被害者は最後には殺してくれと犯人に懇願したとされている凶悪な事件です。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040704-00000020-san-soci と http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/josikousei.htm を読んでお答えください。 凶悪犯罪を犯した少年に現在の少年法よりも厳罰を持って臨むべきだと思いますか? また、彼らの更正の可能性を信じるべきだと思いますか?
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コメント(7件)
「妥当・更正を信じる」という、おそらく少数派の意見を述べた者として一言補足させてください。
たとえば、池田小事件の犯人の事例をとりあげて、「死刑制度の是非」
についてアンケートをしたとした場合、それは公正で適切なアンケート
と呼べるのでしょうか?
センセーショナルなわずか一つの事例を取り上げて
(つまり、犯人の一人が出所後再犯したという報道を踏まえて)
制度の是非を問うのは、たとえば「出所後極めて良好に更正した事例」
を数百・数千読ませた後で、現行の法制度の是非を問う、といったよう
な偏ったアンケートのやり方と、どれほど異なるでしょう?
このアンケートに意味があるとすれば、それは「アンケートの形を借
りた、(実施者個人の)意見表明」という意味においてでしかない。
それは自覚しているとしていないとを問わず、余り適切な行為だとは
私は思いません。
以上、失礼ながら私見を述べさせて頂きました。
アンケートに「死刑ではなく、致死相当の罰を望む」「更生を信じる能力のあるひとびとによって、刑務所等が運営されるよう改革すべき」ということで「厳罰・更生信じる」という2つの選択肢を選びました。
しかし、このアンケートに回答してよかったかどうか、疑問がましています。マスコミ報道を一切しらないため、「殺人事件」とあるのに罪状が「致傷」とは?というところから回答しました。マスコミ報道を知っていても、事実がわかるわけではないので、冤罪のうまれやすい日本の刑事事件のとりあつかわれかたを考えると、
なお、上の「jo_30」さんの「おそらく少数派」の内容に、大筋で同意します。「イラク人質事件」のさわぎのときに、「はてな」だけではなく「クリックアンケート」ほか、あちこちで「自作自演関連」「自己責任関連」のアンケートが頻出し、ぼくは、質問者に向かって悪罵をなげつけることを自分に許しました。
ただし、「イラク人質事件」の際の多くのものと違っている点があります。今回設定されている選択肢は、誘導質問ぽくない。これは、かえって悪いともいえます。
そうですね。
個別の事件と少年法全体を混同していました。
確かに不適切だったかもしれません。
しかし、初めて事件の詳細を知り、衝撃を受けたのが質問を建てた動機ですし、
私が皆さんに聞きたかったのはまさに
「この事件を見てどう思ったか」
です。
それらの点を踏まえて見ていただければ、と思います。
この事件は
少年のときに女子高生を監禁し、繰り返し暴行して殺害し、
少年法によって刑を軽減された少年が
出所後に似たような犯罪を犯した、
という事件だと私は思っています。
以前の事件の詳細を読んで衝撃を受け、
この事件に対して皆さんがどのような感想を持つのか知りたい、
と思ったのがこのアンケートを建てた動機です。
誘導質問にならないように配慮したつもりですが、
それが返って悪かったのでしょうか?
上の記事は
「おそらく少数派」に対する返信です。
書く場所を間違えました。
アンケートの動機・および主旨は理解します。
おそらく私がひっかかっているのは、もっと大きな枠組みの問題なのでしょう。
ある一つの事件が起こるまで、その問題に関心の無かった人々が、一夜にして専門家然として(善意で、しかし主として感情論を背景に)口々に「これまで懸命に考え実際に努力してきた専門家や現場の人間」をなじりはじめ、マスコミがそれを後押しする…という、結局、代わり映えのしない現代日本的衆愚政治構造に、いささかうんざりしているに過ぎないのだと思います。countdownさんの誠実なお答えの姿勢にはいささか救われた気がしましたので、お礼申し上げます。
ASHURAさんのご意見もおもしろく読みました。最後の文は、要するに我々はもっと戦略的であっていい、ということでしょうか?^^
私はcountdownさんの質問を支持します。
まず、少年法全体の厳罰の限界と、冤罪は分けて考えるべきです。
もし、百歩譲って冤罪を考慮に入れて減刑するとすれば、法律全体に適用すべきです。
少年法のみに冤罪うんぬんを議論するのはナンセンスな論法です。
そもそも少年法の立法には戦後の貧しい環境が想定されています。
大志ある少年少女が貧窮から犯罪に走る時代にこれを救う手立てとして
立案されたのが少年法なのです。
現代のようにお金や時間を持て余し、集団で快楽を目的として行う非人道的犯罪はこれに該当しないのです。
私は思う
彼らに更生の余地があると、一体どんな状況の上で想定出来るのだろう。
彼らに冤罪の余地があると、誰かが信じているのだろうか。
一部センセーショナルな事件を参考に、刑罰の限界を見直す事が適当でないような書込みがありましたが、
私は見直す事は適切な対処だと考えます。
何故か、少し例を出し横道にそれます。
世の中でよくあるルールとして「出る杭は打たれる」と言う事があります。
つまり、反社会的行動に対する制裁の事です。
しかし、裏ルールとしては「出すぎた杭は打たれない」となります。
これは、とても個性的な人に対してよく使われる形容詞ですが、実際法律の適用でもしばしば見かけます。
つまり、法律が想定しないほどの凶悪・非人道的な犯罪はそれを適当に罰する手段が無いわけです。
では、法律としてはそれで良いのでしょうか。
みんなが考えもつかなかったほどの凶悪犯を、
これまで考えていた犯罪者像に対するルールで同じように罰するのが適当なのでしょうか。
法律の刑罰が犯罪の抑止力となっていない現状からすれば、
すくなくとも象徴的な事件を持ち出し、ルールが不適切でないか議論する事は
大変有意義な行為だと思います。
私の個人的な意見としては
まず、懲役年数の累積制度をまずは適用するべきだと考えます。
アメリカ的な考えですが、一つ一つの犯罪を累積して、懲役年数を出す方法です。
最短で7年で出所してくる日本の無期懲役は懲役制度の意味を考え直すべきではないでしょうか。
ルールに従えば懲役年数が減免されるのですから、
出所を目的とした従順には「犯罪者の心の矯正」という目的は期待出来ないと思います。
そして、犯罪自体に対する償いが普通に過ごす事で減免されると言うのは道理にかなわない事だと考えます。
以上