「人生に解はない」とよく言いますが、

幸せについての定義がなされていて、選好の完備性・推移性が満たされていれば解は存在するのではないかという気がします。
この場合でもなお、人生に解は存在しないのでしょうか?論理的に証明して下さい。

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回答8件)

id:jyouseki No.1

回答回数5251ベストアンサー獲得回数38

ポイント10pt

幸せについての定義がなされていて、選好の完備性・推移性が満たされていれば解は存在するという意見には賛同します。

しかし、この世の中に完全に同じ人間がいない以上、定義から外れる人が今後生まれてくる可能性があるため、やはり解はないといえるのではないでしょうか。

id:wiateria

回答ありがとうございます。確かに、幸せについて定義は個々人で異なっていると思います。

各人が明確に幸せの定義を持っている時に、彼にとっての人生の解というのを必ず持ちうるのか、というところに興味があります。

2006/02/17 01:14:10
id:nischiura2006 No.2

回答回数734ベストアンサー獲得回数4

ポイント10pt

http://www.hatena.ne.jp/1140104567

人力検索はてな - 「人生に解はない」とよく言いますが、 幸せについての定義がなされていて、選好の完備性・推移性が満たされていれば解は存在するのではないかという気がします。 この場合..

この回答が的外れでないことを祈ります。もし的外れの場合はポイントは結構です。


学校数学では「解が必ず存在する」という暗黙の前提で成り立っていますが、数学の世界に限って言えば「解がない・解が存在するかどうかそのものがわからない」ことのほうが多いのです。ですから、(数学よりも)より複雑な人生において「こうすれば必ず~なる」「こうするのが正しい」と言う意味の解は存在しないと思います。

ある人にとっては「リスクを取っても資産運用を積極的に行うべき」であろうし、ある人とっては「安全第一」が原則の場合もあるでしょう。

id:wiateria

ありがとうございます。

先のコメントにも書いたとおり、万人に共通の人生の解があるとは限らないという点に関しては同意です。

たとえば、iさんがAとBという選択肢を与えられたときに、iさんの幸せの定義を前提にして正しいといえる選択があるのかないのか、ということを知りたいと思っています。

数学の世界でもたとえば、「解が存在すると仮定するとこんなおかしなことになるから、解は存在しない」といったようなロジックで解が存在しないことを説明したりしますよね。そういう説明をしていただけると有難いです。

2006/02/17 02:14:49
id:makoron-P No.3

回答回数32ベストアンサー獲得回数2

ポイント10pt

http://www.ehara-hiroyuki.com/

江原啓之公式サイト

個人的に、「幸せ」とは「思い込み」であるという結論に達しました。


人生の解については、たましいの修行のために存在するという江原さんの説が一番有力であると考えています。

id:wiateria

質問について補足しますと、「解が存在する」とは「人生において複数の選択肢が与えられた時に正しい答え/正しくない答えが存在する」ということだと考えてください。

たとえば、転職しようかどうか悩んで結局転職のチャンスを見送った友人が「やっぱり転職したほうが良かったかも・・・」とくよくよ悩んでいるようなときに、「人生に答えなんてないんだから」と励ましたりしますよね。

この「答え」というのが本当に存在しないものなのか、あるいは常に存在する訳ではないがある条件が揃った場合には存在するものなのか、ということを問うています。

2006/02/17 03:02:41
id:unakiyo No.4

回答回数2ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

http://www.hatena.ne.jp/list

人力検索はてな - 質問一覧

小学生の夏休みの宿題を例として、あと二日で休みが終るが宿題は殆ど手付かずで独力では終りそうもない状況だとします。この時、「他人手を借りて終らせる」「答えを写して終らせる」「自力でできるところまでやる」「諦める」など様々な選択肢があるでしょう。この時小学生が「答えを写して終らせる」を選択したとします。これが小学生の解です。その結果、宿題は終ったという事実が残ります。教師側は宿題が終ることが一般的には正しい解であると認識し、終わっている事実を見て正しい解を選択したと判断するでしょう。この時、「答えを写して終らせる」「宿題は終っている」という解が同時に存在しています。このようにひとつの事象であっても複数の解が存在します。よって、「答えは存在するがあらゆる主観があるが故にひとつではない」といえると思われます。

id:wiateria

なるほど!

事実を評価する主観が多数存在することによって複数の解が存在するということでしょうか。

2006/02/17 08:29:21
id:TomCat No.5

回答回数5402ベストアンサー獲得回数215

ポイント10pt

http://www.hatena.ne.jp/1

人力検索はてな

解というものは、前提となる世界の範囲によって

その有り無しが左右されてくるものです。


有理数の範囲だけで答えを求めるなら解のない問題も、

無理数にまで広げれば解が得られるかもしれません。

「人生の解」も、それと同じだと思うんですね。


したがって、私は人生に解はある、

自分の認識の世界では見つからないかもしれないが、

自分の認識し得ない世界の方がよほどに広い。

そこにまで探求の輪を広げ、深めていくことで、

はじめて意義ある人生に向かうことができるのだと。

そうと考えます。


自分はどこから来て、これからどこへ行くのか。

何のために今ここにいるのか。


生まれてきた意義は解明できるのか。

自分の存在意義は何によって構成されているのか。


それらの合成された結果としての未来の収束点が、

すなわち「人生の解」ということになってきます。


これを、今現在の自分の認識できる世界の中からだけ求めようとすれば、

それは見つからないのかもしれません。


しかし、それで解なしと結論づけてしまっては、

それはあまりに狭く人生を限定してしまうことにつながります。


むしろ、人生の解は必ずあるはずという前提をもって

幸せという人生の目標の定義を試み、

その構成要素を明確に解明していくというアプローチこそが、

あるべき解法ではないかと思います。

id:wiateria

ありがとうございます。

現実の限定された人生において、解を見つけることが出来るか否か、その解法はなにか、ということは、個人的に生きるうえでの参考にはなりますがここでは問題としていません。

果たして解が存在するものなのかどうなのか、ということに興味があります。

 > 有理数の範囲だけで答えを求めるなら解のない問題も、

 > 無理数にまで広げれば解が得られるかもしれません。

 > 「人生の解」も、それと同じだと思うんですね。

直感的にはそんな気もします。

ただ、

 > 自分の認識の世界では見つからないかもしれないが、

 > 自分の認識し得ない世界の方がよほどに広い。

という場合に、必ずそれが存在するのか?というと、そうではないかも知れないと思うのです。

たとえば、「最大の素数」というのは

“自分の認識の世界では見つからないものであり、かつ、自分の認識し得ない世界の方がよほどに広い(無限に数を数えることは到底出来ない)”わけですけど、

しかしそれでもなお、最大の素数なるものが存在しないということはわりと簡単に証明出来るわけですよね。

そんなふうに、人生の解というのも、直感的に考えるとあるような気がするけど、よく考えてみるとそんなものがあるわけないというようなことが説明できてしまったりすることはないのでしょうか。

2006/02/17 11:12:10
id:matasaburo No.6

回答回数106ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

>質問について補足しますと、「解が存在する」とは

>「人生において複数の選択肢が与えられた時に

>正しい答え/正しくない答えが存在する」ということだと考えてください。


「正しい答え」というのが、「効用を最大化する」と同義と考えてよいのでしょうか。そう考えてよろしければ、「選好の完備性・推移性が満たされている」ということは、「正しい答えというのを認識でき、それを選択できること」と同義ですから、解は存在することになります。この場合、複数の解が存在し得るというのは、効用を最大にする財(いわゆるモノに限りません)の組み合わせ方が複数存在する(無差別曲線が引ける)可能性があるためです。例えば、「転職して給料は上がるが労働条件は厳しくなる」という選択肢と「今の会社にいて給料はそれほど良くないが残業がないので子供と一緒にいる時間を確保できる」という選択肢の効用が同じというような場合です。そういう意味でご質問の中にあった仮定をおいたとしても、複数の解が存在し得ることになります。


「多数の主観が存在するために複数の解が存在する」というのはなるほどその通りだと思いますが、今回の質問で「本人の効用を最大化する」ということが「正しい答え」と定義されるのであれば、多数の主観(他人の効用)というのは本人の効用には直接関係しないので、理屈の上ではそのことが複数の解が存在する理由にはならないことになりますね。


しかし、実際上問題なのは、「各人が明確に幸せの定義を持っている」とか「選好の完備性・推移性が満たされている」という状況はほとんど存在しないということですかねえ。

id:wiateria

やはり、そうなのでしょうかねぇ。

2006/02/17 15:56:04
id:calcium177 No.7

回答回数9ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

2種類の答えがあります。


まず、大きな意味であなたがここに生きていることが「人生の解」を証明しています。

あなたが完全で完璧であればここにいる必要はありません。

全人類は完全ではないが故に人間として生きています。


次に個人の「人生における解」です。


>事実を評価する主観が多数存在することによって複数の解が存在するということでしょうか。


と、あなたが理解しているように、

ある一つの事実は各個人にとってプラスと

マイナスの両面を備えています。


転職しようかどうか悩んで結局転職のチャンスを見送った友人の選択が

正しかったのか正しくなかったのかを判断するには、その友人が

転職した場合の人生と、転職しなかった場合の人生の2つをその人が死んだ後に比較し、

その友人が主観的に判断することになります。


2つの人生を比べたとき、「やっぱり転職してよかったなー」と

判断すれば、その時点でそれがその友人にとっての「人生の解」です。


よって、選好の完備性・推移性が満たされていれば「人生の解」は存在します。


複数の選択枝があれば当然複数の人生が発生しうるわけで、

どちらが「正しかったのか」と言う判断は本人が明確にできます。


もちろん、死んだ後でなければ判断できませんし、

すべて主観に基づいて「人生の解は存在する」ということです。

id:wiateria

回答ありがとうございます。

たとえば、転職しようかどうか悩んで結局転職のチャンスを見送った友人がもし転職していたらその後どうなっていたかということについては、死んだ後でもわからないわけで、

その点ではたとえ死後の本人でも、不完全な情報のもとに「人生の解」を判断しなければいけないわけですよね。

選好の完備性・推移性が満たされていることは、限られた情報のもとでどちらの選択がより好ましかったのかということを判断できるということは保障しますが、

そこでの判断の結論が「人生の解」であるというところまで言えるのでしょうか。

あるいは、そこで判断した結論が存在するから「人生の解」が存在するとまで言えるものなのでしょうか。

2006/02/17 16:26:42
id:schm No.8

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

ポイント10pt

http://myhomepage.finito.fc2.com/

CLUB〜creative music〜

私のホームページのURLです。心理学については若干ですが記載してあります。


まず、個人についての『解』はあると思います。ですが、万人についての『解』は無いと思います。


個人についての『解』とは・・・

対象となる選択で現在および将来的に満足できる内容であることだと思います。

逆に考えれば、一般的に間違った判断であっても、その個人が現在および将来的に満足であれば良いと考えられます。

私個人としては、『人生におけるあらゆる選択肢を意識し、自分で決断すること』が自分の人生における一つの解ではないかと考え生きています。少なくとも今の行き方にしてからは後悔だけはしていません。

俗に言う悟りを開いた状態になれれば、それが個人の『解』なのではないでしょうか。


万人についての『解』とは・・・

『個人についての解』や『人間という種についての解』であり、また『環境全体にとっての解』でなければいけないと考えます(何か一つでも欠ければ万人が満足するものではありえない為)。

ですが先ほど述べたように『個人についての解≒一般的な判断』という場合もあると思うので万人についての『解』はないと考えます。


個人的な意見ではありますが参考にして頂ければ幸いです。

id:wiateria

後悔のない生き方というのは、清々しいですね。

参考にしたいと思います。

ありがとうございました。

2006/02/17 17:54:17

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