政治的なイデオロギー・信条で分からないことがあるのですが、

親米・反米、親亜・反亜(中国・韓国)
という軸を考えた時に、
太平洋戦争の歴史問題を基にすると、

反米・反亜
(日本は亜細亜に利益をもたらそうとしていた。
それを侵略戦争だったとする亜細亜諸国はけしからん
&そんな日本を原爆などで無差別攻撃をしかけた米国こそ悪だ)

親米・親亜
(日本は侵略戦争という悪いことをしていたのだが、それを米国は正してくれて感謝している。(無差別攻撃も、暴走日本を諌めるために必要だった))


の二つは、論理的に分かるのですが、


親米・反亜
(日本は侵略戦争なんかしていない。
but そんな善良な日本を無差別攻撃して崩壊させた極悪米国には感謝している……????)

反米・親亜
(日本は悪い侵略戦争をしていた。それを止めてくれたのに、米国は正義ではない。←ただ、これは「手段が悪かった」という主張があり得る)

の二つ、特に前者が良く分かりません。
(前者が多い気がするのに)

太平洋戦争の歴史問題では、うまく矛盾の無い説明は出来ないのでしょうか?

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回答9件)

id:clockwork_mikan No.1

回答回数248ベストアンサー獲得回数4

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Amazon.co.jp: 紺碧の艦隊〈1〉運命の開戦・帝都初空襲: 本: 荒巻 義雄

URLはダミーです。前者についての回答です。


>(日本は侵略戦争なんかしていない。

>but そんな善良な日本を無差別攻撃して崩壊させた極悪米国には感謝している……????)


伝えられる一連の残虐行為や占領・統治政策において、

アジア諸国(特に中韓)から言われる程には理不尽なことはしていない、

また、当時の世界情勢・経緯を鑑みても(進出は)宜ることではなのか?とする一面。


しかし、国民を過度に圧迫・疲弊させ、

無謀な戦争(特に日米開戦)へと駆り立てた、

当時の政権、軍首脳を忌避する。

また、結果としてそれらを排除し、

自由で豊かなアメリカン・デモクラシーをもたらしてくれた米国には感謝する。


と言った感じになるんでしょうかね。

時系列の観点から言えば、日中戦争より後に

日米開戦が来るところがポイントかと思います。

つまり、盧溝橋事件(1937)からの一連の流れ(日中戦争に入るまで)は是とする。

ではあるが、それ以降の軍の暴走は否、とするスタンスかもしれませんね。

id:match7

なるほどね。

すごく面白い回答でした。

clockwork_mikanさんは名前を見かけたことなかったけど、今後胸に刻んでおきます。

他にあればお願いします。

2005/08/03 04:33:35
id:todo_todo No.2

回答回数393ベストアンサー獲得回数14

http://www.hatena.ne.jp/1123005288#

人力検索はてな - 政治的なイデオロギー・信条で分からないことがあるのですが、 親米・反米、親亜・反亜(中国・韓国) という軸を考えた時に、 太平洋戦争の歴史問題を基にすると、 反米・反..

URLはダミーです


親米になるのに、感謝は必要ありません。

アメリカという国は、宗教のようなものであり、アメリカという国の正しさを常に宣伝し、ディズニーランドやマクドナルドなどによって子どもの頃から米国の文化に親しませることで親米派を増やしています。

ミッキーマウス柄の服を着たおばかさんたちが原爆投下について考えたことがあると思いますか?


一方反亜にしても、子どもの頃、在日韓国人の子どもとの間でいさかいがあったとか、今現在の中国、韓国の人々の反日行動を見て、嫌いになったとか(ペヨンジュン氏が竹島を韓国領だと主張したことで熱のさめたオバサマは多く存在すると思われます)いった単純な理由が多く、理由を深く考える人は少ないと思われます。


また、「戦争を止めてくれた」などと考える人はほんのわずかであり、何も考えないか、策略によって日本を戦争に追い込んだ汚い国(イラク攻撃も同様)と考える人のほうが多いと思われます。


反米になればむしろ親亜になる傾向のほうが強いと思います。地政学的に言っても、親米・反亜は不安定だからです。また、日本は歴史的に中国から学ぶことが多く、その後西洋から学ぶようになったことから、中国の思想に理想を求める知識人も多く存在します。


いずれにしても、複合的な背景が存在する上に、一人の人間の中に存在する傾向も1つだけではなく、更に言えば、単純に2分できるものでもないと思います。


アジアの情報にせよ、アメリカの情報にせよ、積極的に求めることなく入ってくる情報は、完全にフィルタされた情報であって、真実に近い姿を伝えるものではありません。


しかしほとんどの人は、あえて他の国の実態を調べようとしないでしょう。そんな状態で親米だ反米だといっても無意味だと思います。

id:match7

いえ、そういう一般論を聞いてるんじゃなくて、

いわば、論理ゲームというか、

純粋なる思考として、

親米・反亜は、太平洋戦争という歴史問題では語り得ないイデオロギーなのか、

ということを聞きたかっただけです。

1さんのような意見が聞きたいのです。

太平洋戦争に限らない普通の理由を知りたいわけではありません。

2005/08/03 10:58:05
id:kn2 No.3

回答回数23ベストアンサー獲得回数0

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Amazon.co.jp: 敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人: 本: ジョン ダワー,John W. Dower,三浦 陽一,高杉 忠明

親米・反亜ということですが、この場合、親米という考え方が出てくるのは、基本的には太平洋戦争というのが軍部の一部(上層部)の暴走によって悲惨なものになってしまい、米はその軍の上層部を一掃してくれたという意味で、日本を正しい方向に戻してくれたと評価する姿勢からだと思います。

この論理はそのままアジアにも当てはまり、アジアで残虐な行為をしたのは一部の軍人、あるいは軍の上層部の非人間的な命令によるものであり、その責任をとやかく言うのはどういうモノかという姿勢でしょう。

さらに、彼らが特に反亜の根拠とするのは東南アジア(タイなど)では戦後それほど反日の動きが見られなかったということもあるのかもしれません。東南アジアは東アジアと違って、実際に日本が欧米による支配から解放したと捉えうる事実がある場合もあるので、そのような反応がありうるのだと思います。反亜という発想はそれを根拠として東アジアの国々の反応を過剰なものだと反論するのではないでしょうか。


上にあげられた4つのどれにしても、誰もが納得できる矛盾の無い説明というのはそもそも不可能だとは思いますが、私が想像するところ、そのような考え方は可能なのではないかと思います。

id:match7

なるほど、「一部の軍人=悪」説でも可能ですね。

ただ、韓国は知らないけど中国も基本的には「一部の軍人=悪」説だけど、

僕が見る限りには、何故か日本人の親米の人達は、

「一部の軍人=悪」説ではないような気がします。

でも、可能っちゃあ可能ですね。

2005/08/03 11:01:51
id:castle No.4

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12

ポイント20pt

http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]

論理ゲームのおけるちゃぶ台返しになりますが、親しみも反発も根っこには感情が絡んできます。

そこで親米・反亜についてですが、こういった感情的な面において、敗戦に直面した当事者の話や本などでは、玉音放送が聞きながら「悔しくはあったが、閉塞感から開放された晴れやかな感覚もあった」という言葉をよく聞きます。

だから、アメリカには力を出し尽くして負けたという諦めもつくのですが、中国や韓国に負けた意識はない、という実感が論理を作り出しているのではないでしょうか。

そういう論理への反発として反米・親亜が出てきたような……。論理は発言者の立ち位置で変わりえるものです。論理を作っている体験的な実感がまずありきなので、敗戦当時の空気がよくわからない現在から見ると論理の繋がり方に首をかしげるのですが、当事者にとっては矛盾を感じにくい構造なのではないか、という感じがします。

勝てば官軍の法則ですね。

id:match7

ふむふむ。何となく理解出来る考え方ですね。

阪神に負けたのは納得いくけど、巨人に負けたのは納得いかねー、みたいな(違)。

2005/08/04 01:20:40
id:YOW No.5

回答回数69ベストアンサー獲得回数1

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Amazon.co.jp: 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性: 本: 小熊 英二

これは3年前に良く売れた本でわたしも借りて読んだのですが、

小熊英二という慶応大学の若手の先生の『<民主>と<愛国>』に詳細が描かれています。


まず第一に、

昭和30年代頃までは、未だ人口が都市部に集中していなかったこと、

つまり地方の農村等に人口が分散していた点から説明できる部分があります。

空襲を受けたのはそうした地方ではなく主に都市部や軍需施設がある地域なわけですね。


さらに「はだしのゲン」などにも書かれていましたが、

農村部においては「とにかく配給だけで、ひもじかった」

という戦中戦後を生きていたわけではなく、収穫があってそれなりにゆったりとしていた所が結構あったらしいのです。

当時、日本人で農林水産業従事していた人口は、正確には覚えていませんが、

7割以上はいたのではなかったでしょうか。

なので、よく「戦争の記憶」として語られる戦中戦後直後の「ひもじい苦労話」は(沖縄は別として)、

案外都市部での場合になる、ということです。


で、今のように情報があまねく日本列島伝わるテレビや雑誌の普及もなかった時代の事ですから、

地方に住む日本人と都市に住む日本人とでは、米軍の民間人無差別攻撃やその後の占領政策への印象には、ズレがあったと思われます。


>親米・反亜

>(日本は侵略戦争なんかしていない。

>but そんな善良な日本を無差別攻撃して崩壊させた極悪米国には感謝している……????)


ご質問のこの部分は、比較的豊かな地方の住人の印象ではないでしょうか。

『<民主>~』では、

戦前から、地方の住人と都市部の「市民」との潜在的な軋轢があって、

都市の市民は、情報の少ない地方を見下し、

地方住人は、都市部のいけすかない「市民」を決して心良く思ってなかったと。

なので、


>そんな善良な日本を無差別攻撃して崩壊させた極悪米国には感謝している


これは、都市市民を丸裸にしてくれてスカっとしたので米軍には悪い気がしていない、

というような状況を、当時の個人の日誌等の記述を参照に説明されています。

ドラマでよく、空襲で焼け出された都市部の者が、田舎の農家を回って「竹の子生活」してしのいでいて、

農家はそれを足げにしてけっして同情的になってくれない、なんて場面が出てきますよね。


あと、上の著書で、満州等から復員してきた男たちが、たとえば現地女性をレイプして惨殺したというのを

あくまで武勇伝として自慢げに語る人が、戦後ある時期までは結構あった、

とうエピソードも挙げてます。

この間、あるメディアで亀井静氏が、子どもの頃そういうおじさんたちの話を聞かされて恐ろしかった

と語っていたのも、聞きました。


都市部と地方で、随分温度差があった、ということです。

あと、年代によっても戦前生まれか、戦中戦後直後子どもとして生きていたかで

随分大平洋戦争観に違いが出てくる調査も報告しています。

id:match7

論理とはちょっと離れるかもしれませんが、すごく面白い見識でした。

確かに、僕は地方出身で、農家だったので、

うちも戦争中は、そこそこ戦火こそあったものの、

戦後も特にひもじいという程ではなく、

むしろ、今の方が、都会に比べるとひもじいくらいです。

(ってか、亀井静香と地元一緒だもんなー)

戦争に関しても、都市部と地方農村では認識にかなり違いがあったような気はしますね。

(うちの祖父母とかからの話を聞いても)

2005/08/04 01:24:57
id:noharra No.6

回答回数15ベストアンサー獲得回数0

ポイント3pt

反米・親亜

大東亜共栄圏の思想とはまさに、欧米列強によって抑圧されたアジア諸国が連帯して列強と戦う(日本を先頭に)、というものです。したがって当然、反米・親亜になりますね。


親米・反亜

 古事記の時代から日本には朝鮮差別的言説があります。自らを良いものとするために隣国を差別するわけですね。明治以降、日本はいち早く欧米化することにより、アジアの中で自分だけが欧米並というアイデンティティを身につけました。戦後アメリカに占領され、従属によってアイデンティティを米国化することを選んだ人たちが多かった、ということかな。

id:match7

うーん、それは分かるのですが、

太平洋戦争と絡めた回答が見たかった。

2005/08/04 01:26:49
id:monono No.7

回答回数19ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html

ポリティカルコンパスについて

URLはあまり関係ないです。


親米/反米が「太平洋戦争時の米国を肯定/否定」

親亜/反亜が「太平洋戦争時の日本を肯定/否定」

なのか、

親米/反米が「現在親米/反米の立場にいる」

親亜/反亜が「現在親亜/反亜の立場にいる」

なのか、

どちらなのかわからないので、定義する必要があると思います。


一応、前者だとすると、

「日本は悪い侵略はしていないが、それは国内を犠牲にするものであった。敗戦によって結果的に豊かな暮らしを手に入れたので、米国に感謝するべきだ」

後者なら、

「日本は悪い侵略はしておらず、現在の歴史観は不当だが、現状で(中・韓より)米国側にいる方が日本にとって利益があるので、親米だ」

といった感じかな、と思いました。

id:match7

ああ、いい加減でしたね。

反亜ってのは、今でも昔でもいいんですが、

太平洋戦争観において亜細亜に反発って意味です。

(つまり、侵略戦争だと言ってるが違ーうって立場。)

反米ってのも同様で、日本をやってくれた鬼畜米英めー!って思うかどうか、ってことです。

太平洋戦争中心に。

一つ目の意見は、1番目の方と同じ流れですね。

二つ目は、今利益があるかどうかは太平洋戦争から離れるので今回の質問とは違うってことで。

ややこしくすいません。

2005/08/04 01:31:53
id:apre No.8

回答回数16ベストアンサー獲得回数0

 URLはダミーです。

 戦後60年になっても未だにあの戦争を総括できていない日本人の未熟さを感じます。

 侵略戦争であっただの、いやそうではなく、欧米の植民地からのアジアの開放を目指した正当な戦争であっただのを未だに論じていること自体が不思議です。国際社会ではすでに侵略戦争だったと認識されているのではないでしょうか。

 サンフランシスコ講和条約はともかく、日中、日韓の共同声明・平和友好条約・共同宣言はその認識に基づいたものではなかったでしょうか。

 東京裁判の呪縛なんてとっくに消えた時期にあっても、日本は政府として一言もあの戦争を国際社会に向けて正当化する発言をしていません。なのに、一部政治家の不用意な発言や、最近では小泉の浪花節的な靖国参拝などで中韓の感情を逆なでしていることは、つくづくアホに思えてきます。

 同じ敗戦国のドイツは、徹底的に謝罪し、戦犯に時効を認めず自らの手で未だに追跡し逮捕・訴追しています。ドイツ首相がポーランドを訪問するときは、ナチス被害者の墓地にひざまずいて謝罪することから公式訪問の日程を始めています。また、侵略した国からドイツへ移民を希望する者には相当期間、無条件でビザを発給していました。そのような徹底的な反省をしたからこそ、ドイツは逆に信頼と尊敬を得ることに成功したのです。

 日本はどうでしょうか? A級戦犯や将校クラスがいつの間にか総理大臣や閣僚になり、大元の天皇制すらいまだに温存されている。入国管理行政は、明治以来の外国人的視然とした実態である、などと、お粗末極まりない対応です。


 私には、あの戦争を今頃になって正当化しようとしたり、靖国参拝をしたりする人々こそ、日本を国際社会から孤立させるものであり、忌まわしい言葉ですが「非国民」であるように思えます。

 一部の人々は、あの戦争は「時の政権や軍部の独走」と一握りの上層部に責任を集約しようとしていますが、それらを嬉々として支持していたのは日本国民です。反対した人々もいましたが、極めて少数でした(私は、戦争に反対して拷問されたり処刑された人々こそ真の英霊だと思いますが)。

 また、開戦にいたる背景には、「八紘一宇」だの、「大東亜共栄圏」だのという、日本の独りよがりの発想があったのです。

 マッカーサーは、占領後、米国の聴聞会で「日本人の精神年齢は12才だ」と喝破しましたが、天皇なんてものを神だと崇めて神風を信じて戦争に突入し、敗戦後はいとも簡単にマッカーサー様様と言いなりになり、今でもアメリカのいいなり、個人レベルでは会社の言いなり、長いものには巻かれろの未熟な意識レベルはそのままのようです。

 質問の趣旨とは関係ないと思われますが、最近の議論は、マスターベーション的な自己満足、自己正当化が多くてうんざり、と言うのが正直な感想です。

「捨ててこそ拾う身もある」

id:match7

いや、どんな意見も理解出来るものですが、

質問に対する答えになってない意見だけは、聞くことが出来ません。

ここは、そういう意見を表明してもらう場ではありません。

そういう、目的のためなら手段を選ばぬ姿勢、

まさに大東亜共栄圏とかと同じに思えます。

きちんと、手段を選んで下さい。

2005/08/04 17:49:21
id:YOW No.9

回答回数69ベストアンサー獲得回数1

ポイント17pt

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/jingo0311k.htm

五十嵐仁の転成仁語(2003年11月後半)

5番目の者ですが、2回目回答です。


回答は戦中戦後直後の意識で焦点して良い、ということなので、

当時の「親米」については追記もう三点。


一つに、「占領政策は最初想像していたのよりずっと、スマートになされた」という印象をおおむね日本人に持ってもらうことに、アメリカが成功していた、というのが一点。

実際は米兵による略奪とか色々あったとも聞くのですが、

とにかく1947年までは、日本共産党ですらアメリカの占領政策に支持的な考えだったらしいのです。


二つ目に、「遠くの敵より、近親憎悪」の心理的風潮。

これは1度目の回答と内容が重なります。

占領者の米兵へ怒りをおぼえるよりも、

例えば、米兵相手に売春することで旨いものを食べている「パンパン」たちが、

ぼろをまとってシラミも湧いた自分たち日本人のことを「米兵にしなだれかかりながら見下している」印象の方に、

よりルサンチマンをおぼえてしまう、というような現象があったり。

知識層はともかく、庶民間の「政治イデオロギー」といっても、広義の意味でのイデオロギー(日本の政治学では『下からのファシズム』と説明してきましたが)ならあっても、

狭義の意味で「イデオロギー」と言えるほどの思想主義は、どれだけあったでしょう。

また極東裁判後も大多数の日本人にとって、アメリカは軍部上層の暴走を止めてくれた、という、「軍部上層の暴走」なんてイメージをどれだけしえたものか、これもなんか疑わしいのでは。


三つ目に、

戦前からの知識層で「自由主義者」の「オールド・リベラリスト」と呼ばれる保守派の人たちのこと。

上記URLで個人のページなのですが、「11月29日」のところを参照下さい。

ここでのいわゆる自由主義(リベラリズム)とういのは、トクヴィル主義?(←違ってるかも?)

読書ノートをちゃんととってなかったので、ものすごく大雑把で至近レベルの説明になりますが、

彼らは戦前から欧風文化を享受してきたリッチな趣味人でもあって(志賀直哉とか)、

欧風を弾圧する軍部を「イケてない低文化な連中」と軽蔑し、

戦中は奇しくも共産党員らと並んで、自分達の生活様式と私有財産の保全のために、

戦争非協力「非転向」貫いたことで知られます。

こういう人たちが「軍部の暴走うんぬん」最初に言うのは良く分る。

また、先に紹介した「<民主>と<愛国>」によれば、こうした日本の階級社会の上層にいた趣味人は反アジアというよりアジア軽視であったことは、否めない、ということだったかと記憶しています。


あと、以下は別に質問者に言ってるのではないので

少なくとも「大東亜共栄圏」がかつて夢であって理想としていて戦争の大儀であったとするのなら、戦後アジアを「日本が解放してやったのに」と、酷い失恋させられたみたいな態度しか出来ないのはいかがなものか(笑) かっこわるいですね。


あと、先の回答で誤記訂正があります。

亀井静香氏ではなく、あれは加藤紘一氏の話でした。

id:match7

がーん、亀井先生じゃなかったんだ!!

まあ、加藤紘一氏も好きだからいっか。

2005/08/08 18:26:22
  • id:todo_todo
    やっぱりね

    いわゆるIQだけは高い場合に、陥りやすい現象ではある。
  • id:match7
    Re:やっぱりね

    うーん、意味が分からないんですけど。
    todo_todoさんの回答は、クローン人間の際もそうでしたが、
    物事を客観的に捉えるという姿勢が欠けているように思います。

    僕のようなのがIQだけは高い場合に陥りやすい現象なら、
    todo_todoさんのは、EQだけは高い場合に陥りやすい現象ってとこですかねー。
    (僕は、挑発発言は嫌いなので、出来れば挑発発言はなさらないで欲しいです。)
  • id:todo_todo
    Re(2):やっぱりね

    ところが、インターネットのおかげで、いろんな人と議論をできるようになってみると、自信満々、自分には何1つわからないことはないと言っているような人間の予測に限って、外れることが多い。

    そもそも、私の行動は、他人から「絶対無理だからやめておけ」といわれることがよくあるのだが、私はいままで、そのような反対を押し切り生きてきたし、実現してきた。

    これらの経験から私が知ったことは、自分はもっと自信を持っていいのだということである。

    match7さんにとって、私の持つ発想は「想定外」であり、考慮すべきでも理解すべきでもない発想なのだろうと思う。しかし、私から見れば、match7さんは、発想の枠組みを壊すことができないとしか見えないのだ。

    世の中には「靖国神社参拝反対」といえば、「親中だ、自虐史観だ、けしからん」としか発想できない人がいる。むしろ通常、そのような発想しか持たない。そして「ケリのついた話」としてそれ以上の思考を停止してしまう。

    この質問は発想の枠組みに疑問を持つ質問のように見えながら、壊すことができていないが故に、「やっぱりね」と書かせていただいた。

    挑発したのも、質問文から、そのような「先入観」を持ったからである。見事挑発に乗せられたことには気づかれなかったようだが。

    残念ながら「衆愚」は、世の常である。また、優秀であるにもかからわず、仮説を立て、検証し、説に反映しなおすという、理論を発展させるためには必然のプロセスをとることができず、仮説に反する事例は無視する人間も数多く見受けることができる。

    半年ほど前にもそのような人物の一人と議論をした。彼は、自分の誤りまでは理解できたが、自分を成長させることができず、反動に走ってしまった。

    人間は常に誤りながら生きていくものだとは思う。だからこそ、仮説の誤りにを受け入れる姿勢は常に必要なのだ。そうでなければ宗教家にならざるを得ないだろう。

    ものごとを客観的に捉えることは、実に難しい。そして私が理解している限りにおいて、それができている人間は実にわずかである。皆、自分の経験に縛られ、自分と他人とは違うということすらすぐに忘れてしまう。

    感情は、理解の邪魔をする。その点においてわたしの手法が間違っていることは素直に認めたい。しかし、発想の枠組みを壊す努力は常に行ってもらいたい。発想の枠組みを強化してしまったら、複雑な現実に対応することはますます困難になるだけなのだから。
  • id:match7
    Re(3):やっぱりね

    難しいことをおっしゃいますね。
    「やっぱりね」
    と言う言葉が、ぱっと受ける印象ほど悪意を持っていたものじゃないのは分かったので、
    もうこれで終わりにします。お疲れ様でした。
  • id:YOW
    Re:やっぱりね

    わたしはてっきり、志賀直哉のことかと思ってましたが。
    主語等きちんと書かないと、批判してる意味ありませんね。
    政治に関心ある人なら、言葉には几帳面であるべきだと思います。(丁寧語敬語とかそういう几帳面さではなく)
    それには、悪意的かどうかなど、さして重要ではないものです。

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