この文章には論理的に(意味の上で)重複があると思いますか。他に
「あなたにとって大切な人は、どのような人であることが大切か」
「明日のBBQに必要な道具は、どこで買うことが必要か」
という文章についてはどうでしょうか。
文章が美しいかどうか・適切かどうかということよりも、「論理的に重複があるかどうかをどのように判断すべきか」という視点での回答をお願いします。
http://www.hatena.ne.jp/1096640080#
「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」 この文章には論理的に(意味の上で)重複があると思いますか。他に 「あなたにとって大切な.. - 人力検索はてな
3つの文章すべてにおいて論理的重複していることはないと思います。ちゃんと意味は伝わっています、少なくとも私には。
「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」→犯人と被害者に親族関係があればいいのか?それとも教唆した人物か?それとも違う第三者か?ということを問う文章ですよね。
「あなたにとって大切な人は、どのような人であることが大切か」→あなたにとって大切な人は、たとえば優しい人であるべきなのか?それとも心の広い人か?はたまた愛してやまない人か?と聞いていますよね。
3つめは「BBQ」の意味がわかりませんでした。失礼しました。
ただ、、「論理的に重複があるかどうかをどのように判断すべきか」については文章であらわすのはちょっと難しいです。というか今私の頭の中で考えていることを、私の文章力では書ききれません、てな感じです。ごめんなさい。
http://www.hatena.ne.jp/1096640080
「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」 この文章には論理的に(意味の上で)重複があると思いますか。他に 「あなたにとって大切な.. - 人力検索はてな
「特例を適用するために“必要”な親族関係は、犯人と誰の間に存在することが“必要”か」
要するに前の「必要」と後の「必要」が同じか違うかということですね。
前の「必要」
特例を適用するためには、ある「親族関係が」必要である。
(Aが成立するにはBという条件が必要である)
後の「必要」
その親族関係は、犯人とだれかの間に「存在」しなければならない。
(Bという条件はCという場所に存在する必要がある)
この二つの「必要」が指している内容は明らかに違っていますので、「言葉の重複はあるが意味の重複ではない」と考えられます。
もちろん、これは悪文なので、「特例を適用するためには、犯人と誰が親族関係になければならないか」というのが日本語としてはよりよいものだと思います。
「あなたにとって“大切”な人は、どのような人であることが“大切”か」
前の大切
あなたにとって、「ある人」が大切である。
後の大切
ある人は、「このような」人でなければならない。
前の「大切」は「あなたにとって大切な人」という部分のみにかかり、後の大切はその人の条件全体にかかっています。これも文字の重複ではあっても意味の重複ではないでしょう。
「明日のBBQに必要な道具は、どこで買うことが必要か」
前の必要
明日のBBQには、この道具が必要である。
後の必要
その道具は、ある店で買わなければならない。
前の「必要」は「BBQに必要な道具」を話題としており、後の必要は「買う場所」の必要性について語っています。これも論理的には重複ではないと考えられます。
明快な回答をどうもありがとうございます。
>Aが成立するにはBという条件が必要である
>Bという条件はCという場所に存在する必要がある
という部分がまさに核心だと思うのですが、
Aが成立するにはBが必要+BはCに存在することが必要=Aが成立するにはBがCに存在することが必要
ということなので、重複ありと考える方が多いのでは、と思います。
matsunagaさまのおっしゃるとおり、前後二つの「必要」はそれぞれ異なった意味で使われているということが、重複なしといえる根拠となると思うのですが、本当に異なった意味で用いられているといえるのでしょうか。
他の方の回答もお待ちしています。
(後の2つの文章については言及しなくて結構です)
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
最初の文章は、最初に出てくる「必要」が無くても「特例を適用するために、親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」となり、意味が通じますね。
また後に出てくる「必要」が無くても「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在するべきか」と言い換えられるので意味が重複していると私は考えます。
二つ目の文章は「あなたにとって大切な人」に挙げる理由としては何が大切か、という意味に取れます。
つまり、後に出てくる「大切」にかかる主語が「理由」と考えられるのに対して、最初に出てくる「大切」は「人」にかかる形容詞としての役目を担っているので意味は重複していないと考えられます。
三つ目の文章は、最初の「必要」は「道具」にかかっており、後に出てくる「必要」はどこで道具を買うべきかを問うための役割を担っているので意味は重複していないと考えます。
どうもありがとうございます。
後の2つの文章についての言及は結構ですので、1つ目の文章の「必要」が同じ意味で用いられているのか、異なる意味で用いられているのか、ということに的を絞った回答をお願いいたします。
上記いわしで一度述べたことに補足。
まず、3つの例は同じではない。
1)「明日のBBQに必要な道具は、どこで買うことが必要か」
この文において、「BBQに必要であること」と、「買うことが必要」とは明らかに異なる「必要」を意味している。たとえばこう言い換えてみると、全く重複でないことがわかる。
「明日BBQをするのに『絶対使う』道具だが、どこで買わなく『てはならない』のだろうか…」これは些細な表現上の手入れを覗けば、原則省略できない。
2)「「あなたにとって大切な人は、どのような人であることが大切か」
これも同じ。
「『あなたにとって大切な人』とはどのような人『でなくてはいけない』のですか?」
と変えてみると、最初の必要とあとの必要が別であることはわかるので、どちらも省略できない。
しかし3つめ
3)「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」
これだけは、一見似たような例でありながら、「特例を適用する『ために必要な関係(親族との関係)』は、犯人とどの『親族との間に存在することが必要』か?」となり、後者の「存在することが必要」なのは明らかに、『特例を適用するため』を意味している(犯人とある親族の間に関係が存在するのは、結局特例を適用するために他ならない)。
そもそも「関係」というのは「間に存在する」ものなわけで、この文章は
「間に存在することが必要なものはどの間に存在することが必要か」
という文章であり、非常に読みにくい重複。よって、URL先にあるように
○「犯人に特例を適用するために、誰との親族関係が必要か」
とまとめることができるし、まとめることができるということは、つまり重複していたということに他ならない。
どうもありがとうございます。
重複あり:両者とも「特例適用のための」必要性
重複なし:前者は特例適用のための必要、後者は特に「ある場所に存在することの」必要
というような違いがあるようですね。
Yahoo!
まず
「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」という文を疑問型から戻します。
「特例を適用するためには犯人とXの間に(ある特定の)親族関係が存在する必要がある。」
もちろん、この文に置いて、親族関係がどれほど遠かろうと問題にしないと言うことであれば、論理的に重複があり、誤解を招く文と言えるでしょう。
よって、この文章において論理的に重複があるとするなら
「特例を適用するためには犯人とXの間に親族関係が存在する必要がある。」
という平文が前提としてあり、このXを聞いているだけであるという解釈ならば論理的な重複です。
ただし、論理的な重複があるという前提に立って文を読むと言うことは、文を読むことに置いて論理的で無い文を想定していると言うことであるので
論理的な読み方とは言えない。
つまり単語の存在することによる意味を理解してない読み方ですから
このことを持って論理的に重複があるとは言えないというのが私の見解ですので
この文には論理的な重複がないと思います
ありがとうございます。
重複なしとする方と、ありとする方がいらっしゃいますが、感覚の違いというよりも、この文章の理解の仕方に関わる違いという気がします。
↑=七五調(耳の文学) ↓=序破急(三段論法)
かならずしも“用語の重複”は“意味の重複”にあたりません。
ただし(文学的な詩的強調でないかぎり)日常的な実用文においては、
なるべく“無用な反復”を避け、耳ざわりよく言いかえましょう。
1=“特例を適用するための親族”は“犯人にとって誰か”」
2=“あなたの大切な人”は“どんな人であってほしいか”
3=“明日のBBQに必要な道具”は“どこで買うべきか”
すぐに意味がわからなければ、つぎに読みすすむことができません。
伝えたいことがあれば、論理的な“話し言葉”で書くべきです。
もともと論理的に正しければ、だれもが理解できるはずです。
おっしゃることはごもっともですが、ここで私が問題にしているのはあくまで二つの「必要」をどのような意味にとるかということであって、この文章が美しいかどうか、よりよい表現があるかどうかということではありません。
この「反復」は本当に「無用な反復」なのかどうかを知りたいと思っています。
また、(老婆心ながら)「耳ざわりよく」は誤用ではないでしょうか。
http://www.hatena.ne.jp/1096642054
「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」 この文章には論理的に(意味の上で)重複があると思いますか。.. - 人力検索はてな
最初の質問に「どちらともいえないが適切な文章ではない」と回答しました。
質問の「特例を適用するために必要な親族関係は犯人と誰の間に存在することが
必要か」ですが、この分の「誰」をどう読んだかで、重複があると感じたり感じ
なかったりします。
重複と感じない例:「被害者」「共犯者の属する組織の黒幕」
重複と感じる例:「犯人の父」「犯人のまたいとこの配偶者の孫」
文章を解釈するとき、重複がないはずだという前提で読むと、「誰」に対して
前者のような解釈が浮かびます。しかし「誰」の前に「親族」という単語が
出てくるので、それに引きずられて後者の解釈をする人もそれなりにいる
ということではないでしょうか。
大変興味深いご回答をどうもありがとうございます!
この(「特例〜」という)文章だけでは意味を取りにくいので重複の有無の感じ方に違いがでた、というのはおっしゃるとおりのような気がします。
この文章の答としては、「所有者」「占有者」などが想定されており(わかりにくい例文ですいません)つまり「被害者」ということになると思います。
「誰」→被害者 と考えれば、重複なしとの理由付けに一歩近づくといっていいのでしょうか。
============================================
私としてはこの文章に特に問題視すべき重複はないと考えていますし、アンケートでも重複なしとの回答が多数でした。
前後の「必要」の意味の違いを明確に説明するのは難しいようですが、matsunagaさま,damiaさまの回答が大変参考になりました。
ちなみに件の文章は山口厚著「刑法各論」から引用させていただきました。
みなさま、どうもありがとうございました。
丁寧な回答をどうもありがとうございます。
一つ目の文章について、
「特例を適用するためには、親族関係は犯人と誰の間に存在することが必要か」
とも言い換えられるので、重複があるように感じる方も多いのではと考えて質問いたしました。
なぜこれを重複とはいわないのかということについて、明確な説明ができる方がいらっしゃいましたらお願いしたいと思います。
(重複していると考える方の回答もお待ちしています。)
BBQはバーベキューのことでした、すいません。