まず、「パンドラの箱」はエラスムスの誤訳です。
また、希望は偽の希望です。
「残酷さの総仕上げとして、ゼウスはまやかしの「希望(elpis)」をも人間に与えた。彼らが絶望のあまり、天界の父の意志によって自分たちに課せられた苦難の報酬から逃れようと、自殺をはかるのを阻止するためであった。この神話の基本的な主題はイヴEveの神話においてもなじみのものである。 」
基本的にオリエント神話の一つで、アダムとイブの話と同起源です。イブにとって禁断の木の実を口にした結果、男との性的な快感に支配されるようになる(←不謹慎な話ようですが聖書にそう書いてあります)、というように、バンドラの壺の場合も、偽りの希望で人間が自由を失うわけです。
参考までに。
少なくとも、そう言い伝えられてはいますが実際には分かりません。
また、人によって色々見解が違います。実は残ったのは「希望」ではなく「未来」で、
それが飛び出していたら人は自分がこれから経験する未来が全て分かってしまい、
人々は不幸になってしまっていたのだ。 とかいう考えを見たことがあります。
いろんな災いがばら撒かれて希望だけが残ったら最悪だと言っている人がいます。
12月4日のところ参照。
http://www.srs.ne.jp/~north/text/misc/e21.html
TextPage/Misc/Hope
ただ一つ、空しい「希望」だけは、ぐずぐずして思い切りの悪い性質から、まだ甕の中から出きらないで、縁の下にとどまっていた。
[ギリシア神話、呉茂一(新潮文庫)]
回答してくださった方々、ほんとうにありがとうございました。