http://www.hatena.ne.jp/1119966195**:detail]
武田観柳斎(五番隊隊長)です。
局長の勇に取り入る為に、媚びをうっていたからです。
しかも最後は薩摩藩に取り入ろうとしたお調子者。
どの時代にもかしこく?生きる人っているんですね。(ある意味、ずうずうしくてうらやましい・・)
図々しい。うーん、わかります。武田は今でも最も嫌われるタイプなのでしょう。
威張りや。時代遅れ。取り入る事は一人前。裏切り。結構、嫌われ者の要素つまっていますね。
幕末維新新選組
永倉新八
1839(天保10年)~1915(大正4年)
松前藩脱藩 新選組副長助勤 二番隊隊長 撃剣師範及び小銃頭 / 神道無念流本目録 心形刀流
1839(天保10年)、4月12日、石高150石・松前藩江戸定府取次役の永倉勘次の次男として誕生。他異説あり。
18歳で神道無念流本目録を取得、19歳で脱藩後、4年間は剣技を磨く為に修行、江戸に戻った頃から試衛館に出入りするようになる。
後に彼らと共に上洛、新選組を結成、副長助勤他、幹部として名を連ねることになる。甲州勝沼までを新選組と共にあり、江戸へ帰還後、朋友の原田左之助と共に靖兵隊を結成、各地を転戦の後に江戸へ戻った。旧松前藩藩医、杉村松柏の婿養子となり明治8年に家督を相続、北海道樺戸集治監の剣術師範を勤める。函館及び東京等、新選組に関連した慰霊碑などを建立、『新選組顛末記』(原題『新選組永倉新八』)なる回想録を記し、同志らの鎮魂に務めた。小樽にて病没。享年77歳。
新撰組の偉業を残そう頑張ったようだが、力不足でした。
力不足なら皆力不足でしたね。
なぜ、永倉だけ嫌いなのか、ごめんなさい、一寸理解できません。
豪放磊落。これってほめ言葉でもありますよね。
暴れん坊。無茶もいとわず。うーん。ほめ言葉に聞こえるのですが。
私がいけないのかも知れないと思い始めましたよ。
自分の技術が、もう古い事に気がついてしまったのですね。苦しさが、見苦しさに直結したんですね。
確かに、見苦しい。同感。
http://www.webvider.com/shinsengumi/index060.html
【佐伯又三郎、殺害】/偏差値50からの【新撰組年表】
佐伯又三郎
「佐々木愛次郎を陥れた男」だとしたら
こいつはサムライじゃない
しかし彼は長州生まれという説もある
とするとこれは長州の間者としての作戦の一環であり
内部攪乱を狙った行動だったのかとも思えないことはない
もしそうなら芹沢派に斬られたのも
それが発覚したからと考えられ別の意味で辻褄が合う
いずれにせよ嫌いな意味で興味のある人物です
そうですね。芹沢の私的な命令で同士を切った男。
長州のスパイ。間者が発覚して切られた男。
芹沢の持ち物を盗んできられた男。
いずれも、相当汚い事に手を染めていたのでしょう。かばう事が出来ない人です。
http://blog.so-net.ne.jp/foolish/2005-03-03
So-net blog:灰色模造紙。:芹沢鴨
やっぱ芹沢鴨かな。
ここにもいろいろ出てますけど、いくら新選組の元を作ったといってもこれはもうむちゃくちゃですよ。
まあ実際には後からの捏造もあるんだろうけど、僕が近藤勇だったらやっぱりいなくなってもらいたい、と思う筆頭だろうなあ。
そうでしょうね。芹沢の良い所はたくさん有りますが、ひっくるめるとマイナスが大きすぎます。今回の大河では、最後にそれを知っていたみたいな事を言っていますが、そりゃ無いです。やはり、強いが、のん兵衛。悪酔いの大将だったのでしょう。そんな人間でもすぐに切れないところに初期の新選組のジレンマが有ったように思います。
http://www.bakusin.com/yamanami.html
幕末維新新選組 山南敬助
山南敬助
非常に度量の狭いエピソードが多くてうーんと思ってしまいます。もちろんその時代その場にいないのだから勝手な偏見ですが。
鎖帷子が自分にだけ来ていないと言って怒ったりとかですが。新撰組!を見るまではやはり好きになれませんでした。見てから揺らいだのですが。
これだけはわかってください。あの時に気去り鎖帷子が無ければ、彼は出陣できない様な基本の事なんです。心が狭い広いではなく、基本中の基本ができていなかった。ここに、山南さんは怒ったのです。しかも、それは土方が「わざと」やった事、、だとしたら、、。
こんな具合に、裏を読むのも新選組の研究の醍醐味ですね。
まあ、山南さんは、意外にプライドが高い人。そう見るのが正解です。しかし、今回の大河は、山南さんよかったなぁーー。
http://www.tamatsukuri.or.jp/shinsen-hp/top.htm
�V�I�g���n�����j�u���V���E���ԏd���v
「芹澤鴨」
たまたま見たドラマが「ずる賢い」イメージだったから。。
ああ、調べるとそうでもなさそうですね。。。
ずるがしこくは無さそうですね。
乱暴者のイメージ。酒乱です。
でも、調べると意外と良い所がある。
ドラマは、書き手、演じ手が狙って悪いイメージにしますからね。(でも、今回のご回答は、ドラマや本、漫画からだけのイメージも有りですから、ご心配なく。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B9%E6%B2%A2%E9%B4%A8
芹沢鴨 - Wikipedia
たしかに新撰組創設には鴨の力が不可欠だったかもしれないが、権力を持った後の鴨の職権乱用はいただけなかった。
現在の悪徳政治家にその面影が見えるような気も・・・
鴨の方が、よっぽど純粋のような気がするのは私だけでしょうか?
彼も、もうちょっと上を狙っていれば、名局長になれたかも知れないのに。
最期の死に様だけみるとすごくあわれなんですが、
やっぱり元々新撰組とは方向が違ったように思います。
それなのに入隊して、事件を起こしたから。
始めから、隊をぶち壊してのっとる考えだったんですね。近藤を見くびり過ぎ。自分ではじめから隊を作ればよかったのに、と思いますね。藤堂は何を思って事にあたったのか?不思議です。
伊東甲子太郎
エリートでも中途半端。竜馬暗殺の際、薩摩の手先に使われた説強し
そうですか。竜馬暗殺の影に甲子太郎有りですか。
知りませんでした。私も調べてみます。
勉強になりました。
武田さん、イヤーなイメージ連発です。
この人もこの質問で、上位確実そうです。
彼は素晴らしい逸材だったのでしょうか?
話に出てくる作戦は、全てずさんな感じがします。
油断だらけでもある。
それでいて、妙に頭の良いイメージがある。よく考えると不思議な人です。
http://www.geocities.jp/str_homepage/rekishi/bakumatsu/shinsengu...
伊東甲子太郎離脱 新選組概史 歴史館-動乱の章-
人物としては非常に興味深いですが、
新撰組の一員としてはどうしても受け入れ難いのが
伊東甲子太郎です。
彼は侍としてこの時代を生きるべきじゃなかった。
彼は政治家なんです。
剣術の道ではまず神道無念流を学び、
その後、江戸深川で北辰一刀流を修めますが、
これも流派の違う浪士同士の連帯活動を
既に模索していたものと受け止められなくもありません。
純粋に武芸を磨くためとは思いがたい部分があるんです。
彼は武装闘争派ではあったが、侍じゃない。
いわば勤王主義者同盟水戸左派浪士戦線議長。
新撰組への参加も極めて政治的で、
すぐに分派独立して、新武装戦線を組織します。
まるで全共闘時代の新左翼諸党派の分裂劇を見るようです。
で、内ゲバで死去。
というわけで、時代を雄々しく生き抜いた男であったことは間違いありません。
しかし、彼には侍としての地位と立場が邪魔すぎました。
彼の政治力も思想も、侍の立場では活かせなかったんです。
新撰組とは相容れなかった男。
新撰組の一員としては語れない男でした。
そういう見方が正解ですね。純粋に新撰組側から見ると、単なるガン。しかし、自分で隊は作れない。やはり、根っこは勇と同じ、肩書きの無い悲しさか?
全共闘と対比してみるのも参考になるかも知れませんね。有難うございます。(あっ、Tom Catさんでしたか。さすが深い読みをされると思いました。)
伊東甲子太郎です。
新選組は佐幕組織なのに対し、伊東は勤皇派。
近藤勇と面会し尊王敬幕と攘夷で意見が一致したのは判るんですが何を目的に、新撰組に参加したのかはっきりしてない…って、間違いでしたっけ?
それに、局長暗殺も企てたりしてますし!
好きになれません…。
甲子太郎。ホントに中途半端ですね。
本当は、純粋な勤王党に改めたかったのですが、尊王倒幕と新選組は全く別物。それが何とかなるとはどう考えたのか。近藤さえいなければ、何とでもなるような集団だと思ったのでしょうか?不思議です。
伊東甲子太郎:後から入ってきてのっとりをくわだてて、それが果たせないとすると御陵衛士を分派し新撰組から独立して勝ち組の薩長の仲間になろうとした。
甲子太郎。やはりこれに尽きますか。
そうだよねー。私もそう思います。
そろそろ、締め切ったほうがいい頃でしょうか。
ありがとうございます。
阿比留。
何しに来たの。確かに。
でも、嫌うほどの事もしていない。
情けないけど、名前が強烈なため何故か覚えてしまう。こういう損な人っているんですよね。
吉村貫一郎。
本、ビデオをみた影響もありますが、誰よりも最も剣の腕もありながら、NHKの新選組に登場しなかった・・。
ごめんなさい、吉村貫一郎はすきで、放送(登場)させなかったNHKが嫌い!!!
あらら、そういうことですか。
吉村貫一郎出てませんか?NHK。それは片手落ちですね。この際、新選組!と壬生義士伝は全く別物と考えてあきらめていただくしかない。
来年の正月番組で「その後の新選組」(近藤が死んでから、おそらく函館まで)が放送されるようですね。その第三弾として、同じメンバーで「壬生義士伝」をやれば、きっとNHKも評価されるかも。
この企画面白そう。
新見錦
武田観流斎も悩んだのですが、彼にはまだ人間の弱みというか人間臭さみたいなのが感じられますので。
新撰組結成時の隊長でありながら、すぐに副長に降格。芹沢の片腕で悪行三昧。虎(芹沢)の威を借りた狐(新見)というのが芹沢以上に許せないのです。
新見錦ですか。意外です。なるほど、芹沢の影に隠れていたのが卑怯と言う事ですか。私は、実は、、、意外と面白い人間かなと思っているのです。いかにも、人間的ですよ。この人は。実は結構
強い。でも芹沢には勝てない。苦しいところですね。
『新見錦』です。
状況に応じて、近藤についたり芹沢についたりするところが嫌です。
私利私欲のためにしか動いていない印象があり、結局最期は「自業自得」という亡くなりかたをするはめになりましたね。
新見錦。意外と意識されているのですね。
自業自得。そうですね。
人間というものは悲しいなぁ。ついたあなたが悪いのか。つかれた鴨が悪いのか?
七番隊隊長 谷三十郎です。
武田観柳斎と共にドラマ等では「嫌われ役」ですね、昨年の大河ドラマでの『あの笑い方』はかなり生理的に嫌な感じが出ていて好演でした。
新撰組に対してもかなり貢献しているのですが、残っているエピソードはあまり好感が持てるものがなく、映画『壬生義士伝』では一番の悪役で描かれてますね(笑
自分の出身と立場を意識して隊士に対して横柄、いつの時代でも嫌われるタイプですよね。最後も暗殺されたようですし、そうなる理由があったものと推察されます。
逆に時代が時代なら槍の腕でもっと活躍する機会が多かったのでは?と思わせられるのも興味があるところです。
谷三十郎。引き笑いですね。ひゃ-ひゃ-ひゃ-、と引付を起こすように笑う。明石家さんまの笑い方。
ちなみに、この役者さん「東京ヴォードヴィルショー」の「まいど豊さん」。舞台では面白いですよ。今年はもう終わったと思いますが、「あほんだらすけ」という舞台をやっています。まいどさんは客いじりで笑わしてくれます。
さて、本当の谷三十郎は原田左之助の師匠ですよね。強いのか、弱いのかわかりにくい人です。
谷や武田など、だれでも共通なのですが、威張るのは×。心がけましょう。
http://www.bakusin.com/taisimeikan.html
幕末維新新選組 隊士名鑑
伊東甲子太郎
頭が良くて腕も立つ。しかし、最初から目的がありましたからねぇ。
考えていることやったこと全てがイヤですね。
考える事、やった事、そしてそのすべてに失敗した事。無理は無理。普通なら、脱退の時点で切腹ですよ。無茶だなあ。この人。
再び楽しい質問ですね。
嫌いなのは、武田観柳斎です。
強気を助け、弱きを挫くイメージ。
私の上司もこのタイプ。
私の上司もですか、、笑いますね。
今日ビルゲイツのセミナー聞いてきましたが、時代を先取りできるか、古い技術に固執するか。時代を先読みする力の欠如。これが観柳斎が最後まで威張りくさっていられなかった原因。新選組も全体的に時代を先取りする力が足りなかったのだと、惜しく思います。
芹沢鴨です。
権力のない人ならイラチの威張り屋でも笑って済ませられますけど、この人は威張りたくて動乱の時代を利用したっていう感じです。
新撰組に感動させられるのは、ひたすら武士道を通し続けようとした一途さだと思うんです。不純な動機で権力の座を占めようとした芹沢さんは、きっと生き延びても五稜郭までは行かなかったと思います。
きっと生き残っても五稜郭行かないですか。そうでしょうね。もっと前に飛び出しているでしょう。
お山の大将で居たい人ですから。誰かに利用されてポイと捨てられている景色は想像できますね。
http://www.hatena.ne.jp/1119966195
人力検索はてな - 新選組。「今度は逆です。」入隊経験のある人物で、「近藤勇」「土方歳三」「沖田総司」は除き、嫌いな或いは、嫌いな意味で興味のある人物は誰でしょうか。「「一人だけ」..
芹沢鴨。先の質問に続いて恐縮ですが、今度は出身が同じです。
確かに新撰組の立役者であり、その功績は評価できますが、、、、ゆすりとか焼き討ちはさすがにやりすぎ。
喧嘩っ早いとか短気なのは、ある意味茨城人の特徴でもありますが、それだけでは片付けられ無いんですよね。
最後には粛清されますが、結局は新撰組=権力をかさにきた横暴な集団、というイメージを植付けかねない面があったからだと重います。
忠告したところで聞き入れなさそうですしね(こんな頑固なところも茨城人の特徴)
実際地元でもあまり評判はよくないです。
出身地が同じで嫌いというのは珍しいパターンですね。しかし、やりすぎは確かでした。
頑固な嫌われ者(茨城人の事では有りませんよ)。
評判の悪さも相当です。
PHP研究所 PHP INTERFACE
芹沢さんです。まだ入隊前、部下3人の首を斬った件で牢内にあった時に、小指を噛み切って書いた歌。 雪霜に/色よく花の/さきかけて/散りても後に/匂ふ梅が香 …何だか背中がぞぞーっとしてしまって。この迫力に。
やはり芹沢。牢獄の中でも頑固者。怖いですね。
http://www.hatena.ne.jp/1119869810#
人力検索はてな - あなたの手取り給料が20万円だとします。 増税等で手取り額が下がるとしたらいくらぐらいまで許容できますか? ○万円という風に答えてくれると嬉いです。..
「原田佐ノ介」
るろけんの佐ノ助のモデルらしいがイメージと違うのでちょっと嫌ですね
るろうに剣心。家に有ったらしいのですが、もうブックオフに行ったようです。この漫画が新選組関係とはちっとも知らなかった。漫画読まないので損してます。水木しげるの「新選組」は読んだんですが。関係ないですね。すみません。
http://homepage3.nifty.com/ht/sakusaku/4_1.htm
その他 新選組に関係する作品
伊東甲子太郎
同じ回答多いようですが私も。
やっぱり後から入ってきてあれはないでしょ!というような気持ちからです。
そのとおり。あとからガタガタ言うなよ。悔しかったら自分で作ってみなさい。
こう言ってやりたいですね。
誘った、藤堂も何考えていたんだか?(でも、藤堂は憎めないんですよ。これが、、。)
ありがとうございます。
短気ですか。原田左之助忠は。原田左之助忠一のことですよね。
隊士はおおむね短気ものが多かったですよ。いくらなんでも、お手軽な回答ですね。忙しい方ですから。シカタガナイノデショウネ。