以下回答条件:
http://www.hatena.ne.jp/1103784706に回答した方のみ、ご回答ください。
ネタは却下です。
ダミーurlも却下です。
「○歳になったら」っていうのも、自明なので却下。
条件厳しくてゴメン。
以下捕捉:
先の質問でいくつか見受けられましたが、「どうなったら大人か」を問うている質問ではございません。
http://www4.plala.or.jp/k-k/seikatsu001.html
生活のルール(常識)を身につけよう
大人になるとは 責任ある人間になれるということだと 私は思います
何事にも 自分勝手な行動はしないで することすること 責任が取れるようになるような人が 大人だと思います
あと 社会の常識が熟知できている人
[悟りを開くこと」 自我の覚醒です。
自我って概念が存在しない時代もあったとか。
大人の定義もうつろいゆく運命にあるのかしら
補足
先の回答と見比べてポイントつけますよ。
自分の行動に責任を持てる。
→現行法規ならびに慣習を熟知し、もしくは法理論を認識し、大多数の人間が正しいと認められる行動を取れる人間を大人という。→私見
ありがとうございます。慣習や信じてるものが違うから戦争してみちゃう大人がいるんだねって深読みもできて素敵
若者を率い、上との仲介役になること、またはそれ以上。つまり社会的な信頼を得ているということです。若者は家庭も職場も学校も含みます。若者を率いていても、上との仲介役の資格を満たしていない場合は、大人とはみなしません。また若者を率いる資格がなくても、大人とはみなしません。資格と能力は別です、能力がなくても資格があればOKです。
うわー!シュールなユーモア満載!すてき。
自分が一番上だと認識したときに、大人失格になる可能性も秘められてて、油断しちゃいけない様子まで伝わってきます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BA%BA
成年 - Wikipedia
・身体的には
肉体的に成長し、2次性徴が発現すること。
*身長の伸びが止まっていなくても2次性徴の有無で判断するので、「背が伸びなくなったら」ではなくて。
・精神的には
いろいろな見方がありますが、「自分に責任を持てるようになること」、だと思います。難しい。。
「大人っぽさ」は精神的な部分を言うが、「子供っぽさ」と対義でなないのかもしれない。「大人っぽい」人が同時に「子供っぽい」面を持ち合わせていることは多々あると感じる…。
・社会的には
その人の生活するコミュニティで、自立して生きていけるようになること。
一般に、その社会での「成人」の基準は年齢で定められることが多く、成人することにはいろいろな権利や責任が伴う。
みっつの観点から。ありがとうございます。
やっぱ大人って言うと、成人がでてきますな
戦国時代〜江戸時代は、年齢に関係なく、元服し、嫁をとり、一家を構えたら「大人」でした。先代が隠居する、あるいは亡くなれば家督=財産を相続し管理する義務が生じました。
そうした意味で「大人」になっていない人が増えているかもしれません。
うわ。やられた。確かに、時代とか国とか、両性について答えろとか、設定してませんでしたね。
負けきった。
以下は、とっさに思いついた即興演奏の再生
ぼくはたぶんピーターパンや星の王子さまの側に亡命してるようなところがあるので、大人になるというのをどちらかと言えば否定形でとらえている、、、なので、そういう大人になるのには、というお話。
おそらく大人になる方法はないけれど、大人たちが通った道というのはどうやらあるようだ。大人へのトンネルとでもいうか、だが、それは「大人になる」のではなく、むしろ「大人にされる」なのではないだろうか?
人は大人に「なれるのか」「なろうとする」ことはできるのか?という疑問がある。そうではなく、人はいつしか「大人にされてしまう」のではないかだろうか
たとえば就職でも結婚でも出産でも事業をはじめるのでも家業を継ぐのでも親の借金でも長期のローンを組むのでも、何でもいいし、人それぞれにいろんなかたちがあるだろうけれど、
とにかくそんなふうにして、
1)まず、自分の牙城をどんどん明け渡さざるをえなくなってしまう
2)で、そうやって自分以外のものを優先せざるをえなくなってくる。
3)そうやって自分以外のものを優先せざるをえない暮らしの中で、それでも自分をどうにか保つ術が次第に身についてくる。
4)それはけっこういびつなアウトラインをした自分の像ではあるのだろうけど、そこで歪められたいびつな自分がたぶん大人だろう。そこで悩んだり傷ついたり苦しんだりもするのだろうが、そんなことをいちいちとやかく言ってるヒマはねえ、というように、知らず知らずにだんだんと(なし崩し的に大人になってしまうんだってばァ。そう、大人にされてしまう。世間に。だから、大人にされるには、どこで、どんな人たちの中で大人にされるかにひじょうに左右されます(ケースによっては「非情に」というのもアリかも)。それは(たぶん)家庭からはじまってるし親や(両方だったり片方だったりどっちもなしだったり)兄弟だったり、学校もあるし遊び友達もある。ただ大人へのトンネルに入るのは(あるいは大人インターチェンジに入るのは)時期的にやはり仕事をするようになってからだろうから、その時期にどんなところでどんな人たちと一緒にいるかというのはとても大きい。業界ごとにどこかノリや人種ができてしまうのもそういう訳。やはり、英語で言うカルチャー(文化であるわけど、むしろ風土といったおもむきが強い)。どこでどんな人々の間で大人になるか!? これから大人になる人は、そのへんを若干意識しておくとよいかも。ヤクザ屋さんからエリート官僚までいろいろあります。もちろん、どこにいっても凄いタマはいます。そういうのと出会えるのも(あるいは発見できるのも)あなたの素質、大人になる下地として(すでに/つねに)形作られてきた。
5)自転車の手放し運転ってあったじゃない、子供のころにしなかった?よーするに大人とは人生の手放し運転ができることかも。余裕をかますってことか?
6)だけど、自分で見えない大人の自分のアウトラインには気をつけたいですね。子供のころに親のところに来るお客さんとか商店街のお店の人とかガッコの先生とか、大人たちを見てて、子供の目にもヘンな大人、いい加減そうな大人、嘘つきっぽい大人の人ってハッキリとわかったでしょ。アレはコワイです。TVに出て来る大人とは少し違った大人たち。いつしか自分もそういう大人になっっちゃってる自分にふと気づくわけですね。そのとき子供の目にどんなふうに映っているか? ま、そんなこと言ってるヒトはまだガキですね。いや修羅かも。
あ、何かの鬼になるのも(大人を飛び越えちゃう)いいバイパスかもしれません。鬼の道から達人(The Master)になる。
それと比べれば、「大人」になるというのは「凡人」になるということです。(苦笑)。だから、ようするに「凡人」にされちゃうんですね。愛すべき凡人になりましっしょい。
(URLはわたくし強力プッシュの優しい鬼たち)
うわ、長文。長文には長文で感想を述べる。
ぱっと目に入ったとき、ダメだこりゃと思いました。いきなり、「そういう大人」て。どういう大人だよと突っ込みをいれつつ。
2段落目、大人のなり方なんぞ聞いてないっつーのと思いつつ読みました。そして気付く。あぁ、この人は「大人になる」って、動詞で捉えているんだねと。確かに、それはアリ。
続く3段落目。
1)〜4)で、どうやら、
自分以外のものを優先せざるを得ない暮らしの中でどうにか自分を保つと、いびつな自分の像ができる。それが、大人。と。
つづく5)で、今度は
大人になるとは、人生の手放し運転ができること
さらに、6)で
(達人との対比において)大人になるとは、凡人になるのと同義だと。
3つ、出てきたね。どれよ?全部?最初の「そういう」大人って、これら3つ?
いびつな自分を持ちつつ、人生の手放し運転ができる凡人。大人。
大人にされるプロセスの描写は、今回の質問にしてみりゃ全くどーでもいいことですけれども(「大人にされた」結果、人々は「大人になる」でしょ?意図的に、主語を書いてないんだよ、この質問)、おもしろかったですよ。
あえて、意味不明にすることによって、人をひきつけるのです。
歌詞なんてゴロがいいのを組み合わせてるだけでしょう。
この歌詞は、つんくの作戦です。
えっと、これ、質問違いでしょ。だよね?
「大人」という明確な基準となるものが無いから難しいですよね。
ですから、まずその基準値をなんとなく自分なりに決める。
世界レベルでも日本レベルでも職場レベルでも構わないと思います。
そのレベルに自分を合わせる(表に出さない)ことが「大人になる」こと、
無理に合わせなくてもそのレベルになれたら「大人になった」ということではないでしょうか。
具体的には「自分を客観的に見られる」ことができれば
おのずと大人になっていくと思うのですが。
ありがとうございます。一瞬、私はネタ質問への回答をもらった錯覚に陥り、さて、どーしたもんかなぁと思いあぐねておりました。
よかったぁ。
「大人になる」の大人は、大人(たいじん)と読みます。大人(おとな)ではありません。
「大人になる」は、人生の目標、生きる目的でもありますね。
大人とは、徳を積んだ、度量のある人のことです。
では、どうしたら「大人になる」事が出来るかといいますと、努力すること、日々励むことですね。
私の場合、上記URLで、人間に関わるすべての分野に、貪欲な好奇心を抱き、先人の姿勢を己の姿勢として、日々学ぶことを怠りません。
これは知識を身につけるということではなくて、大人としてあるべき知恵を身につけるためです。
例えば「己には厳しく、他者には寛大に」とか、先人が残してくれた生きるための知恵が無数にありますね。
他者から謙虚に学ぶことを心がけています。
しかし、「大人になる」道は厳しく、「大人になる」道は果てしなく遠し、と実感しています。
3行目まで即採用です。
大人のなり方は知らなーい♪
たいじん。ありがとうございます。しょうじんします。
http://www.taka.co.jp/sasaochu.htm
株式会社ササガワ[タカ印紙製品]:指定されたページが見つかりませんでした。
お中元、お歳暮、お年賀など、
面倒だといいながらやっていた親を見ていて、気づいたら自分もやっていたと言う事ですかね(^^
あぁ、大人になったなったんだなぁと思わせられますね(苦笑
んー、大人だと実感する瞬間をお答えいただきありがとうございました。
えっと、ここから抽出すると、だ。
お中元、お歳暮、お年賀など、迫り来る数々の季節のイベントをそつなくこなすことができるようになること
だと思うんだけど、そう解釈してよろし?
URLは発達心理学からの見方です。大変詳しいと思います。ご参照ください。
1950年代にハヴィガーストが主張した青年期後期の発達課題によれば,
「配偶者を選ぶこと」,「配偶者との生活を学ぶこと」,
「第一子を家族に加えること」,「子供を育てること」,
「家庭を管理すること」,「職業につくこと」,
「市民的責任を負うこと」,「適した社会的集団を見つけること」
といわれています。
要は,青年期前期(心理的離乳期)から,新たな結びつきとして
仕事や配偶者・家族はもちろんとして,社会的成員として自らのポジションの構築
を「模索していく」ことが大人になることだと考えられます。
あー。ね。この方、都会で生活したか、都会の人を念頭に置いていたんだなぁと思わされる方。
たぶん、この人にとって「市民」って、単純に都市にすんでいる人のことくらいの意味なんじゃないかと思うんです。実際のところはどうなのか知らないんだけれども。
それはそれとして、模索がポイントですな。ありがとうございます。
ありがとうございます。
「あと」の使い方に、大人子どもを越えた若さをみました。