「そのように考えるのは良くない事である」という感情が生まれるのは何故?
↑ダミーです。
障害者だって頑張って生きているんです。
障害者の方でも自分なりの幸せを見つけているんです。
その幸せを見つけた人に、「あなたは不幸だ」と決め付けてしまうことに
違和感(むしろ罪悪感)を感じてしまうのでは?
差別は許さない⇒障害者は不幸だ⇒それは差別だ⇒自分は差別をしてしまった。
の図式ですかね・・・。
単純に世の中の押し付けがましい倫理観(学校教育なんてものはその最たるもの)を植えつけられているからでしょう。
個人的な考えはあえて申しませんが、幼少の頃から絵本やテレビ、幼稚園~学校で「人類は生まれながらにして平等」なんて無理のある思想を、あなたの頭の中に(無意識下に)植えつけているからじゃないのですか?
しかし、無理のある思想だから、自我がその矛盾に気づいて、ちょっとした葛藤が起こったために、ここで質問をされている・・・とw
人の頭の中に沢山の立案者がいると仮定します、
その中の一人をピックアップし支持するとその正反対の位置に座る立案者は自分の存在意義を失くしかねません、
だから意見を少し声を張って主張します。
つまり支持されなかった立案者の慰めの椅子だと思います。
それを本心と呼ぶ人もいますよね
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「障害者」がキーでしょうね。
1.「障害者は不幸である」と考えている自分を発見する。
2.障害者は社会的に弱者ではないだろうか。
3.弱者に対して偏見を持つことは良くないことだと社会に刷り込まれた。
4.「そのように考えることは良くないことである」。
自分よりも弱者と思うからそんな感情が芽生えるのでは?「障害者」を「堀江モン」にでも代えて考えてみれば?
http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/002e8f0a.89099887/?sv=2&v=3&am...
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障害者もお年寄りで体が弱って思うように動けなくなった方も、怪我をしている人も、すごく太っている方も同じだと思います。自分の価値観で考えるから、自分が経験した事がその人たちには、出来ないだろうという事を考えて同情してしまうんじゃないでしょうか。
http://www.hatena.ne.jp/1130784153
人力検索はてな - 障害者に対して「あの人は不幸である」という事を考えてしまうと 「そのように考えるのは良くない事である」という感情が生まれるのは何故?..
「人間は生まれながらにして平等である」という言葉に反しているから。
どのような状況であろうと、人の境遇に優劣をつけてはいけない、という考えが頭の隅にあるためだと思います。
日本障害者スポーツ協会
自分が言われた時の事や、もし自分の友、親など身近に障害者がいた場合に嫌な気分になると無意識ながらに感じてるからじゃないかな!
自分に置き換えちゃう
自己愛からクルのか
不平等と感じる事が“差別”に繋がってしまうからだと思います。
質問して、寝て、起きました
差別がダメだからなのですね
http://www.f3.dion.ne.jp/~koropo/index.html
脳外傷友の会・コロポックル(korpokkur) ホームページ
障害というのも、その人の一つの特徴だ、
と考えることができたのなら、そのような
感情は生まれないのでしょうが、そのよう
な理解はまだ一般的ではないからではない
でしょうか。
自分ではできればもちたくない特徴
って考えちゃいません?
偏見
(かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。)http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CA%D0%B8%AB&kind=...
偏見はよくないって思うからですか
2.のコメントについて一言。
>自分に置き換えちゃう
>
>自己愛からクルのか
とのことですが、僕は「自分に置き換える」からかわいそうと感じるということには同意しますが、「自分に置き換える」ことが、即「自己愛」に由来するとは思いません。相手の立場に自分を代入する(つまり相手の立場になって考える)ことはコミュニケーションの基本であると思います。(意識して代入することもありますが)無意識のうちに代入が起こっているから、障害者を見たときに、「かわいそう」と思ってしまうのだと思います。
※コミュニケーションの基本… 人間は自分が感情移入できる(自分の感情と同じような感情を持つと想定できる)物に対してのみコミュニケーション可能だといえると思います。その意味で代入はコミュニケーションの基本といえます。ちなみに、犬やネコをかわいがる時もコミュニケーションが成立しています。喜んでいる、とかお腹がすいているとか擬人的な表現を用いることからも対象に感情移入していることは明らかです。
1.で触れられていた
「人間は生まれながらにして平等でないといけない」という文言は、人間の物理的な平等を指した言葉ではなく、人間の権利的な平等や、機会の均等を指した言葉だと思います。人間はみな同じ姿かたちでもありませんし、地位も違えば金銭的な状況も違います。むしろ、違って当然です。実際生まれつき目の不自由な方がおられたとして、その方が社会の他の人たちと同じように行動できるような配慮がなされるべきですが(いわゆるノーマリゼーションです)、それは目の不自由な分を(視力がないことを代償・弁償するという意味で)社会が補償しているわけではありません。仮に障害者認定にそういった意味合いをもたせるならば、補償額は算定不可能ですし、少なくとも障害者認定で支給される額では到底足りないのではと思います。
実はコミュニケーションを取ろうとしてたからですか
http://www.arsvi.com/0b/94051721.htm
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あの人は不幸である=自分はあの人より幸福である=自分はあの人より上でありあの人は自分より下である。
単純にこういう図式が成り立つからではないでしょうか?
つまり相手を不幸だと思うことで、そこに相手と自分の間に上下関係が構成されてしまうわけです。
・不幸だから助けてあげなければいけない
・可愛そうだから~してあげなければいけない
それはつまり「自分はあの人よりマシ」という感情であり、相手を貶めることにも繋がるからです。
ですから障害者の方は同情されると非常に傷つきます。
自分は不幸なんかじゃない、
自分は劣っていない、
自分はあなたと対等の人間である
彼らはそう主張したいはずです。
これは障害者の人に対してとは限りません。
「あの人は不幸だ」と思う感情の裏には「自分はまだマシだ」という感情が込められています。ひいては「相手は自分より劣っている」という軽蔑の感情にも繋がっているように思います。
「あなたって不幸な人ね」こういう台詞がありますが、これは決して同情ではなく、相手を貶める意味で使われることがあります。
であるから人は「あなたは不幸だね」と言われると否定したくなるのです。
「あの人は不幸である」と思うのは「相手は自分より劣っている」と考えているのに近いですから、障害者の方に対しては特に「よくない」と思う感情が生まれるのではないでしょうか?
実は「良くない」と思うこと自体がすでに相手を自分より「明らかに劣っているから」と見ている事に他ならないのですが。
>・不幸だから助けてあげなければいけない
この結論を心理的に回避したいから、不幸であるという前提を否定するのかもしれないとふと思いました
「あの人は自分より格段に不幸である」と見なすことは「あの人より私の方がまだマシだ」という優越感(いけない快感)をもたらします。この優越感に伴う後ろめたさだと思います。なぜこの優越感が後ろめたいのかというと、この優越感を胸張って認めてしまうと、自分もさらなる強者によって差別され、侮蔑されるべきという事実をも認めることになるからです。だからこの優越感はおおっぴらに他人に言えたりしない。ひっそりと胸にしまってきたい。あるいはそんな感情なかったことにしたい。これが「格差などないものとお互いに考えよう」という平等主義の元になっていると思われます。
すなわち、誰もが持っている「私も弱者として差別されうるのではないか」という不安が露呈しているのです。
不安から逃れたいからなのですね
ご指定のurl、他のページも感慨深く見れますね
ありがとうございます
URLはダミーです。
>『「人間は生まれながらにして平等でないといけない」と頭の隅に置いてしまうのは何故か』
社会を構成する一員としての意識でしょう。
「人間は生まれながらにして平等であるべき」なのは、一種の理想であって絶対の真実ではありません。
逆の言い方をして「人間は平等ではない」ということばには、
1.「人間は平等である必要はない」という結論に結びつく考え方
2.「人間は平等であるべきなのに」という前提に基づく考え方
があります。
後者を「甘い理想だ」と思う人もいるかもしれません。
けれど、「人間は平等ではない」と言い切ってしまう、みんながそれを容認するというのは暗く、悲しい社会でしょう。
「人間は生まれながらにして平等でないといけない」と頭の隅に置いてしまうのは、「人間は平等である必要はない」という社会でなく「人間は平等であるべき」という社会を望んでいるからでしょう。
>「人間は平等であるべき」という社会を望んでいるからでしょう。
そうかもですね、中流家庭に育ったと思いたい自分としては
http://d.hatena.ne.jp/jyouseki/
jyouseki(定跡)の日記
私の人生は非常に不幸で、精神に障害を持ってしまいました。
そのことを書いたブログを運営していますが、送られてくるメールは励ましよりも、非難の方がよほど多いのです。
今の世間がそこまで冷たいのであれば、「不幸である」というような同情はありがた迷惑です。
「自分は非常に不幸である」と言い切るってのはけっこういいセンいってるなあと
回りに何度もそう言ってると同情されるの余地を自ら消す事ができるかもですね
なるほど
・刷り込み
ってのはどうでしょうか
障害者は不幸である、とあなたが勝手に決め付けているからではないでしょうか。
障害者である事実と、不幸であるか、幸福であるかは、別の問題です。
何故なら幸福とは、各個人の心の状態の事であり、他人がとやかく言う問題ではないと思うのです。
他人がとやかくってのはそうかもですね
障害者を見かけると
その瞬間その人が困っているかどうかを判断して
そうでない場合、思考停止する
って事で終了
うん、もう一歩進んで
「人間は生まれながらにして平等でないといけない」
と頭の隅に置いてしまうのは何故なんだろ