私は、両親の離婚が1回目の転機でした。まだ学生だった私は、自分でアルバイトで学費を稼いで卒業しました。第2の転機は、両親が残した借金でした。卒業したばかりの私にとっては当時としては、大きな額で、どうしようか途方にくれていましたが、昼も夜も休み無く働き少しづつ返済しました。第3の転機は、かけもちしていたバイト先での出会いでした。よく会う取引先の人に、私の働き振ぶりを認めてもらい、引き抜きいてもらいました。今では年の割りには、いい待遇で役職も頂き、仕事は毎日忙しいですが、それまでの人生に比べれば全く苦ではありません。苦労したからこそ今があると思っています。
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やはり結婚と出産でしょうか?私の場合、まだ2回しか転機がありません。
ただ人生がこの2つの出会いで大きく変わりました。結婚によって生活が安定して人生を共に出来る人が見つかり、子供が出来て家族が出来てかなり独身のときより幸せです。独身のころはお金もそこそこあり自由がありそれで良かったのですが今はお金こそありませんが充実した毎日です。あと1回の転機が訪れることを夢見ています。
解答がずれていたらごめんなさいね!
いいえ、全然ずれていません。もともと個人的な質問なのでいろんな回答があると思っています。
貴重なお話をありがとうございます。
私は父が死んだときです。
子供のころから父とはあまり仲が良くなかったのですが、私が結婚してから仲良くなりました。子供が結婚したりすると親は子供に対しての見方が変わるのと、親自身が年をとったことを実感したりするのが原因だと思います。そして結果的に子供側からも親との接し方が変わってきました。これも大きな転機かもしれませんね。
数年後、父が急に入院することになりました。親は離婚していて子供は私一人。私は子連れのバツイチの女性と結婚していたのですが、そのときに母親は仕事で海外に行っていました。
結果的に仕事も辞めざる終えなくなりました。元々、海外に行くこと自身は賛成できなかったですし、父もかなり文句が言いたかったようですが、直接は言えなかったのです。正確だと思います。ただ、愚痴も多くなり、また親戚等にもいろいろ言われたりしてストレスも多かったと思います。結果的に父は胃がんで亡くなったのですが、これらのストレスも病気になる大きな原因だったと思いますし、この件で妻は許せない気もするのですが、この件で私は色々な事への意欲がなくなってしまいました。
今現在、新しい仕事を見つけてがんばっていくしかないと思いますが、なかなか大変なのが現状ですね。
少し内容が違っているかもしれません。変な話で申し訳ありません。
貴重なお話ありがとうございます。
こちらこそプライベートな質問をしてしまってすみません。
高校まで野球部。地方大会はベスト8止まり、甲子園目指して野球漬けの毎日でした。早稲田に入って神宮の杜で活躍!と夢見ていましたが肩を壊して断念。暫くは燃焼し尽くしたような生活。
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伊藤塾 - 法律の資格・公務員試験の受験指導校
なにを思ったのか弁護士を目指す。睡眠以外はほとんど勉強、しかし予定通り合格せず諦める。受かった人と諦めた人の人生は180度違いますね。
誘われて知り合いの会社に転職しました!ところがヤミ金融が毎日来るようになり半年で倒産。誘われてホイホイと行ったのが間違いだった。う〜ん。転機といえば挫折ばかりです。しかしまだ懲りずに夢見ています。
貴重なお話ありがとうございます。
http://www.geocities.jp/kayokennichi/
kayokennichiのホームページです。
転職を30回もしまして、現在59才。28才までは野心が強かったですね。交通事故の調査をしたころから人間が変わりました。運命と、言うことに気がついたからです。明確な転機の最初は32才の頃。某社にスカウトみたいなことで入社し損害調査課長。自動車保険の人身事故の調査・示談を専門に行いました。ここは運命の塊でしたね。加害者・被害者の存在。死亡事故の遺族との金銭での示談交渉。1級の後遺障害、寝たきり。
どうして、世の中は加害者と被害者に分かれるんだろうと真剣に考えました。保険会社としての支払いの制約もありまして、相手に同情するなと自分に言い聞かせた時期です。この会社、クビ同然に退職。私は、役員に迎合するタイプではなかったからです。しかし、突然、言われてショックでしたね。会社に貢献していたとの自負・自信がありましたから。でも、今考えるとよかったと思ってます。こんな仕事を続けていると、ろくな死に方をしないな・・そう、何度も思いましたから。金と命。この二つを同時に扱うのは厳しい。凡人の私には。
それから、今は人事調査員として活動してます。ずうっとサラリーマンですね。来年は定年。
転機の時期だと思いますが、もう、人生の転機の回数は忘れました。
以前から小説を書いてます。Web上で300円で販売する企画ですが、今は途中の前の段階の入り口付近(??)。
これが立ち上がると、人生の大転機になるんですが・・・。
どんな転機も、良いエネルギーにしたいものです。誤字脱字がありましたら申し訳ありません。
貴重なお話ありがとうございます。
marblog.net
まだ25歳なのに人生の転機と言えるほどのもんでもないですが、メル友で知り合った今の嫁さんと出会って、今まで住んでた大阪を離れたことと、インターネットを通じていろんな人と知り合って視野が広がったということです。元からそんなに社交的な人間ではなかったので、もし今でもパソコンを持ってなければ、つまんない生活だったかも知れません。
ちなみにホームページ制作の趣味が高じて、これを実社会で生かしたいので、現在web関連の会社に転職しようと活動中です。
貴重なお話ありがとうございます。
http://www.hatena.ne.jp/1078100926#
人生には大きな転機が3回あるとよく聞きますが、皆さんは今までに何回転機があってどんな転機か、その度にどのように生活や価値観が変わっていきましたか?さしつかえなけ.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。すみません。
一回目は、10代の終わりにストレスによる病気にかかったことです。進学も就職もできそうになく、このまま人生をなんとなく終えるのかと絶望していました。何とか抜け出そうと、治療をさがしながら、1人ぼっちで勉強をはじめたところ、たまたま知り合った年配の教養のある方が、家庭教師をしてくれました。その方の話がとても励みになり、絶望から一転、希望通りの進学ができ、偶然知り合った友達も良い人で、とても救われました。
その後、自分の理想通りの男性と出会い、考え方が大きく変りました。とても洗練された人から聞いた話は、今までの自分では考えもしなかったようなことばかり。振られたときは、本当にショックでした。その人みたいになりたい、とずっと忘れられませんでした。
それから、別の男性と出会い、長所を思いっきりほめられ、同時にその人から私の見たよくない考え方を指摘され、厳しくて温かい叱咤激励を受けました。病気のせいか人間嫌いになりかけ、自意識過剰になりがちだった私は、自分の考えに固執するのをやめることができました。
その後も、人の心に触れるような出来事があり、希望の仕事にもつけて、今の私は毎日充実しています。
長文、すみません。
貴重なお話ありがとうございます。
http://next.rikunabi.com/rnc/docs/cp_s00010.jsp?__u=107812292323...
転職・求人情報|リクナビNEXT「この仕事に会えてよかった」を、一人ひとりに。
・卒業
・転職
・結婚
ですね。
卒業でも社会人への一歩となる卒業はまさに人生の転機でありました。が・・・転職をしました(笑)
で、やはり結婚ですね。これは誰もが人生一度っきり!って思ってするのでしょうが、さてどうなのでしょうか・・・。
ありがとうございます。もう少し詳しく教えていただけると嬉しかったです。
クリスマス前じゃないけど、突然彼女に振られたときは、相当ショックでした。それまで信じていたものはなんだったんだろう…って。
ありがとうございます。
siteSakamoto
自分の中で一番大きかった転機は浪人していたころ坂本龍一の音楽と出会ったことです。彼を通して音楽だけでなく彼の考え方と自分の考えが共感するところが当時たくさんあり彼の記事や対談している本を通じて自分の世界観がだいぶ深めることができました。今もなお影響を以前ほどではありませんけど与えつづけている人です。
ありがとうございます。
Yahoo! JAPAN
24歳の時から始まった闘病生活で、人生観が変わりました。
「当たり前」のことが出来ることの大切さ、家族の愛、「幸せ」についてたくさんたくさん考えさせられました。
そして、今も毎日勉強させてもらってます。
普通に歩け、普通に目が見え、普通に食べることが出来、
飢えることなく普通に生活出来ることが、どれだけありがたいことか、
そして、仕事・家庭・健康、、、色んな面でハンデを抱えることがあっても、
それが「不幸」の原因だと決めつけることは出来ないこと、
本人の受取り方次第で、どんな状態でも幸せに生きていけるということ、
お金よりも何よりも、人を愛する心が大切だということを、
身を持って知ることが出来ました。
貴重なお話ありがとうございます。
京都コンピュータ学院 | 古都にあるわが国最初のコンピュータ教育機関
一度目は高校3年の6月に父親が転勤になったことです
それまで、上のURLの専門学校に進学し寮に入ることに決めていました
それが、卒業までの下宿生活ですっかり弱気になり
親元から通える大学に進路変更したのです。
当然、就職先にも影響したと思いますし
それを通じて人間関係もずいぶんちがってきたと思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~KX5N-KGYM/info.htm
死別の悲しみの癒しの広場〜お知らせコーナー
2度目は弟の死です
年下の死はかなりこたえますね
これで生きることに対する執着心がずいぶん薄れたような気がします
まあ、死ぬのはやっぱりいやですけどね(笑)
3度目はまだないかなあ?
貴重なお話ありがとうございます。
http://www.hatena.ne.jp/1078100926
人生には大きな転機が3回あるとよく聞きますが、皆さんは今までに何回転機があってどんな転機か、その度にどのように生活や価値観が変わっていきましたか?さしつかえなけ.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
ぼくの人生には二度の転機がありました。
一度目は大学時代にあるお芝居を見たことです。
その劇団はただの小さな学生劇団でもちろん今はもうありませんし、役者や演出家ももう演劇活動はしていません。
おそらく今同じ芝居を見ても全く感動しないでしょう。
大事なのはタイミングでした。
人生のあるタイミングでそのお芝居にであったこと、それがきっかけとなってぼくはクリエイターのはしくれとして生きていく決心をしたのです。
AKOGARE
二度目の転機は「帆船」に乗ったことです。
「帆船」で航海する中でぼくは様々なことを経験し、たくさんの人と出会いました。
それは今まで想像したこともない全く新しい経験でした。
そして2000年、ぼくはオランダでこの帆船のイベントに乗組員として参加しました。
その航海はぼくにとって「運命と出会う」旅となりました。
貴重なお話ありがとうございます。
Dummy.com
まずは、人と付き合ったこと。
典型的な箱入りだったため、何もかもが目新しくて人の普通が新鮮で。。
そして、学歴至上主義だったのに学校を中退したこと。当時は留年や中退は人間のクズがやる事だと思ってた。
中退してみれば、意外に意外。あんま結果は変わらないようで。
会社の経営と倒産。
若さとやる気と奇抜なアイディアで(自分でいうな)それなりに売上をガンガン伸ばしてたのだけど、若さゆえに親会社の戦略としらず全資本吸収。そして捨て駒に・・。
今はサラリーマンです。
まわってまわって元の木阿弥?。
多分もう一度何かが起こる、そんな気がします。
貴重なお話ありがとうございます。
とても感動しました。少し勇気もでてきました。
回答くださった皆さんありがとうございます。
貴重なお話、ありがとうございます。