旧国名で、新潟県は越後、富山県は越中、福井県は越前と言いますが、

その越の由来は何でしょうか?
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回答13件)

id:aki73ix No.1

回答回数5224ベストアンサー獲得回数27

ポイント13pt

http://east.portland.ne.jp/~inaba/kyukokumei.htm

小京都・小江戸探訪 旧国名がつく地名

越州の由来ですよね?

「越州・えっしゅう」

もともとは、越前・越中・越後で”越の国”(こしのくに)と言われていた。他に江戸時代には高田藩・高田城や新発田藩・新発田城が有名。

越の国の由来は古志(こし)もしくは高志らしいです

id:tsukamoto No.2

回答回数2ベストアンサー獲得回数0

ポイント13pt

「越(こし)の国」が越前・越中・越後に分裂してできた。京に最も近いため、「こしのみちのくち」とも言われた。ということだそうです。

id:mai-1997 No.3

回答回数790ベストアンサー獲得回数1

ポイント13pt

「越」は「こし」と読み、「敦賀の坂」

を越えた地域全般を指した地名であっ

たそうです。のちに新潟付近までを区切り、

それを三つに分割して、今の三国(越前、越中、越後)

となったそうです。

id:matznaga No.4

回答回数8ベストアンサー獲得回数0

ポイント13pt

http://d.hatena.ne.jp/matznaga/

matznagaの日記 ジャズと落語とコミックと

広辞苑によれば、

北陸道の古称。高志国

が語源だそうです。富山県黒部市には「高志野」中学校というのがありますが、この名前はこの「高志国」からと取られています。

id:k318 No.5

回答回数2758ベストアンサー獲得回数32

ポイント12pt

越」とは日本海側の地域全体で、後に越前・越中・越後に分けられた。その段階では

越前は福井県東部から石川県、越中は富山県と新潟県西部、越後はそれ以北の日本海側全域であった と書いてあります。

越とは新潟,富山.福井あたりの古い国の名前です とあります。

京から見た高い山々、日本アルプスを越えた向こうの前、中、後なのだろう とあります。

id:ryuusinn No.7

回答回数23ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

[越の国に関しては、京都へ往来する際必ず越えねばならないという意味からの由来といわれる。]

[歴史が始まったころは、新潟も含めて北陸は越と呼ばれていました。

  それが越後と越中が別れ、能登が分離し最後に加賀が離れました。]

id:YOU3554 No.8

回答回数221ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

10世紀ごろ、「律・令・格・式」という法体系が出来上がりました。

その中の「延喜式」という法律で、全国の国を都からの距離に応じて畿内、近国、中国、遠国に分け、公文書の提出期限などを分けていました。

その分類表は以下の通りです。

畿内…山城、摂津、和泉、河内、大和

近国…若狭、美濃、尾張、三河、伊賀、伊勢、志摩、近江、丹後、丹波、但馬、播磨、淡路、紀伊、備前、美作

中国…越中、加賀、能登、越前、甲斐、信濃、飛騨、遠江、駿河、伊豆、因幡、伯耆、出雲、備中、備後、阿波、讃岐

遠国…陸奥、出羽、常陸、下野、上野、武蔵、上総、下総、安房、相模、越後、佐渡、隠岐、石見、安芸、長門、周防、伊予、土佐、筑前、筑後、肥前、肥後、壱岐、対馬、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩

なお、延喜式についての記述などについて、「戸田孝の雑学資料室」

を参考にさせていただきました。

では、なぜ、越前・越中・越後という風にその地方が

「こしのくに」と呼ばれるようになったか

ちゅうことは

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/2%EF%BD%A53...

『福井県史』通史編1 原始・古代

に載ってます。読むの大変なので

ぐぐって、ハイライトしときました

id:mansak1 No.9

回答回数136ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

古事記や日本書紀にすでに、高志(古志)とか越の国ということばがでてくるので、それ以前の語源となると、もう想像しかないのではないでしょうか。

高句麗の「高」とか、日本の中心(九州?出雲?奈良?)から山を「越」えたところ、とか竜の「腰」あたりではないでしょうか。

id:jo_30 No.10

回答回数656ベストアンサー獲得回数53

ポイント12pt

手元の日本文学地名大辞典(大岡信監修、遊子館)によると、「『古事記』では「高志」とある。琵琶湖の湖北の山を越えた国の意に由来するという。その道を越路といった。」とあります。

上にある「旧国名由来」は私も見ましたが、「京都へ行く途中『越す』」という地方主体の表現より、こちらが正確かと思います。

ちなみに、URLには、「どこからどこまでが『コシ』だったか」についてかなり詳しく書かれています。

id:Nom No.11

回答回数25ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htm

満州族の祖先粛慎人及び靺鞨人と日本の親縁

私は歴史は詳しくないのですが・・・。

id:fkdhaz No.12

回答回数19ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

大槻文彦「大言海」によれば、越は山を越えることであり,その山とは「近江の国(滋賀県)高島郡の北境、荒発(あらち)山をさす」とあります。

id:suzu2003 No.13

回答回数16ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

古墳時代に北陸に「越」という古代国家があったようで、その「越」の場所で、大和に近い側から、「前」「中」「後」をあて、「越前」「越中」「越後」と称したようです。

  • id:mormusu
    みなさん

    ありがとうございます。
  • id:miuria
    こんな説も見かけました

    http://www2.plala.or.jp/cygnus/k5.html
    高句麗族や尾張氏からの考察。
    上から4分の1ほどのところ

     そもそも、「越」とは、高句麗族が住み着いていた土地であったからこ そ、
     付いた地名であったのだが、この地方を「えち」と呼んだ民族が、後
     に移住してきたと思われる。「越後」の一宮である「彌彦神社」に、主祭
     神としてアメノカヤマが祀られており、しかも開拓者であるとの由来があ
     ことから、「越国」に移住してきたのは、尾張氏に間違いない。

      「越」の文字を国語辞典で調べてもらいたい。それは、「渡り移る」と
     か「経過する」などと訳されているはずだ。これを「こし」と発音すれば
     高句麗族が移り住んだ意味になろうし、「えち」と発音すれば「尾張氏」
     が移り住んだ土地の意味になると思われる。いずれにしても、後世ではそ
     の語源が失われ、ともに「越」の文字が当てられたと考えている。
      そして「尾張氏」が移動を始めた最初の土地が、「愛発」(あちら)で
     あり、移住先を「越」(えち)・「愛知」(あち)・「愛智」(あいち)
     と呼んだのである。もちろん。これらは本来、同音韻であったのであるが、
     時間の経過とともに、訛ったものと推測する。


    http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei01.htm
    日本語の起源をポリネシア・マオリ語と関連づけた考察。
    「駿河国」の項

     ちなみに、越(こし)の国の「こし」は、マオリ語の 「コチ」、KOTI(divide,bloom)、
     「(本国から)離れた(分離した国)。または花盛り(繁栄している国)」
     の転訛と解します。


    いろいろな説があるものですね。(^_^;)

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