そんなに学術的な答えでなく雑学へぇ程度の所でお願いします。
詳しい方宜しくお願いします。
結局、「家」制度なので、士の身分とも言える家督は実質的な売買とも言える婿入りという方法がありました。
著名な話では勝海舟の父は武士ではありませんでした
この小学校の社会についてのQ3を見てほしいのですが、最近の学説だと「士農工商」という言い方は明治期になって広まったものであり、特に「工」、「商」の身分というものはなかったという考えが一般的になっているようです。
お尋ねの「農」→「工」というような身分移動は存在します。百姓の次男や三男は土地がないため丁稚奉公に出るのはよくあることでした。
町人の生き方を説いた石田梅岩も百姓出身です。
ありゃ〜ってことは私が習ったのは、間違いだったのかな?今の小学生は知らないんだ…
ありがとうございました。
豊臣秀吉は農民から天下人まで成り上がったそうです。農→士ですね。農民あがりだけに百姓一揆の対策がしっかりしていて、農耕作業に必要の無い武具は全て取り上げたとか何とか。
あ、そういやそうだ。盲点でした。
ありがとう御座います
http://www.hatena.ne.jp/1112638899#
人力検索はてな - 昔の士農工商について、いまでいうところの「転職」ってできたんでしょうか?(時代にもよると思うのですが) そんなに学術的な答えでなく雑学へぇ程度の所でお願いします..
身分制度というのは、農民が反抗しないように武器を持たせないのが主な目的だ。だから少々の身分の移動は、別に問題にならなかった。ただし、飢饉などで農村を離れる農民が多い時は農民に帰された。社会の基礎である生産力が落ちたら、貧しくなるからだ。
士農工商という言葉は明治になってから使われ始めた。江戸時代は刀(武力)を持てるか、持てないかだけが大きな身分さであったと思う。
しかし江戸後期になると商業が発達して、武士は収入は増えないががいろいろな物を買って借金でどうしようもなくなった。その中に武士の身分を売るものもあった。
また士農工商より下の身分の「えた」「ひにん」になろうと思えばなれて事情によってなる者もあった。10年以内なら「えた」「ひにん」から元の身分に戻れるなど、江戸時代は今の感覚ではよく分からない時代だった。
お百姓さんのリクルートは難しかったのかな。
まぁどの時代でも難しいのかもなぁ。
でも希望がないわけでもない。
昔の音楽やってる人の話で「士農工商えたひにん、ドンバずーっと下がってズージャ」なんてのを今思い出しました。
ご回答ありがとうございます。
http://yokikotokiku.hp.infoseek.co.jp/
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↑ダミーです。すみません。古くさいことやってるのでよかったらどうぞ。
「士農工商」は、明治に入って作られた言葉というか、
いや、江戸時代の書物にも出てくるのですが、ニュアンスが違うのです。
職業をこの4つに分類して、全ての国民は、そのいづれかに属していなければならない、と言ったのです。
いわゆる、ちゃんと働いていない「遊民」を禁止したということです。
ですから「役者」というのは職業として認められず、幕府に嫌われました。
初期の役者は表向き何か商売を持っており(てきとうに店をかまえてカタチだけ何か売っていたり)、
そのときの店の「屋号」が、今も残る役者さんの「高麗屋」だの「音羽屋」だのの起源です。
江戸も後期になると「役者」という商売の認知度が上がって、あまりうるさいことをいわれなくなりましたが、天保の改革などでは再び苛められたようです。
同様に「落語家」も、表向きは他に商売を持っていました。
非人は、10年以内とかでなく、その代のうちならいつでも元に戻れます。
今で言うと「浮浪者」に近い感覚です。
武士が、敵討ちの旅の途中で路銀が尽きて、非人の仲間に入る、などというのはお芝居では常套です。もちろん最後は敵を討ってりっぱな武士に戻ります。
ただし、「非人」の子供は、戻れません。ビミョウなところですが、やはり生活習慣が身に付いていないと普通の暮らしは難しいというのもあったかもしれません。
地方の農業従事者が都市部に流れてきて商人や職人になり、都市部の人工が膨れ上がって問題になったのは有名なハナシです。
江戸後期にはいわゆる「ひと返し」政策が行われましたが、あまり効果はなかったようです。
というわけで、農民が商人や職人になる例はとても多いです。
逆ももちろんアリですが、今と同じで、面白みのないイナカ暮らしが嫌われるのか、あまりUターンやIターンは盛んでなかったようです。
上の回答にもありますが、リクルートの最も手軽な方法は「婿入り」「養子縁組」です。
「もと武士の農民」も「もと百姓の侍」も存在しますよ。
武士の2.3男坊は家督を相続できず、一生「部屋住み」ですから、それを嫌って武士を辞め、
商家に就職するものが多かったようです。
よく「武士の商法」はうまくいかない例えに引かれますが、江戸時代のこれらのリクルート組は、礼儀作法がしっかりしている上、教えなくても読み書きそろばんがカンペキですから、重宝がられたようですよ。
こんなもんでいいでしょうか?不足な点がございましたら言っていただければ「いわし」に書きますです。
あやや、またなんか自分の中ではひっくり返っりました。分りやすくてナイスです。自分的におッと思ったのが、士農工商は「お上的」には有る。庶民はそれほど気にしてない。世を忍ぶ仮の商売というものがある。と言う辺りが興味があります。
ありがとうございました。
http://homepage1.nifty.com/moritake/syakai/rekisi/mibun.htm
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ものによって記載内容はまちまちですね。変更できたとするものや、がちがちに固まっていたとか。今ほど情報管理が徹底していなかったので、地域により対応が多少なりとも異なっていたのでしょう。
やっぱり昔だから今のようにデータがないのかなぁ。
ご苦労様です、ありがとうございます。
納得したので閉じます。ありがとうございました。
実際はあんまりガチガチのカーストみたいなのではなかったのか。
どちらかというと農→工とか商→農とかそっちの方が気になります。
回答ありがとう御座いました。