その越の由来は何でしょうか?
ポイントは、確かな回答に配分します。
http://east.portland.ne.jp/~inaba/kyukokumei.htm
小京都・小江戸探訪 旧国名がつく地名
越州の由来ですよね?
「越州・えっしゅう」
もともとは、越前・越中・越後で”越の国”(こしのくに)と言われていた。他に江戸時代には高田藩・高田城や新発田藩・新発田城が有名。
越の国の由来は古志(こし)もしくは高志らしいです
「越(こし)の国」が越前・越中・越後に分裂してできた。京に最も近いため、「こしのみちのくち」とも言われた。ということだそうです。
「越」は「こし」と読み、「敦賀の坂」
を越えた地域全般を指した地名であっ
たそうです。のちに新潟付近までを区切り、
それを三つに分割して、今の三国(越前、越中、越後)
となったそうです。
http://d.hatena.ne.jp/matznaga/
matznagaの日記 ジャズと落語とコミックと
広辞苑によれば、
北陸道の古称。高志国
が語源だそうです。富山県黒部市には「高志野」中学校というのがありますが、この名前はこの「高志国」からと取られています。
越」とは日本海側の地域全体で、後に越前・越中・越後に分けられた。その段階では
越前は福井県東部から石川県、越中は富山県と新潟県西部、越後はそれ以北の日本海側全域であった と書いてあります。
越とは新潟,富山.福井あたりの古い国の名前です とあります。
京から見た高い山々、日本アルプスを越えた向こうの前、中、後なのだろう とあります。
[越の国に関しては、京都へ往来する際必ず越えねばならないという意味からの由来といわれる。]
[歴史が始まったころは、新潟も含めて北陸は越と呼ばれていました。
それが越後と越中が別れ、能登が分離し最後に加賀が離れました。]
10世紀ごろ、「律・令・格・式」という法体系が出来上がりました。
その中の「延喜式」という法律で、全国の国を都からの距離に応じて畿内、近国、中国、遠国に分け、公文書の提出期限などを分けていました。
その分類表は以下の通りです。
畿内…山城、摂津、和泉、河内、大和
近国…若狭、美濃、尾張、三河、伊賀、伊勢、志摩、近江、丹後、丹波、但馬、播磨、淡路、紀伊、備前、美作
中国…越中、加賀、能登、越前、甲斐、信濃、飛騨、遠江、駿河、伊豆、因幡、伯耆、出雲、備中、備後、阿波、讃岐
遠国…陸奥、出羽、常陸、下野、上野、武蔵、上総、下総、安房、相模、越後、佐渡、隠岐、石見、安芸、長門、周防、伊予、土佐、筑前、筑後、肥前、肥後、壱岐、対馬、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩
なお、延喜式についての記述などについて、「戸田孝の雑学資料室」
http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/misc.html
Toda's 'MISC.' Archive
を参考にさせていただきました。
では、なぜ、越前・越中・越後という風にその地方が
「こしのくに」と呼ばれるようになったか
ちゅうことは
に載ってます。読むの大変なので
ぐぐって、ハイライトしときました
古事記や日本書紀にすでに、高志(古志)とか越の国ということばがでてくるので、それ以前の語源となると、もう想像しかないのではないでしょうか。
高句麗の「高」とか、日本の中心(九州?出雲?奈良?)から山を「越」えたところ、とか竜の「腰」あたりではないでしょうか。
手元の日本文学地名大辞典(大岡信監修、遊子館)によると、「『古事記』では「高志」とある。琵琶湖の湖北の山を越えた国の意に由来するという。その道を越路といった。」とあります。
上にある「旧国名由来」は私も見ましたが、「京都へ行く途中『越す』」という地方主体の表現より、こちらが正確かと思います。
ちなみに、URLには、「どこからどこまでが『コシ』だったか」についてかなり詳しく書かれています。
http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htm
満州族の祖先粛慎人及び靺鞨人と日本の親縁
私は歴史は詳しくないのですが・・・。
大槻文彦「大言海」によれば、越は山を越えることであり,その山とは「近江の国(滋賀県)高島郡の北境、荒発(あらち)山をさす」とあります。
古墳時代に北陸に「越」という古代国家があったようで、その「越」の場所で、大和に近い側から、「前」「中」「後」をあて、「越前」「越中」「越後」と称したようです。
コメント(2件)
ありがとうございます。
http://www2.plala.or.jp/cygnus/k5.html
高句麗族や尾張氏からの考察。
上から4分の1ほどのところ
そもそも、「越」とは、高句麗族が住み着いていた土地であったからこ そ、
付いた地名であったのだが、この地方を「えち」と呼んだ民族が、後
に移住してきたと思われる。「越後」の一宮である「彌彦神社」に、主祭
神としてアメノカヤマが祀られており、しかも開拓者であるとの由来があ
ことから、「越国」に移住してきたのは、尾張氏に間違いない。
「越」の文字を国語辞典で調べてもらいたい。それは、「渡り移る」と
か「経過する」などと訳されているはずだ。これを「こし」と発音すれば
高句麗族が移り住んだ意味になろうし、「えち」と発音すれば「尾張氏」
が移り住んだ土地の意味になると思われる。いずれにしても、後世ではそ
の語源が失われ、ともに「越」の文字が当てられたと考えている。
そして「尾張氏」が移動を始めた最初の土地が、「愛発」(あちら)で
あり、移住先を「越」(えち)・「愛知」(あち)・「愛智」(あいち)
と呼んだのである。もちろん。これらは本来、同音韻であったのであるが、
時間の経過とともに、訛ったものと推測する。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei01.htm
日本語の起源をポリネシア・マオリ語と関連づけた考察。
「駿河国」の項
ちなみに、越(こし)の国の「こし」は、マオリ語の 「コチ」、KOTI(divide,bloom)、
「(本国から)離れた(分離した国)。または花盛り(繁栄している国)」
の転訛と解します。
いろいろな説があるものですね。(^_^;)