【ここで敷衍しておきたいことは「立正大師」なる日蓮大聖人様の大師号についてである。日蓮正宗、本門宗、単称日蓮宗、顕本法華宗、法華宗、本妙法華宗、本門法華宗、不受不施派、不受不施講門派の門下九派が天奏し、大正天皇より追贈された大師号である。
日蓮正宗も一緒に天奏しているので、「立正大師」なる大師号を否定する合理的な理由はない。大正天皇のお后・貞明皇后は日蓮正宗の信仰もされている。また本迹の相対から考えれば、日蓮大聖人様一代の御化導は立正安国論に始まり、立正安国論に終わるものであり、立正大師の大師号は「本門の大師」として何ら遜色はない諡号であると思われる。】
天皇に奏上して、天皇が認可すれば追贈されるようです。
参考:
続けてのご回答ありがとうございます。
明治以降の諡号追贈には、明治政府の仏教軽視に対して、仏教界のあせりがあり、それを政府側も利用したと言うわけですね。
おかげさまで大まかなことは分かりましたが、日蓮の諡号追贈の経緯についてもう少し詳しく知りたいですね。
引き続き、皆さんのご回答お待ちしております。
http://www.maap.com/tanjoh-ji/sansaku/kohi/20tou.html
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>日蓮聖人に立正大師の大師号が宣下されたのは、大正11年(1922)10月13日のことです。
>日蓮宗をはじめとする日蓮聖人門下の宗派、各界で重要な立場にある聖人信奉者が、一致協力して大師号降賜を請願した結果です。
ということで、opponentさんの最初のコメントの通りのようです。
http://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4c1.htm
明治・大正・昭和/関連事項略年譜
>大正4・4・18
>日蓮門下統合期成同盟会、発会式を京都市議事堂にてあげる。日蓮宗など七教団管長、各派統合を決議する。
>大正4・11
>日蓮宗の小泉日慈、正宗阿部日正、顕本の本多日生、法華宗田辺日諭等の管長は教団帰一の理想実現に努む。
>大正11・9・1
>日蓮聖人大師号降賜請願を行う。(snip)
>上記二十名の連名にて『日蓮一代略歴』を添えて文部大臣を経由して宮内大臣牧野伸顕に請願書を提出する。
日蓮門下統合に関する何かがあったのでしょうか。。。
http://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4a.htm
近代日本の日蓮主義運動/近代史・近現代史・日蓮主義・戦前戦後・明治・大正
>明治・大正期の日蓮主義運動の全貌に迫った『近代日本の日蓮主義運動』を刊行
書籍があるようです。
なかなか、核心を突く記述が見つからなくて残念です。
ところで、「立正大師」の名は『立正安国論』から来ているのでしょうね。やっぱり。
ご回答ありがとうございます。
ご紹介いただいたサイトにざっと目を通してみたのですが、諡号のこと以外にも戦前の日蓮宗についての詳細な記述が豊富で、非常に参考になりました。感謝いたします。
「日蓮の諡号追贈の経緯についてもう少し詳しく・・・」ということで、
ページかなり下です。
長くなりますが全文引用します。
>大正十一年九月十一日、「日蓮門下各派」の管長は連名で、天皇より日蓮大聖人に大師号を賜りたいと請願する。すなわち、「伝教大師」「弘法大師」などと同様の「大師」号がほしいと連署して願い出たのである。
「日蓮聖人大師号隆賜請願」と題する請願書に署名した各派管長は以下の通り。
日蓮宗管長 大僧正 河合日辰
日蓮正宗管長 大僧正 阿部日正
顕本法華宗管長 大僧正 本多日生
本門宗管長 大僧正 瀬*島日濟
本門法華宗管長 大僧正 尾崎日?ワ
法華宗管長 大僧正 津田日彰
本妙法華宗管長 大僧正 清瀬*日守
日蓮宗不受不施派管長 一等上座 釋日解
日蓮宗不受不施講門派管長事務取扱 権大僧正 佐藤日柱(別ページの顔写真参照)
この請願書に応え、同大正十一年の十月十日、宮内省より「日蓮宗宗祖日蓮へ諡號宣下候間來ル十三日午前十時參省可有之候也」との知らせが、各派管長宛に届いた。
日蓮大聖人御入滅の日にあたる同年十月十三日、日蓮宗管長磯野日筵、日蓮正宗管長阿部日正、顕本法華宗管長本多日生、本門法華宗管長尾崎日?ワ、本門宗管長瀬島日濟代理井上日光、法華宗管長津田日彰代理荒川日治、本妙法華宗管長清瀬日守代理蓮池順良、日蓮宗不受不施派管長釈日解代理鷲日耀の八人は、宮内省に参省した。
宮内大臣より宣下書が各派管長に下された。大師は「立正大師」とされた。添え状は次のように書かれていた。
「 日蓮宗各派管長
今般 特旨ヲ以テ其宗宗祖日蓮へ大師号宣下候事
大正十一年十月十三日
宮内省」
「宣下書」および添え状を下された後、各派管長を代表して、顕本法華宗管長の本多日生が宮内大臣より「謹話を承り」、一同は宮内省を退出、築地水交社に向かった。
水交社とは、海軍将校のために社交・共済を目的にした団体である。同様なものとして、陸軍には偕行社があった。この築地の水交社で、日蓮宗管長の磯野日筵を導師として後の七人がそれに従い、寿量品を読経し唱題をおこなった。
日蓮正宗法主の阿部日正上人が、日蓮宗管長の磯野日筵と顕本法華宗管長の本多日生とのあいだに立って写っている、この問題の写真は、宣下書を下された大正十一年十月十三日のものである。
「金口嫡々唯授一人血脈相承」を受けて登座しても、日蓮大聖人の生命も日興上人の精神も自動的に流れはしない。肝心なのは、本人の信心である。
日蓮正宗法主の阿部日正上人は、翌大正十二年八月十八日に亡くなられた。大師号を請願した大正十一年の秋に下顎にできた腫瘍が悪性のもので、翌年に逝去された。法主であっても謗法を犯せば仏罰厳然たるものがある。
次期法主は、日柱上人(第五十八世)派と日開(第六十世)派の争いとなった。日正上人は、日柱上人への相承を日開派より妨害され、相承を病床より信徒を介して日柱上人に付嘱された。いうなれば、密使を介しての相承であった(本紙第316号詳述)。
「地桶」選集
[日顕宗の権威権力と戦った
民衆凱歌の貴重な記録である]
上記サイトのトップページです。
一貫して山崎正友批判のスタンスで書かれているようですから、質問者の望んでおられる情報とことなりましたら、ご容赦ください。
失礼しました。
ご回答ありがとうございます。ngpakaさんには前回の質問でもお世話になりましたね。
相容れないはずの各派が呉越同舟したり、軍閥の後援があったりと、大師諡号の裏にはかなり生臭いものがあったようですね。学会寄りというのがちょっと気になりましたが、とても興味深いサイトでした。おかげさまでかなり疑問が解消しました。感謝いたします。
ご回答ありがとうございます。
なるほど、奏上→審査→追贈という感じなんですね。