「統一朝鮮を目指す」という建前を掲げているため、
南北を含めた半島の中心に首都を置いていると思います。
これを不用意に南へ移転すれば、
「政府は統一を放棄するのか?」と批判を浴びます。
しかし、現実的に移転する動きもあるようです。
http://d.hatena.ne.jp/Randa/20041021
2004-10-21 - 人の背中は見えるが、自分の背中は見えない
経済的な問題だと思う。また首都移転すればソウルで働いたり、住んでいる人が損するからだろう。
ソウルが占領された時はアメリカ軍はいなかったが(少しくらいいたかもしれないが)、今はいる。世界最強のアメリカ軍がいるから北朝鮮が大規模に攻めてくる事はないと思う。
攻めてくる可能性が少ないのに、移転する必要はないという事だと思う。
韓国国会で一昨年12月に関連法が成立した。しかし韓国の憲法裁判所は、憲法違反とする判決を下した。「首都移転は憲法改正手続きや国民投票を通じて決定しなければならない」とした。そして内閣は移転を断念した。(上記のURLは判決が出た時の日記)
別に、経済の中心を首都にする必要は全然ない。「小さな首都」というのは、世界にいくつか例がありますよ。中距離ミサイルで簡単に攻撃できる位置に政府の首脳が集まっているというあたりに、私は疑問を感じているわけです。
あと、現在、まずまず安全だというのはともかくとして、30年前、40年前にもソウルがそれほど安全だったといえるのかどうか。
まず考えられるのは、ソウルの歴史的位置づけでしょう。
ソウルは元々500年近くも続いた朝鮮王朝の首都でしたから、
実に今日まで600年もの歴史の中で、
半島の首都として機能し続けてきたことになります。
この歴史に対して、朝鮮戦争におけるソウル陥落は
ほんの一時的なものに過ぎませんでした。
1950年6月25日、北朝鮮軍は大韓民国に侵攻し、
3日後に一時ソウルは陥落しますが、
同年10月1日には今度は韓国軍が38度線を突破、
同月19日には逆にピョンヤンを陥落させるに至ります。
韓国軍にとって、このソウル陥落は、
単に戦略上の一時的な撤退に過ぎなかった、
ということです。
これが、朝鮮戦争時におけるソウル陥落が
今日の首都の位置に影響を与えていない理由です。
さらにソウルが不動の首都として有り続ける
もうひとつの重大な理由として、
元々ソウルは「南北両政権共通の首都」であった、
という事情があります。
38度線以北を支配した北朝鮮も、実に1972年まで、
首都はソウルと定めていたんですよね。
北朝鮮にとって、ピョンヤンはあくまで
「臨時首都」という位置づけでした。
つまり、誤解を恐れずに言うならば、
ある意味、ソウルは朝鮮民族の「聖地」なんです。
ソウルを制する者が朝鮮民族の政権を掌握する、ということです。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/21/2004102...
憲法裁が締めくくる首都移転論争 | Chosun Online | 朝鮮日報
何が何でも首都はソウル。
そのことを韓国憲法裁判所は、
新行政首都建設特別法に関する憲法訴願事件で、
「韓国の首都がソウルだという自明かつ不文の慣習憲法事項」
と明示的に表現して、新行政首都建設特別法を
違憲とする判決を下したわけです。
さらに同法廷は、首都は国のアイデンティティーを表現する
実質的な憲法事項であると重ねた上で、
「ソウルは辞典的意味でも“首都”という意味を持っている」として、
朝鮮王朝以降形成されてきた伝統的慣行が
600年の長期に渡り変わることなく持続されてきたことは、
国民の承認とコンセンサスを得ている国家生活の基本事項である、
と断じています。
この判決が、韓国の首都=ソウル、
それ以外の土地では有り得ないという
不動の認識の形成を端的に表しています。
なるほど。
基本的には風水思想がありますね。
そして1394年、朝鮮王朝を建てた李成桂(1335〜1408)が遷都して以来600年の伝統ある都市ですから、分裂国家となった後、南の政権の正当性・正統性を明かすためにソウルを捨てるわけにはいかなかったということも言われています。
彼らにとっては実際的な便より「正統性」の方が大事なんですよ。
なるほど。
なるほど。
以上で閉じます。
なるほど。