
困っている人を前にして救えない無力さを誤魔化すために同情という防衛本能が働く。困窮は自身にも起こりうるのであるから、その恐怖から眼をそらすためにも同情という防衛機制は駆動する。また心理的危機的を喚起させた人物に対する復讐でもある。
簡にして要を得た質問ありがとうございます。ですが、今一その理由というものが掴めないでいます。
1.無力さを誤魔化す為の同情は何故、防衛と言えるのか? 自分自身に起こり得る“嫌な”事態から眼を逸らすのに何故役立つといえるのか?
>また心理的危機的を喚起させた人物に対する復讐でもある。
というのは、キリスト教的な同情と解してよいですかね?
引き続き回答を受け付けます。何重投稿でもOKですので。
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強健さを称える彼とっては、無力さは耐えがたかったのではないかと推察します。
>>また心理的危機的を喚起させた人物に対する復讐でもある。
>というのは、キリスト教的な同情と解してよいですかね?
そう解釈していいとおもいます。だから安易な同情を戒めたのではないかと。底抜けに優しく復讐意志に満ちていたであろう、彼自身の戒律だったのではないかと。
ふーむ。
助けられないという事実を誤魔化す為に同情して助けたふりになっているということですよね。違ってたら、指摘して下さい。
そして、何故それを禁止したのかと言うと、1番のURLにあるように、淘汰や人間の多様性の妨げになるから、ということでしょうか。
――で、ツァラトゥストラは一般人なら同情するところで、羞恥して顔を背けましたが、それはどういうことですかね。
ありがとうございます。