なにをもって幸福ということによるでしょうね。
生を受けたことが幸福だったらそれだけで終わり。
飯を食うのは幸せなこと。しかも、与えられた餌
でも、食っている時は幸せみたいですよ。
http://www.hatena.ne.jp/1078669554#
人間の食料のためだけに、産まれ育てられる動物達に幸せな時間はあるのでしょうか? - 人力検索はてな
URLはダミーです。(^^;)
鳥インフルエンザのニュース映像を見て一瞬同じ事が頭を掠めましたが、良く考えてみると、彼等には「快感」や「満足感」は感じ得ても「幸せ」を感じる能力はないだろうとの思いに落ち着きました。
ただ、我々人間の食料と言う観点だけで生き物(植物も含め)を取り扱う人間の傲慢さに対するしっぺ返しのようなものは覚悟する必要があるなあとの思いに達し、狂牛病、鳥インフルエンザ、などはそれなのではないかと思い始めています。
そろそろ、「人間も自然の一部、自然の輪廻に素直に従うべし」への回帰が必要ではないかと思います。
感心の強い事項に関する質問を読んで、現在の心境を吐露した次第ですが、如何でしょう?
全く同感です。
私も質問文を入力しながら、そもそも動物に「幸せ」を感じる能力はないかもしれないなと・・・
人間へのしっぺ返しという点も同感です。
例えば治療薬ができても、ウィルスとの追いかけっこで、そのうち追いつかなくなる・・・
といったことを想像してしまいます。
食べるものがなくなりサプリだけでしか生きていけなくなる将来があるかもしれませんね。
あるとしたら人間に感謝して食べられた時ですね。粗末に食べられたんじゃ目も当てられない。
まあ、誰かの生の為には、誰かの死が、絶対必要な訳で、肉体を持って生まれた以上仕方がないでしょう。
それが、神の与えたシステムです。
そう思います。
こんな質問してますが、私もベジタリアンという訳ではありません。
人間に生を与えてくれる動物達に感謝です。
http://www.netbeet.ne.jp/user-ssi/iwai/index.shtml
ホームページアドレスの変更
URLはダミーです。
これは、科学的検証ではなく個人の考えで良いのでしょうか?違ったらすみません。個人的考えで回答します。
「人間の食料」という概念はあくまでも人間側からみた発想であり、生き物は全てそれそれの世界で(考えで?)生きているのではないでしょうか。だから生まれてからず〜っと幸せな時間を過ごしているのだと思います。人間には生きる事以外にも沢山の特別な感情が有りますが、動物は生きる事そのものが幸せな時間なのでは。食料として生まれたという意識は全く無く。人間側から見たセンチメンタリズムであって、その心配は必要無いかと。こんな言い方では、みもフタも無いと、気を悪くなさらないで下さればありがたいです。否定では無く、きっと幸せなんだろうと言いたいのです。
世間の皆様はどういう風にお考えなのかを聞いてみたかったのです。
先にも書きましたが、動物に「幸せ」を感じる能力は無いかもしれませんね。
「生きる」という本能だけなのでしょう。
ただ、牛などさばかれる前には涙を流すと聞いたことがあります。殺される恐怖というのは、動物にもあるわけで。
食物連鎖を考えると、
その動物達だってほかの動物を食してるわけですから、自然の流れなのかもしれませんが、人間だけなんですよね。人間の為に動物を飼育し天敵がいないのは。
環境エンリッチメントという概念では、動物が野生で行う行動を幸福と取るそうです。それはストレス軽減などで品質にも影響することなので、家畜分野でも高級なものに関しては採用される考え方です(放牧牛など)。
しかし、酪農家でバイトをしたことがありますが、乳牛は自然由来の牧草よりも濃厚資料を
喜んで食べているように見えました。
現時点で幸せな時間があるかどうかはよくわかりませんが、品質にかかわる問題ならば畜産業全体で考えることなのかもしれないですね。
結局は、こっちの感じ方だとは思います。
なるほど・・・ 野生の行動=幸せ。
なんとなく理解できます。
URLのも、後ほどゆっくり閲覧してみます。
確かに動物が幸せかどうかなんて、私の偽善だと思います。
全ての命がなんらかの生きる使命をもって生まれてきたとして、
家畜とは食べられる為、に生まれてきたわけです。
であれば、人に食される瞬間が彼らが自分の存在理由を感じる最も幸福な時であるのではないでしょうか?
人は感謝して食することは当然ですが、
食される瞬間が、動物達の幸福な瞬間であるとは思えません。
人間から見たエゴであり自己満足であると思います。
とはいえ、ご意見ありがとうございます。
皆様がどう考えてるかを知りたかったので・・・
解決はないと思いますし正解もないと思います。
単に家畜の場合は人間の視点から見た場合にその生の指向が明確なだけです。終端が「食される」という事に決まっているという事自体は、あらゆる生物の最後が「死」と決まっている以上は不幸とか幸とか言えるものではありますまい。
むしろそこにいたるまでに畜舎の狭いところに閉じ込められて、人間の作った餌だけ食べて生活している事に関しては窮屈だったりするのかもしれません。しかしそれはインタビューできないのでわかりはしません。他人の気持ちが根本的にわかり得ないのと同じように、それ以上に、動物の気持ちはわかりません。
巷には無数の動物たちが本来生まれ暮らすべき国から引き離されたり、人間の好みに合う性質や姿になるように交配させられたりして人間のお金で人間の間で売り買いされ、閉じ込められ飼育されて寂しさを紛らしたり他人に自慢するための動くぬいぐるみとして扱われていますが、彼等の気持ちもわかりません。
話変わりますが、人間の苦悩と不幸の原因は、己の生が何のためにあるのかわからず、己の状態を自由に思いめぐらす事のできる意識と頭脳があり、何の能力にも特化されていない真っ白で自由な状態で生まれ、自分を一つの方向に自分自身で作り上げながら生きていかねばならないところにもあるのではないでしょうか。
野生の獣や花や虫や木や空や山は生き方を迷わないし悩まないでしょう。
まぁ逆に言えば迷ったり悩んだりできるのは人間ならではの幸せなのかもしれませんが。
動物たちが「幸」か「不幸」かなどわかるわけもありませんよね。
私も猫を飼っていますが、ホントにこの子が幸せなのか? わかりません。
飼い方など私の自己満足に過ぎませんからね。
URLはダミーです
麦や米は人を利用して生きている生き物、
それと一緒で家畜としてでも安定して数を増やしている生き物は幸せなほうだと思います。
どんな生き物でも生きてる以上一度は死ぬ、
何者かに食われたり病気でだったり自分でだったり、
そこには幸も不幸もなく物理法則のような摂理だけだと思ってます。
幸せの定義は本人(人?)にしか分からないのでこんな事しか分かりません。
なるほど・・・
人間の必要最少数の家畜であれば、まだいいですが
今の人間は、無駄に贅沢をしているように思います。
フォアグラや高級和牛など・・・
上記はダミーです。
かなり前ですが、本を読んでいて
その中で会話していた人が
「豚は、食べられるためだけに生まれて、日の当たらないところで大きくされて、ようやく太陽を見たときは、殺されるために運ばれる車の中だった。豚の願いは何だと思う?」
と問い掛けられたていました。
問い掛けられた人は
「・・・・・残らず食べてくれる事ですか?
と答えましたが
質問した人は
「豚の願いは、もっと、太陽を浴びたい・・・ということだよ」
と語っていました。
10年も前に読んだ本ですが、質問を拝見した時に、その本の事を鮮明に思い出しました。
私達は、命あるものを殺して生きているので
もっと、感謝しなくてはならないなあ・・・と思いました。
豚が本当にそう思っているかは永遠にわかりませんが
なんだか涙が出そうになる話です。
>人間の為に動物を飼育し天敵がいないのは。
というのに反論して、クロシジミとアリの関係を。
アリにしてみれば、クロシジミの幼虫を単なる糖蜜生産工場ぐらいにしか思っていないようでチョウになったら必死で逃げないとアリに殺されてしまいます。
こっちは人間の天敵についての一考です。
病原菌やウイルスが人間の天敵だというのは、僕も賛成してるとこなので。
一時期一世を風靡した「利己的遺伝子」の考えを持ってすれば、人間に保護され、遺伝子を数多く残していける家畜は成功者の一つの形です。人間に飼われている限り、牛は絶滅することはないでしょう。
生物の大きな目標の一つに次世代を残すってことがあります。
弱っている水牛が食べられることにより群れのほかの仲間が助かります。
家畜も、人間にその体を提供することにより、種としての存続が満たされているわけです。
一個体の命に思いを寄せることができるのは、人間のエゴであり、また、その弱さが美しさなんでしょうね。
私も人間の天敵になるのはウィルスや病原菌だと思います。
しかしまだまだ人間と力が均衡しているのではないかなと思っています。
先にも書いたように、近い将来ほんとに薬が追いつかなくなるような気がしてなりません。
>人間に保護され、遺伝子を数多く残していける家畜は成功者の一つの形です。
>人間に飼われている限り、牛は絶滅することはないでしょう。
>生物の大きな目標の一つに次世代を残すってことがあります。
こういう考え方もあるんですね。
遺伝子学的?に考えればそうなのかもしれません。
http://www.hatena.ne.jp/list?op=1&so=0&st=
人力検索はてな - 質問一覧
ないでしょう。生まれた時からその飼育員さんにたくさんの牛と一緒に飼われ、囲いにいれられたりと自由ではありません。飼育員さんがどんなに優しくても殺されるのでは・・・立派な牛になってこれからだと思っていたら殺されるんですよ?
ストレートな意見でわかりやすい!
家畜たちに幸せな時間がある と思いたいだけなんですよ。
そして罪の意識を軽くしたいんですよね。
http://dir.yahoo.co.jp/Science/Earth_Sciences/
地球科学 - Yahoo!カテゴリ
いろいろな考えがあると思いますが、人間、私も含めて食べ物に対して感謝して食べないといけないと思います。感謝の心なしに食べると、病気になったりけがをしたりするような気がします。私は宗教とかには入っているわけでも変でもありません。
ただ時に何で人間がいて動物がいて肉にしても生き物を殺して食べるのか?とか思ってしまいます。食べられるだけに生まれてきた動物たちは必要があってこの世に作られ神が作った物だと思っています。
人間が好き勝手していると狂牛病や鳥インフルエンザなどわけがわからない病気がはやるのではないでしょうか?
誰も殺したりしなで生活できるようになればいいと思います。
個人的な意見ですみません。
いえいえ、ありがとうです。
私も「動物性タンパク質など、人間に必要な栄養素が
食肉ではなく、何か別のもので取れるようになれば
良いと思う。」といった話を知り合いにしたことがあるのですが、
「奇麗事」だと言われました。
実際食しているのですからね・・・
本当に感謝していただきましょうね。
http://d.hatena.ne.jp/fukucyan/
fukucyanの初体験
強いて言えばただ生きていることだけを考えているので、とりあえず快適に命をつなげられると確信したとき(えさを食べおわったとき)などは幸せなんではないでしょうか。
自分は農学部に所属する大学生で、授業でいろいろな家畜と接する機会があるのですが、
「人の都合で生まれさせられて、殺され・食われるなんて可愛そうだ」
等と考えるのは、既に生まれてしまった家畜に対してその存在意義を奪ってしまうことになるんではないでしょうか。
もちろん飼育している間は愛情も憐憫の情もわきますが...
おいしくいただくのが最大の愛情だと思ってます。
そうなんでしょうね。元々野生で暮らしていた動物を
囲いに入れて飼っているんだったら、
野生の暮らしを知っている動物にとって、ストレスを
感じるかもしれませんが、
生まれたときから、囲いの中だったら、それが普通なのかもしれません。
そして、毎日のエサは確保されていますしね。
http://www.infoseek.co.jp/OTitles?lk=noframes&nh=10&svp=EPDR&svx...
ưʪ����ʡ�� - Infoseek ハイブリッド検索
ありがとうございます。
そうですね〜 ペットとして餌を与えられ、病気に気を使ってもらうことが動物として幸せかどうかも、
人間の自己満足でしょうしねー。
でも、食べられるためだけに産まれてくるって
なんだか切ないな〜
せめて無駄に育てられることがなくなればいいなと
思う今日この頃です。