拈華微笑という禅の用語の別の言い方だと思います。
禅は中国で成立した新しい宗派なのでこういった逸話がいっぱいありますね。
元のページが消えていたのでキャッシュになります。
http://www.kannon-in.or.jp/kanji/bu-dangi/bu200007.htm
観自在/佛教談義 その三十一 2000-07 お釈迦様 花 ご利益
以下引用
ある日のこと、お釈迦様が蓮華(はす)の花を手に取り、
それをお弟子さんたちに示された。
が、佛の意中をはかりかねて、みんなは呆気にとられて黙ってい
た。しかし、それを見て迦葉(かしょう)だけが、一人にっこり笑
ったという。これを古来から世尊拈華破顔微笑といっている。この
故事で伝えようとしているのは、佛法は、文字や言葉によらず、心
から心に伝わるものであると、暗に教えている
迦葉という人は釈迦から教本表すことの出来ない秘法を授かったと言われる所以の出自がこの故事だと思われます。
拈華微笑(ねんげみしょう)のことではないでしょうか。ちょっと下のほうにあってわかりにくいので引用すると、
>仏教用語。心から心に伝えること。 類:●以心伝心 故事:釈迦が霊鷲山で弟子に説法しようとしたとき、梵王が金波羅華(こんぱらげ)を献じた。釈迦は一言も言わず、ただその花を捻(ひね)っただけなので、弟子たちはその意味が理解できなかったが、迦葉だけが、にっこりと笑った。それを見て釈迦は、仏法の全てを迦葉に授けたという。
wikiのページです。『無門関』より、
>世尊、昔霊山(霊鷲山、グリドラクータ)会上に在りて、花を拈(ひね)りて衆に示す。是の時衆皆な黙然として、惟だ迦葉尊者のみ破顔して微笑す。
世尊云「吾に、正しき法眼の蔵にして涅槃の妙心(正法眼蔵・涅槃妙心)、実相・無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(不立文字・教外別伝)、摩訶迦葉に付嘱す」と。
十大弟子のうち摩訶迦葉とは。
正しくは「拈華微笑(ねんげみしょう)」だと思います。
意味は「以心伝心」だとされていますが
こちら、2003.1.31の日記に、原典の文章と解説があります。分かりやすい。
http://www4.ocn.ne.jp/~namino/219.html
仏教と派閥と、その他の宗教と
こちらも踏まえると、禅宗にて伝えられた、禅宗起源にまつわる伝説のようですね。
まず。誤りを指摘させていただきますね。蓮華微笑ではなく、拈華微笑、ねんげみしょう、と読みます。一発変換されるはずです。件の逸話は上のURLにあります。
かいつまんで言うなら釈迦が「悟りとはどういうものか」と問われて花を弟子達に示して見せたとき、迦葉という弟子だけがその意味を知ってにっこり笑った。というだけの話です。
ある時、釈迦はいつものように大勢の前で説法をしていたのだが、梵天王から蓮華を1本捧げられてそれを受け取るや、突然黙り込んでしまった。そして、何やら曰くありげにそれを摘み上げて見せた。居合わせた聴衆はその意味を量りかねて、皆押し黙ってしまった。その中で独り迦葉は喜色満面にして微笑を漏らした。それを見た釈迦は、「私が持っている真理は、たった今、迦葉に託した」と宣言したのであった。
このようなイメージが築き上げられた迦葉だからこそ生きてくる説話がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85
禅 - Wikipedia
蓮華微笑ではなく、華を捻って微笑む、ネンゲミショウです。
釈尊が説法の時,華をつまんで微笑まれた時に、何の意味なのかを迦葉(かしょう)だけが察することができたということで、以心伝心と言うように,言葉だけでない何かの伝え方を言うのだと思います。
禅で良く使われる言葉だと言います。
-----ばっすい、ここから
大日經には「光色皓月、商キョと軍那華との如く微笑して白蓮に座し、髻に無量壽を現ぜり」
-----ここまで
詳しいものでなくて申し訳ないのですが出典が判ればと思い回答させていただきました。
60ポイントで回答1個しか見れんとは思わんかった。せっかく調べてくれたみんなゴメンな。