ああ、春と修羅の序文からですね。
宮沢賢治の文として読み解くならば、
私は実体ではなく現象です、
その現象も検証を経ていない不確かなものですが、
他所から送られてくるエネルギーによって青くともる
電灯の光のようなものだと考えてください、
そして、そんな私がこんなものを書きました、と。
そんな現象がこんな現象を誘発しましたと。
そして春と修羅という詩集がはじまります。
当初賢治は、出だしを「わたくしといふ存在は」と書いています。
それを自ら存在を消して現象と書き換えているところに、
春と修羅のテーマがあるんでしょうね。
ま、そんなのはおいといて、
有機交流電燈というのを考えてみましょう。
青い照明ですから、これは白熱電球ではありません。
青白い光なら当時よく使われたアーク灯が思い浮かびますが、
アーク放電の電源には交流ではなく直流が望ましいですから、
これも違います。
したがってこれはネオン広告に使われるような
ガス封入型の放電ランプ、と考えるのが妥当です。
日本で最初のネオン広告は大正7年といわれていますから、
春と修羅が書かれ始めた 1922年(大正11年)には十分これは存在します。
青い光ですから、アルゴン+水銀の封入された放電管です。
有機という言葉については、
現実には放電管には有機物は使用されませんから、
だからこそ「仮定された」という存在であることを強調しているわけです。
まとめます。
「宮沢賢治は仮想のアルゴン+水銀放電管による発光現象です。」
「私という存在は、地球上に設定されている人間の世界において、進歩と発展に貢献できる一人の人として生きている。」という意味のように感じ取りました。
いまどきの中学生は、理解力があるみたいでした。
小学生レベルでお願い致します。
プリオシン海岸
宮沢賢治の「春と修羅」の序の冒頭ですね。
とても大好きです。
私の解釈としては、
自分という存在(人生)は宇宙のなかの物理的な「現象」のひとつであり、いつかは消える(死ぬ)「仮定」された「有機」的な肉体を借りた魂、つまり「青い照明」である。
というふうに感じています。
検索すると、この「春と修羅」を考察した文章が色々出てくると思います。
僕も、嫌いじゃないんですけれども、どうもわからんのです。ありがとうございます。
ああ、春と修羅の序文からですね。
宮沢賢治の文として読み解くならば、
私は実体ではなく現象です、
その現象も検証を経ていない不確かなものですが、
他所から送られてくるエネルギーによって青くともる
電灯の光のようなものだと考えてください、
そして、そんな私がこんなものを書きました、と。
そんな現象がこんな現象を誘発しましたと。
そして春と修羅という詩集がはじまります。
当初賢治は、出だしを「わたくしといふ存在は」と書いています。
それを自ら存在を消して現象と書き換えているところに、
春と修羅のテーマがあるんでしょうね。
ま、そんなのはおいといて、
有機交流電燈というのを考えてみましょう。
青い照明ですから、これは白熱電球ではありません。
青白い光なら当時よく使われたアーク灯が思い浮かびますが、
アーク放電の電源には交流ではなく直流が望ましいですから、
これも違います。
したがってこれはネオン広告に使われるような
ガス封入型の放電ランプ、と考えるのが妥当です。
日本で最初のネオン広告は大正7年といわれていますから、
春と修羅が書かれ始めた 1922年(大正11年)には十分これは存在します。
青い光ですから、アルゴン+水銀の封入された放電管です。
有機という言葉については、
現実には放電管には有機物は使用されませんから、
だからこそ「仮定された」という存在であることを強調しているわけです。
まとめます。
「宮沢賢治は仮想のアルゴン+水銀放電管による発光現象です。」
一般的な中学生はアルゴンはわからないに一票(w
あぁ、仮定ってのはそういう意味かぁ。「有機物使ったら、悪臭が漂うんじゃないかしら」と思っていたので、なるほどぉと思いました。感謝。
http://www.hatena.ne.jp/1090668110#
「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」らしいんですが、この言葉、ここはひとつ、中学生にもわかるように説明していただけませんでしょう.. - 人力検索はてな
「私がここにあるということは、人と人とがつながることによってすべてが営まれるという仮説の、ひとつの証明である」
・・・という感じではないでしょうか。
照明は証明にかかってるんじゃないかな〜と。
あ。そういうネタもありですね。感謝。
ほぇー。こんなサイトが。お!はてなの本来あるべき使い方を久々にした気分!
Yahoo!ジオシティーズ - 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。
上のURLはシステム上何か必要なので掲載しましたが、とくに意味はありません。
では中学生に説明するつもりで書いてみますね。
『
まず、「わたくし」について「現象」と呼んでいますよね。
これは、宮沢賢治が「自分は確固たる存在ではなくて、つかの間に現れた現象だ」というように考えていることを示しています。
例えば、ものが燃えるときに上げる炎、あの炎は現象ですね。
では何の現象でしょうか?
宮沢賢治はここで、「青い照明」だとしています。
つまり、炎が燃えるという現象であるように、
照明が光るという現象=それが「わたくし」だというのですね。
なぜ青かというと、きっと宮沢賢治が好きな色なのでしょう。
では青い照明は一体なぜ存在するのだろうか。
ここで、大きな電燈の設備があると考えてみます。つまり「仮定」します。
それはただの機械ではありません。賢治の想像では、色んな要素が混じり合って、
他の機械や他の要素とお互いに影響し合いながら動いています。
それを「有機的な「交流」電燈」と表現しているのでしょう。
その電燈の設備がいきいきと作動していることの「ひとつの」現れ、
それが「ひとつの青い照明」つまり「わたくし」ということではないでしょうか。
電燈の設備はあくまで想像上のものですから「仮定された」と賢治は言うわけです。
』
……こんな説明でどうでしょうか。
すてきな回答をありがとうございます。IDもいいなぁと思いました。夏の飛行機雲ってところでしょうかね。
電気の供給が止まっても、確かに電燈は残るけど証明は消えちゃいますね。感謝。
「有機交流電燈」の「有機」とは生物が作る物質。
「交流」は交流電流の波形の形を繰り返し、「有と無」「+と−」「生と死」を暗示したもの。
その繰り返しのエネルギーが「電燈」を青く輝かせる。
それが、「わたくし」という人間の生命活動なのだ。
こんな感じでしょうか。
これって宮沢賢治の「春と修羅」の一節ですね。このあと『(あらゆる透明な幽霊の複合体)』と続きますが、このフレーズまで広げて解釈するとわかりやすくなると思います。
生きてる瞬間と死んでる瞬間との2つがあることによって、青く輝く・・・のかな?
生きまくってる場合は、白くて、死にまくってる場合は黒くて?といったことを連想しちゃいます。
ありがとうございます。
http://kids.goo.ne.jp/cgi-bin/kgframe.cgi?BL=0&SY=2&TP=http://ww...
キッズgoo [キッズgooサーチ]
これで、解りませんか?
んと、
・ 認識・意志・行為主体、自我、自己、存在、他者、現象・・・
こんなに言葉が出てきてわかる中学生がいたら、そりゃすごいと思います。ちなみに僕は「主体」が行為のほかに、認識や意志にもかかってくるのかすら怪しいです。他者なんてのも難しい。
さらには、
・「青い」には、透明感、静寂感、神秘感などが感じられる。
と。わかるためには、こういう感覚まで求められますか・・・
ちょっと、ムズイです。でも、回答感謝。
http://books.bitway.ne.jp/shop/mt-detail_B/trid-main/ccid-0501/c...
心が疲れたとき読む本/著:紀野一義/PHP研究所 - ビットウェイブックス 無料立ち読み(サンプル)有り!
宮沢賢治という人は熱心な法華経信者であったことは周知の通りですが
仏教的思想から彼の作品を読み解くことは有効なアプローチになると思われます。
「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」とは、
仏教用語「刹那消滅」を賢治が自分流に表現したものだと考えることができます。
「刹那生滅」あるいは「刹那滅」とは
私達は長い年月を継続して生きているのではなく、
刹那というほんの短い時間ごとに生きては死に、死んでは生きるということを繰り返しており、
その連続を生として感じているのだという考え方です。
(詳しくは 紀野一義「仏教のキイ・ワード」講談社現代新書 を参照してください)
http://books.bitway.ne.jp/shop/mt-detail_B/trid-main/ccid-0501/c...
心が疲れたとき読む本/著:紀野一義/PHP研究所 - ビットウェイブックス 無料立ち読み(サンプル)有り!
紀野一義氏による作賢治作品の解説はすうっと心の中に溶け込んでる感覚があり
賢治作品を難解だと感じている人にはお勧めです。
生きまくり、死にまくりってコメントを書きましたが、まさに、生きたり死んだりだったのですか。なるほどです。
紹介ありがとうございます。一回書かれちゃったものは、読み手が好き勝手解釈するもんだから、作品の難解さ云々は忘れちゃってください。
AはBであるって書いてあるけれども、これを、中学生にわかるように説明するとしたら、どうなるんだろうって。そう思って。
補足になりますので、この回答へのポイントは頂かなくてもかまいません。
前回の回答で「なぜ青かというと、きっと宮沢賢治が好きな色なのでしょう。」と簡単に済ませましたがが、
彼がなぜ青が好きかというと、青は海や空の色でありながら、
(昆虫などをのぞいて)生き物には少ない色だということも一因かもしれないと思います。
つまり、青は海や空という大きな自然の摂理を感じさせる一方で、他ではあまり見かけないため非日常的、あるいは幻想的なイメージをも持つ色だということが一つ。
それからもう一つ、
青は温度の低さを感じさせる色ですが、
炎の温度が高くなると、逆に青っぽい色になっていくようです。
ガスコンロや星などがいい例ですね。
「自然を感じさせながら幻想的で、冷めているようでありながらたいへんな熱を持った色」
というイメージで、『「青い」照明』と宮沢賢治は書いたのかもしれません。
ほぇー。なんか、面白いですね。連想ゲームみたい。ありがとうございます。
http://www.socius.jp/lec/08.html
Socius_社会学感覚08自我論/アイデンティティ論
あれやこれや見てみましたが、なんか小難しいですね。。。
宮沢賢治と友達でもないので、個人的なまったくの推測になりますが…
意訳すると…
俺が存在する状態ってのをヒトツの自然現象だとするとさ、チカチカする電燈が生身になったようなもんだな。ま、色は青色ってことで。ひとつよろしく!
…。
みたいな感じですかね。
宮沢ファン怒りそうですね。
交流という言葉をつかったのは当時覚えたてだったからではないでしょうか…。
数学とかを教えていて、仮定だの、有機だの現象だのという言葉をつかってみたかっただけかもしれません。
仲間発見。kuippaさん感謝です。
僕も、だいたいこんな説明なら、中学生わかるかなぁって思っていたのですけれども、それまでの回答によれば、どうやら、「中学生なめんなよ」ということらしく(誇張あり)いろいろと解釈を聞けて、楽しかったです。皆様ありがとうございました
一般的な中学生はアルゴンはわからないに一票(w
あぁ、仮定ってのはそういう意味かぁ。「有機物使ったら、悪臭が漂うんじゃないかしら」と思っていたので、なるほどぉと思いました。感謝。