http://www.wataclub.net/column/col_saying2000.html
スポーツ語録&名言集2000〜Wata倶楽部ネット〜title> <META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"> <META name="GENERATOR" content="IBM WebSphere Studio Homepage Builder Version 9.0.3.0 for Windows"> <META http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css"> <STYLE TYPE="text/css"> <!-- a{text-decoration:underline;color:#0066CC;} a:link {color:#0066CC} a:visited {color:#0066CC;} a:hover{text-decoration:underline;color:#FF6600;} a:active{text-decoration:underline;color:#FF0000;} --> </STYLE>
『練習は裏切らなかった。』
宇津木妙子(全日本女子ソフトボール監督)
シドニー五輪での女子ソフトボールの活躍はすばらしかったですね。8連勝。
この「練習は裏切らなかった」。今大会で最も心に響いた言葉です。
計画的(長期)に取り組み、積み重ねたことが銀メダルにつながったのだと思います。
勝負事ですから勝ちも負けもします。しかし努力をした者は、不運にも動じない。
積み重ねた歳月と、その一瞬ずつの集中力、汗。
『最高で金、最低でも金の気持ちでやってきた。
ここまでくるのにすごく長かった。
8年かかりました。初恋の人にやっと巡り合ったような感じ。
勝った瞬間は一瞬だったので覚えていません。
最後の一本はみなさんのおかげです。』
田村亮子(女子柔道)
9月16日の第27回夏季オリンピック・シドニー大会
女子柔道48キロ級でみごと金メダルを獲得して。
「全力のつみ重ね、全力のつみ重ねです。」この言葉が物語っています。
青春を全て金メダルに注ぎ、そして今手に入れました。
うーん、探せばこの中にも
求めていた回答はあるんでしょうけど、
リンクだけ書いてサヨナラは不親切です。
追加です。
『やったよ!パパは』(原田雅彦)
1998年長野オリンピック団体戦。試合終了後のインタビュー。
これには、さすがに参った。いつも、「お客さんのとこまで飛んできますよ」「見ていて下さいね」などファンに対するコメントばかり言ってきた原田だが、最後の最後に家族の向けての言葉が出た。
1994年からの4年間苦しみは想像を絶するだろうから、想像しないでおこう。
http://www3.ocn.ne.jp/~sitemm/onna3-2.html
受賞の名言コレクション
『前回のバルセロナからメダルの色は一つ落ちましたけど、自分が輝いたのでうれしいです。初めて、自分で自分をほめたいと思います』
有森裕子(96年のアトランタ五輪)
3位でゴールインした直後、涙ながらに言った名言である。
彼女はこの一言によって、一躍“アトランタのヒロイン”となった。閉会式では、日本選手陣を代表して「五輪旗手」(日本国旗を掲げて行進する)にも選ばれた。金メダルを獲得した女性選手がいたにもかかわらず、である。「五輪旗手」には、“大会中最も印象に残った選手”が選ばれる。有森の名セリフは、獲得した銅メダルを金メダル以上に輝かせるほど、強烈な印象を与えたのだ。
有森はバルセロナ五輪で銀メダルを獲得後、両足の故障(腱膜炎)から手術をするなど、苦闘を重ねてきた。だが、故障を乗り越えてメダルを獲得した選手ならほかにも山ほどいる。あの名セリフがなかったら、有森の銅メダル獲得はあそこまでドラマチックなものにはならなかったろう。まさに「言葉のマジック」といえよう。
「自分で自分をほめたい」は流行語になり、96年の「流行語大賞」にも選ばれた。その点からも、オリンピック史に残る「女の名セリフ」と呼ぶにふさわしい。
なお、有森は出走前、父の茂夫に次のように言い置いたという。
「ゴールする私の顔をよく見ていてほしい。今まで努力してきたすべてがそこにあるから」
もう一つの名セリフといえそうである。
言う事無しです!
本当にありがとうございます。
http://www.bekkoame.ne.jp/~greenrv/guide651.htm
(GREEN RIVER HOME PAGE651 V3.5)
長野五輪に限りますが、いっぱいあります。
経緯は書いてありませんが、まだほとんど覚えています。
リンク先に求めていたものがたくさんありました。
順位があれば【経緯】もだいたい想像はつくので大丈夫です。
ありがとうございました。
http://www.wataclub.net/column/col_saying1999.html
スポーツ語録&名言集1999〜Wata倶楽部ネット〜
【周りの方から期待されているのは分かっていた。勝ちたい一心で投げて、
ひとつの役割を果たしたと思う。】
【勝つのはあたり前というなかで、期待を裏切らなくてよかった。】
【松坂大輔(シドニー五輪野球アジア予選、日本代表投手[西部ライオンズ]】
【9月15日(水)台湾と対戦し9回のさよなら勝ち(2−1)、
自身も3安打、13奪三振と好投して。
9月16日(木)中国戦も3−0で勝利、シドニーの切符を手にしました。
初のプロ・アマ合同チームでしたが、みごとなチームワークでしたね!】
既出ページでしたが、丁寧に回答いただけました。
ありがとうございました。
一番記憶に新しいシドニーオリンピックから、明暗を分けた二人の挑戦者の名言を引きたいと思います。
『最高で金、最低で金』
まずは、ヤワラちゃんこと田村亮子(当時)選手がシドニーオリンピックに臨む前の、まさに“背水の陣”の一言。
銀メダルに泣いたアトランタオリンピックの雪辱を果たして、見事、女子柔道48kg級で金メダル!
上記URLにもありますが、「8年越しの初恋の人に巡り会えた」との言葉もありましたね。アテネでは二連覇を成し遂げてくれるでしょうか・・・
『弱いから負けた、ただ、それだけです』
試合直後、山下監督の猛烈な抗議姿も記憶に残っていますが、柔道100キロ超級の誤審?騒動の中、渦中の人・篠原信一選手は、自らこう言って判定負けを受け入れました。本人がこう言い切った以上、外野はもう何も言えませんでしたね・・・泣きました。
いいですね。ありがとうございます。
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0101/ekiden/rensai_21.ht...
九州一周駅伝・世界に駆けた群像17
【こけちゃいました】
谷口浩美(バルセロナ、アトランタ五輪、東京世界陸上各マラソン出場)
【三十人ほどの先頭集団にいた谷口選手は,水を取ろうとして後続選手に左かかとを踏まれ,転倒。脱げてしまった靴を取りに戻り再スタートをしたときには,先頭集団から二百メートルほどの差がついていました。でも,そのあとの二十キロで,二十人をごぼう抜きにしてスタジアムに帰ってきて,結果は八位入賞でした。転倒というアクシデントさえなければ…。靴を踏んだ相手選手にも,谷口選手にも,「せっかく治してあげたのになんで!?」という思いでいっぱいでした。でも,谷口選手は,靴を踏んだ相手選手への恨み言は一切口に出さず,笑顔で「こけちゃいました〜」と言ったんです。「これも運ですね。でも,精いっぱいやりました。入賞できた自分をほめてやりたい」】
ありがとうございます。
ちょっと、みなさんとは趣向が違いますが、92年バルセロナ男子マラソンにて、
【名言】
「いやぁ〜、靴が脱げちゃいましたよ」
【言った人】
谷口浩美(旭化成)
【発言の経緯】
日本期待の男子マラソン、先頭集団にいた谷口選手は給水ポイントを出てすぐ靴が脱げてしまう。靴を履きに戻る谷口。でもあきらめずに、靴を履いてレースに戻る。同僚の旭化成の森下が銀メダルを獲得!
谷口も必死に追い上げ8位でゴール!!
たぶん、インタビュアーはなんと声をかけたらいいのか、考えていたと思う。期待されての五輪。非常に運が悪いというか、気の毒な結果だった(谷口はメダルを取れた可能性は十分にあったと思う)。
そして、ゴール後戻ってきた谷口は、インタビューの際に、質問を待つことなく笑顔で、言いました。
「いやぁ〜、靴が脱げちゃいましたよ」
たぶん、テレビを見ていた人全員が、はぁ〜っ、と脱力したと思う。
日本に帰ってきても谷口バッシングは起こらなかったと思います。
自分はこれ小さいときだったんですけど、ずーっと忘れないような気がします。
すごい人だなぁと子供心に思いました。
(いわゆる天然だったのでしょうか?)
丁寧なご回答、ありがとうございます。
1972年札幌オリンピック・70メートル級ジャンプでの実況、
「さぁ笠谷、さぁ笠谷!金メダルへのジャンプ!!・・・
飛んだ!決まった!!見事なジャンプ!!」
NHKアナウンサー・北出清五郎さん
日本スポーツ放送史に残る名言となりました。
日本人じゃないですけど、
1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)
冬季五輪のフィギュアスケート女子シングルに、
日本五輪史上最年少の12歳で出場した稲田悦子選手が
身長127センチで開会式の入場行進する姿に
ロイヤルボックスのヒトラーが
「あの子は一体何をしにきたのか」
と。
田島寧子
「メッチャ、悔しい。金がいいですぅ」
シドニーオリンピク、水泳の四百メートル個人メドレーで銀メダルを獲得。
有森裕子
「初めて自分で自分を誉めたいと思います」
アトランタ、女子フルマラソン、銅メダル獲得後のインタヴューより。
高橋尚子
「すごく楽しい42キロでした!(笑)」
シドニーオリンピック、女子フルマラソン、金メダル獲得後、笑顔のインタヴューにて。
野村忠宏
いや、結構弱気ですよ。ただ、それを人に見られたくないというだけであって。
シドニーオリンピック男子柔道60kg級で圧倒的強さで金メダルを獲得。
そういえば高橋選手の名言が今までありませんでしたね。
色々書いて頂いてありがとうございました。
『意識しないで自然にプレーした者に、女神は微笑む』青木 功(プロゴルファー)
全英オープン、コース攻略が大変難しい。
マスターズに勝ってもこの全英には勝てない。
勝ちたいという強い思いは、意外にも簡単に女神から見放される。
「無心、無意識、平常心」いろいろ表現がありまが、
みんなが技を競い合って、みんなが頂点を目指し、その繰り返しを
自然にプレーしたものに女神はほほ笑む。
こう語る青木選手の解説には百戦練磨の積み重ねが。
先ほどは、コメントがなく大変失礼致しました。
私は、ゴルフを大学からやっていますが、この言葉はよくまかります。
人間、平常心、普段の気持ちで取り組むことの難しさを痛感しております。
間違えて返信すると良くないので
オリンピックにゴルフがあるのかと本気で探してしまいました。
でもやっぱりないようです。
kanetetsuさまには以前も回答いただいた事があったのですが、
(一度で結構ですので)問題文を読んでから
回答して頂いてもいいでしょうか?
こちらとしても無意味にポイントが減るのはつらいので。
宜しくお願いします。
「父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。」
/円谷幸吉/周りのプレッシャーに押しつぶされ、自殺するときの遺書より
話がずれているかもしれませんが、僕はこの言葉は日本オリンピックの歴史上絶対忘れてはいけない言葉だと思います。
日本人のオリンピック選手への対応を考えさせられる言葉でした。
なるほど、それがありましたか。
ありがとうございました。
スピードスケートの清水宏保選手
「心の限界と肉体の限界では心のほうが先にくるので我慢して肉体の限界まで
到達する練習をしている。その限界を知れば更にその上の限界が見えてくる。
限界は少しずつ伸びる。よってタイムもこれが限界だと思っていない。
筋肉も限界がくると繊維がこわれてさらに強い筋肉になる。それのくり返し。
メダルが欲しいというより自分に勝つ挑戦をしていきたい。次のトリノオリン
ピックも出場を目指す。」
ソルトレークオリンピックで惜しくも金メダルを逃したあと、試合後のインタビューで彼がこう答えていたのが印象に残っています。
自らの肉体を限界まで鍛え上げた世界記録保持者であるからこそ言える言葉だと思いました。
ありがとうございました。
「コーチから、五輪には魔物が住んでいると言われていましたが、私には神様がすぐそばにいてくれた気がします」
惠本裕子さんの第26回夏季オリンピック大会(アトランタ)・柔道女子61㎏級で金メダルを獲得した時の言葉です。
「人己腹心」
ランナーである前に、人としてどうありたいか。2003年のインタビュー時に高橋尚子選手が色紙に記した言葉です。
この四字熟語は高橋選手の創作で、人という字は大きく、己という字は小さく、腹という字は横倒しに、心は丸い字で、一見アンバランスに文字が配されています。文字の書かれ方にも意味があり、
「人を大きく立てて、自分は常に謙虚で小さく、できるだけ腹を立てず、寛容な丸い心でいたい」。
と語っていました。
おもしろいですねー。 ありがとうございました。
すばらしい回答です。ありがとうございます。
もし他にも何かありましたら、
ぜひ回答をお願いいたします。