これが求めている回答かは分かりませんが
このような記述がありました。
人様の日記ですが(^^;
徳川家康が「一に辛抱二に我慢、三、四が無くて五に忍耐」という言葉を残したという記述がありました。(7/6のところです)
さらに調べたのですが、これを裏付ける情報は全く見あたらなかったので、あまり信頼できないと思いますが(笑)
ここからは勝手な想像ですが、「一に○○、二に○○」が「一も二もない」という慣用句とミックスされて、語呂の良さも相まってこのような言葉が定着したのではないでしょうか。
回答ありがとうございます。
7/6のとこですね。「有名な遺訓」とありますが私は知りませんでした。
私も検索してみましたが裏付ける情報は見つかりませんでした…。
というか、
http://mobile.city.okazaki.aichi.jp/auto/www.city.okazaki.ai...
とかを見る限り、意味的には遺訓としてそのような言葉を残してるみたいですから、日記の筆者が解釈して言い換えただけの可能性もありますね。
勝手な想像のほうは、考えの一つとして「なるほど」と思わなくもないですが、
起源はともかくとして、自然発生し定着した言葉なんでしょうか…?
個人的には、例えば有名人の発言が元であるとか、
歌舞伎やら落語やらに起源があるとか、
何らかの原因があって定着したのではないかと予想したのですよ。
とりあえず、続いて情報を募集です。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n02-1.htm#203
クイズ日本史 飛鳥〜平安時代1
こちらの回答203番をご覧ください。
『僧侶道鏡は、引退していた孝謙上皇の病気の治療を行い、彼女に気に入られたということです。詳しい史実は分かりません。しかし、正式な配偶者のいない女帝と怪しげな僧侶という話は、いろいろな連想を生み、江戸時代には、「一に道鏡、二に自分、三四がなくて、五にお馬」という郭話(くるわばなし)も生まれました。(意味はご想像に任せます・・・)』
ということです。これが、最初だったのはどうかはわかりませんが、江戸時代に広まったのではないでしょうか・・
回答ありがとうございます。
なるほど。これによると、既に江戸時代にはある言い回しだったんですねぇ…。
予想より大分昔です。(笑)
確かに最初かどうかまではわかりませんが、参考になります。
江戸時代(あるいはそれ以前)の文献とかにこの言い回しがあったりすれば良いんですけど……。
回答ありがとうございます。
これは、歴史的にこの時代から言われていたのではなく、
作家の井上ひさし氏が、「一に吉良、二に上杉、三、四、が無くて五に田村」と述べたということですよね、多分。
(違うのかな…?)
これが元になってこの言い回しが広がったとは考えがたいです。
厳密に最初が誰かではなく、何が原因で広まった言い回しなのか位の情報で結構です。