なんですか??
URLはダミーです
経験的手法とは 経験に基づいて事象を絞り込み、解や結果を導き出す方法で、それに対して あらゆる事象を想定して、解決していこうとする非経験的手法があります。(備考:実験的手法、解析的手法)
合理的手法とは、或る事象間の根拠を明示できる手段・・・多分理論的手法のことを言ってるのだと思います、それらの根拠は、あらゆる普遍の学問やシミュレーションに基づいて説明されます
http://su10.sgu.ac.jp/~ohkuni/faq02.html
大学の学問についてのFAQs
科学的であるとは、経験的事実を基準として理解が合理的であるかどうかを判断することです。その意味において,科学における事実の記述は証拠をあげて裏づけすることのできるものです。記述的認識の合理性は再現性がどれほど確保されているかによって決まります。とのことです。
もうすこし市素人むけにいいますと・・。
経験的手法=帰納法
合理的手法=演繹法 であり、
経験からいろんな事実を得て、そしてそれらに共通する一般的な法則を求めるのが帰納法。まず普遍的な真理を前提にして、その後次々と理性的な推論を進め、結論を導き出す方法が演繹法です。
簡単にまとめると
与えられるもの……「人間は死ぬ」ということ
帰納法の場合
1 ソクラテスも死んだ。プラトンも死んだ。アリストテレスも死んだ。……事実
2 このような事実を経験していく。
3 普遍的な法則を見つける……人間は死ぬ
演繹法の場合
1 「人間は死ぬ」……確実な真理
2 その真理から推論していく。
3 個々の事実について結論づける……ソクラテスは人間である。だから、ソクラテスは死ぬ。
のようになります。
比較的簡単に説明しているページのURLを書きましたが、「帰納法 演繹法」でgoogle等で検索してみたら他にも分かりやすく説明しているページが他にもみつかると思います。
ありがとうございます。
死ぬという真理も経験から導きだすんですよね?
http://www.abysshr.com/mdklg010.html
思考法-演繹法と帰納法
帰納法というのは確かに経験から法則を導くものです。
しかし、その法則に反するものが一つも見つからなかったとしても
これまでの経験(観測や実験)の結果ではそうである、つまり
「限りなくその法則で近似できる」というだけで、絶対に成立するとは
決して言い切ることはできません。
逆に、演繹法は真理の組み合わせから、現実ではどうなるかを予測することです。
ここで出てくる真理というのは、帰納法での法則とは違って
「このことが例外なく100%」成り立つ、本物の真理であると仮定して、
そこから論理を進めていくものです。
だから現実とは違う真理を考え、それに基づいたらどうなるかと考えるということも可能です。
そのため、本来は 法則≠真理 なのですが、自然科学というのは
これを法則=真理とみなして結論を出すものです。
という説明でわかりましたでしょうか。
なるほど!!
理論派と実際派でいいでしょうか?
本の虫と本が嫌いな人と・・・みたいな感じですね。
経験から導き出されたものだけから
公式を見出すのと
公式の積み重ねから公式を生み出して
実際に当てはめていくのと
の違いでしょうかね。
選手経験成功経験ありの監督と
監督学校をでた監督との違いみたいな・・。
でよろしいでしょうか?
えーっと、あまり根拠はありません。
経験的手法とは、観察−>体系化によって、体系ないでの因果関係を重視した手法。
合理的手法とは、一般化された理論から特定の事柄について推測を行い、それを実証する手法ではないでしょうか。
科学は、観察から理論の体系化、一般化を行い、その理論から推論を行い、その推論に対して観察を行う物だと思います。
つまりどちらも一つのコインの表と裏のような関係であると思います。
ありがとうございます!
経営学を考えるとわかりやすいですね。
MBAかたたきあげか・・。みたいな感じですかね。
では
同じなのでは??
どちらも過去の経験にもとづいていますが・・。
仮説を立てれる法則を見つけ出すのと、そのまま鵜呑みして前例を当てはめるのとの違いですか??