銀座線のことでしょう。上記URLの表の中にある村上春樹の「地下鉄銀座線の暗闇」というエッセイに記述があります。
文学作品中の記述ありがとうございます。タイトルにもなっていたんですね。消灯中の暗闇は小説の題材にはもってこいの場面ですね…。確かに物語性のある一時でしたね。今は懐かしいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E8%BB%8C%E6%9D%A...
第三軌条方式 - Wikipedia
間違いありません。
私も経験しています。
日本の鉄道の多くは,架線とパンタグラフを使って電力の供給を受けていますが,地下鉄では第三軌条方式といって,走行用の線路の横にある第三のレールから電力の供給を受けます。そのため、ポイント部分などで電源供給用レールから一瞬離れてしまうことがあり、そのときに車内の電気が消えていたそうです。
3月7日に書いてあります。
銀座線の思い出だそうです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~gigio/nise_gigio/ura_d0201.htm
偽Gigioの『極悪中隊裏日誌』
こちらは1月25日で、同じく銀座線です。
ありがとうございます。物理的な理由と、日常生活における体験談を拝見させて頂きました。人それぞれ、車内での停電の瞬間は思い出に生きているのですね。確かに、何故停電するのーと思いながら、いつの間にか、過去の出来事になっていたので…。
こちらのBBSに以下のような書き込みがありました。
>>ドア脇ライト
丸の内線は中野坂上〜中野新橋の間に架線の切れるところがあり、
真っ暗な中、そのライトだけが蛍の光程度に点灯しておりました。
ただ、今は改善されているかもしれません。
そうですね。ドワ脇ライト。ランプと言っても良いくらいレトロ感ぷんぷんでしたよね…。ありがとうございます。
丸の内線と銀座線の電車で、電気が消えていました。
正確に言うと「カーブ」ではなく駅に到着する前です。それは駅に到着する前に電気の切れ目がありそこで消えていました。
また、今の電車が電気が消灯しないのは、室内の電気を発電機から取っているからです。
未だに、古い車両では、補助電源装置の関係で停電もありえるのですね。感動です!「昭和初期レトロな感じですごくムードがあった」とその時の印象を記していますね。レトロ万歳!
http://www.hatena.ne.jp/1087925997
昔、東京の営団地下鉄「丸の内線」では、カーブ時等において車内の電気が暫し消灯し、その代わり常夜灯のようなランプが点灯していたような記憶があるのですが、この記憶を.. - 人力検索はてな
トンネル内で消灯じゃなくて、駅にさしかかるときですよ。
そうですね。当時、茗荷谷駅を利用していたので、駅到着前は(記憶が確かなら)トンネルでしたので、トンネルのイメージとなってしまった可能性大です。記憶を遡っての謎解きに皆さんご協力頂き感謝致します。また、この謎解きをネット上ですが、共有出来て満足しています。
URLは、面白いので載せました。
トンネル内で供給電流が切り替わり停電状態になると消えてしまうのです。昔はトンネルの径があまり大きく掘れ無かったのでパンタグラフ分小さくなったそうです。昔おじいちゃんに聞きました。
おっと、トンネル内でも、物理的な理由で停電することが裏付けられましたね。茗荷谷駅の場合は、駅直前+トンネルの2つの理由によるものかもしれませんね。ちょっとした、謎解きミステリーの感を呈してきましたね…フフフ。で、停電中に何かが起こると…。もうミステリー小説の世界ですね。URLのほう拝見しました。でも、真っ赤な丸の内線車両が公道を…。夢でうなされそうですね(笑)。
銀座線の記憶しかないのですが…丸の内線にもあった車両なのですね。Hidenoriさんが紹介されてるリンクの中で書いてあるとおり、駅などに入る際一瞬切り替わるのが非常に印象に残っております。
一部車両がアルゼンチンへ譲渡された、との事ですので、かの地ではいまだにあの趣深い切り替えが見られるのかもしれません。
是非、アルゼンチンに行っても、時々、停電して皆に話題を振りまいて欲しいですね…。あと、旅行代理店は企画ツアーで停電体験ツアーなるものを考えても楽しいかも…。停電を体験している世代も年齢が上がっているはずですしね。
銀座線は何度も経験しましたが、丸の内線もそうだったのですね。
ちょっと検索したら沢山情報が出てきました。
やはり、あの電気が消える瞬間は印象的なんでしょうね。皆はあの一時の暗闇で何を考えるのでしょうか?ふっと別世界を感じ、全然異なる事に思いを巡らすことが出来る瞬間。ひょっとして、この上ない贅沢なひとときだったりして???この瞬間が精神衛生に与える影響を脳波測定とかで良い結果が出た場合、停電復活論が巻き起こり、復活なんてことになららいかなー。
ありがとうございます。一度、博物館に足を伸ばそうと思います。博物館のHPもすごく充実しててびっくりしました。昔は、改札も人力でこなしていたんですよね…。係りの人は、切符を見ずに出札する人の顔色を見て、乗り越しの有る無しを当てていたとか、不足があって呼び止められて、改札ボックスの後ろで財布からお金を出して、改札のテーブルに手を伸ばしたり、ハサミでリズムを取っていたり、切符を手渡すタイミングがわからなかったり、不足分を当然のようにテーブルに置いて通り過ぎる人、切符ではなくガムの包み紙を出した学生風の男は、無残にも駅事務所に連行されて行ったっけ。思わず、ノストラジーに浸ってしまいました…。
こちらの掲示板の270番の投稿くらいしか、参考文献はネット上で見つかりませんでしたが・・・。
ほかの方は銀座線とお答えになっていますが、銀座線で停電を起こしていた2000系車両は、丸の内線のうち、中野坂上と方南町の間でも走っていました。私の記憶では、平成2年ごろに中野新橋へいくために乗った記憶があります。中野坂上の発車直後は、何度も停電を繰り返していました。今となっては懐かしいですね。
ちなみに、今の車両は、電気を受け取る継ぎ目を通過したときでも停電しないようになっています。
ありがとうございます。「何度も」でしたか。停電は補助電源装置の開発により、絶え間なく、煌々と灯り続ける空間を創り出すことには成功しましたが、一方で、無機質で普遍的、話題性の欠如した生活パターン、日常を作り上げてしまったことを意味するのか???
http://www.tbs.co.jp/kodomotel/car/0024.html
全国こども電話相談室[のりもの]
昭和40年代後半から50年代にかけての時期も、丸の内線は消灯してましたか? 私は銀座線の記憶しかないんですけど。
逆に質問されてしまいましたが、どうだったのでしょうか?日常の何気ない出来事は、よっぽど気をつけておかない限り、忘却の彼方へ押しやられてしまいますよね…。車内映像でも残っていれば、その当時を思い出す最良の記録でしょうね。当時はそれが普通で何の意味をも見出してはおりませんでしたが、今考えると、思い出深く、ノストラジーに浸り、えっ!本当にそうだった…。考えられないという何か貴重な現象であったかのような錯覚に囚われています。
メインページ - Wikipedia
東京地下鉄銀座線
銀座線と丸ノ内線は第三軌条方式という集電方式をとっています。すなわち、電気を得る電線が屋根の上にあってパンタグラフで電気を得るのではなく、走るレールの外側にもう1本レールを置いて、そこに電圧をかけます。そして、台車のところについている集電用のシューから電気をとります。銀座線も丸ノ内線もプラットホームの位置が進行方向右側になったり左側になったりしますが、プラットホームでは安全上、人が立っている反対側に第三軌条を持ってくるため、線路の右側になったり左側になったりします。その切れ目で電気が途切れることになります。
銀座線の旧型車両では電車にバッテリーを持っていなかったため、第三軌条の切れ目に来て電気が途切れると、車内灯も消えていました。丸ノ内線では開業当初の車両(500系)からバッテリーを搭載しており、電気が消えることがありませんでした。ただし銀座線も1970年(昭和45年)?に登場した1500系にはバッテリーが搭載されており、この中間車の2両だけ照明が消えませんでした。1983年(昭和58年)に登場した01系では、もちろん照明が消えるなどということはありません。
ありがとうございます。駅に近づくと停電が生じる仕組みがわかりました。もしかしたら、停電だと思っていたのが実は単なる立ちくらみだったってこともありえそうですね…(笑)。
http://kazz.tdiary.net/20021011.html#p04
ロマンティックイカレモード(2002-10-11)
「銀座線&丸ノ内線(以下、地下鉄)、水戸線共に何故電気が消えるのか?。
それは電気の流れていない区間を電車が通るからです。」
と書かれています。
ありがとうございます。回答は25日の日付が変わる位まで受付けます。物理的な仕組みは理解出来ましたので、質問の趣旨とは少し外れますが、皆さんの停電時の体験談を回答頂けないでしょうか。お願いします。
第三軌条方式は、名古屋の地下鉄東山線や大阪の堺筋線、鶴見緑地線を除く全線でも採用されています。
しかし、大阪の御堂筋線とかでは、「停電」を起こした話はないんですよね。(小生が子供の頃の昭和50年頃以降は、少なくとも停電はなかったです)
銀座線で停電に経験したときはカルチャーショックでした。
なぜ東京の地下鉄は停電を起しているのに、大阪・名古屋は起していなかったのか?大阪の方がバッテリーの装着が早かったのかな?
これは、調べてみると非常に興味深いですね。皆様どうもありがとうございました。終了させて頂きます。
ありがとうございます。非常灯の写真もあり、懐かしく思い出しました。記憶は正しかったのですね。(でも、カーブではなくて、トンネル内で消灯になるのですね。その理由がやっとわかりました。)私達の日常生活において、もはや「停電」自体が非常に珍しい現象ですもんね…。でも、当時は、トンネルだから暗くて当たり前の認識しかなくて、そうこうしているうちに、トンネル内で消灯することすらなくなりましたもんで…。電気がいつもあって当たり前の世の中、そういう時代があったことは古き良き思い出とともに忘れずに記憶に留めておこうと思います。