http://www.hatena.ne.jp/awindow?qid=1078319923
awindowさんのプロフィール - はてな
哲学的見地から言うと、“わからない”が答えです。
それゆえ、僕はわからないことをあたかも客観的事実として捉えている坊主が嫌いです。
可能だと信じています
序文
1.これまでの死生観
輪廻転生
2.死について
身近な死の経験を通して
死に対する恐怖
暖かい治療−死の受容−
死後の生について
3.誕生の瞬間から見えてくるもの
新生児の秘められた真実−その科学的証明−
誕生の記憶
より自然に
胎児の記憶からたどる
4.輪廻転生
現代の輪廻転生に関する考察
前世療法
人間の生きがいとは何か、という視点から
「生まれ変わり」「死後の生」説の有効性
終わりに
申し訳ありませんが個人的感想になります。
参考にならなければポイントは結構です。
サイエンティフィックに考えると輪廻転生はありえないと思います。
人が死ぬことにより、その人の遺伝情報や思考の元となるニューロンの結合などは全て無となってしまうため、その人の意思や人柄を受け継ぐ新しい生命の誕生は不可能だと思います。
生命活動とは化学反応の集合体です。生体内で営まれている化学反応を忠実に再現する、しかも種を超えてそれを実現するのは不可能であり、科学的根拠に全く立脚していないと思います。
http://www.interq.or.jp/mars/tozai/special/karma1.html
移転のお知らせ / 東西占星術研究所
輪廻はモトモトの意味は、現世は苦しみの世であるという前提があるのでおいて置いて・・・、単純に転生は可能か?というところに論点を絞って…。
転生。ここはひとつ可能に一票。
異なる生体に、同じ意識があるものを転生と定義すれば、そのうち可能になんじゃないでしょうか?想像できるものは遅かれ早かれ実現できると思っています。
もっとも生体が変われば趣味思考がかわっちゃうから、まったく同一の意識とはいかないか…。
ありがとうございます。
Yahoo!
「魂」が異なる肉体に移り変わる事、と定義してお答えします。
さて、前世の記憶が呼び覚まされるためには、前世における死の瞬間の脳状態をどこかに記録し、それを新しい脳にコピーしなくてはなりません。それも何の物質的なつながりも存在しない未発達な脳に。(あるいは死の瞬間にはまだ存在しないかもしれませんが)
脳研究はまだまだ未発達ですが、すでに脳機能の実態が物質の濃度勾配である事が判明しています。
魂が神経回路網の中の物質濃度勾配であるとしたとき、そのような動的なものを記録しきれるものでしょうか?死が始まった瞬間から、刻一刻と機能も構造も失われていきます。おそらくごく短時間の内に再起動?は不可能になる事でしょう。
そのように失われやすい情報を記録しなければならないのですが…どこに?どの様にして?
この様な考えに対し、次々と「高次の」段階を用意してカミサマやら何やらもちだしてしまうと「わからない」という事になるのでしょうが、それはscientificではありませんので置いといて…
現在考えられる範囲ではありえない、という事になると考えます。
ちなみに個人的な考えを書きますと
「魂」が肉体に収まっているときは、精神とか意識といった形で顕在化している訳ですが、精神というものは脳内の伝達物質の濃度勾配変化によって容易に状態が遷移します。(脳内麻薬や外部から投入される薬品などで明らかですよね?)
又、脳の構造を破壊すると生理機能としては正常でも、意識や精神は損なわれます。
これらの事実は、脳機能(魂)のハードウェア依存を示唆しています。
より「高次」の存在であるはずの精神がハードウェアに依存するのはおかしい、と個人的には思いますね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
この方のはてなダイアリーを最近読みまして。
2001/12/8日の日記に「検証不可能なことは議論のしようがない」という主旨なのですが、大変面白いと感じました。
おもしろいですね
http://www.eccj.ne.jp/profile/reincarn.html
ECCJ 《輪廻転生》
不可能だと思います。生命体全てに当てはまるようならば、原始生命体迄さかのぼらなくてはならなくなりますし、そのような事実は未だに検証されていないからです。
なるほど。
何か一つの生命に転生するということは無いでしょう。
科学的に考えると、人の意識は人の記憶の蓄積であるため、記憶が蓄積された肉体をそのまま取り込むなどしない限り記憶の移行はありえないと考えられます。
記憶の仕組みはいまだ良くわかっていないのですが、物質説に基づいたとしても一つの生命に転生する可能性は考えられないと思います。
死んだ肉体が土に還り、その死体を養分として新たな生命が養われるという現象を輪廻転生と呼べないことも無いと思いますが。
これは火葬でも同じことで、骨や灰こそ骨壷に押し込められ墓の下に眠ることになりますが、肉体のそれ以外の部分は焼かれて大気中に拡散し、新たな物質に生まれ変わっていると考えることができます。
輪廻転生とは何かということを定義しないと、はっきりは語れない問題ですね。
なるほど。
伝説的には転生って多いようですが…。
精神(性格などを含む)は全て、脳が作り出しているもの(故に魂のみの存在はない)と考えておりますので、輪廻転生はないのではないでしょうか?
ありがとうございます。
人が死んだら転生は関係無しに、もう二度と生を受けることはないのでしょうか。
死んだ後に、また新しく人生を歩んでいるような気がして…
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd23a.htm
現代の智者、そして聖者―ダライ・ラマと現代中国思想について−連載その一
ダライ・ラマ14世がこう言っています。
「もし科学者が実験によって転生は不可能であると証明できるなら、わたしたちも輪廻という考え方を捨てるべきでしょう。」(《チベットの生と死》P.90)
故・カールセーガン博士がダライ・ラマと対談した際に、同様のやりとりがあったものの、ダライ・ラマの
「しかし、輪廻転生は証明が難しいが、反証も出来ないのではないか?」
をカール・セーガン博士が本に記していました(
)。
科学では輪廻転生があったことは証明されていませんが、その逆に、否定も証明できないことを科学者のほうも(マトモな科学者であれば)認めている例だと思います。
ありがとうございます。
今後は10の回答につけた返信コメントについて回答して下さい。
出来るか出来ないかではなくて、信じるか信じないかだとおもいます。
そもそも輪廻転生というものは東洋の宗教概念から生まれたものでしょう。
キリスト教徒は死者は星になると信じているのと同じく、これも仏教に近い(日本人の宗教観(無宗教や多神教)は海外特に西欧人には理解されない)日本人ならではの考えだと思います。従って信じるか信じないか。だと思いますよ。
可能か不可能かでお願いします。
http://kumism.boo.jp/history/archives/000251.html
HistoryOfXXX: “輪廻転生”は歴史の敵
このサイトからの引用です。
>> そもそも“輪廻転生”とは、「今度生まれ変わっても一緒になろうね、うふん」なんて約束をする甘いモノではない。「人生は一時的なものにすぎないのであって、苦しみの連続であるから、この“苦痛の輪”から抜け出すためにも精神的に『解脱』しなければならない」と内面の鍛錬を諭す、深い宗教的思想なのである。
人生は一回限り、と思っておいた方が充実した生活を送れるかもしれないなぁ、と思いました。
科学的医学的に可能か不可能かについてお願いします。
日本規格協会が発行している「標準化と品質管理誌」のH16年3月号に、同様の問題に対する人の考え方を類別して記載されています。
同誌に連載している「続・問題の問題は人/ソプロ研究所 鈴木氏」という連載記事です。興味がありましたらそちらをご覧ください。
・そんなことを考えることすら無駄と思う人
・もしかしたらあり得るかもしれないと思う人
等が、ていねいに記載されています。
ありがとうございます
ありがとうございます。