但し、実験できるか否かという観点は除いてお答えください。
なお、回答にあたりあなたの専攻を付した上でお答えください(というわけで、本質問は、高校卒業者を回答希望対象にしたものではなく、大学卒業者をそれにしたものです)。
私法を専攻して卒業する見込みだが、上記の本質がどういうものかを今ひとつよく分からずにいる者より
医学部-医学科(医師養成)でした、入試はバリバリの理系でしたが、理系的な事は単に検査、toolやアプローチの方法でしょう。 そういう手法の仕事は多いでしょう。 違いを追求するのは、あまり意味が無いのかなと思いますが..
文系と理系というカテゴライズの存在について原因と結果を求めるのが理系人間。カテゴライズを認めた上でどのように感じるかを考えるのがわりと文系人間。
と答えておきながら、本当は単に所属学科に対する文部科学省や受験産業の規定がちがうだけだったりとか。
一般的に文系学科と理系学科では、どちらが客観的な世界を扱っているかというと、理系なのではないかとおもいます。したがって理系の方が、学問的な仮説に対して、いわゆる「正解」が出やすいところにあると違いがあるといえるのではないでしょうか。
これに関連して、文系が学問の記号として、ほとんど一般的な言語(使い方によっては曖昧でも済まされる)のみを用いるのに対し、理系は数字や別の記号も併せて使うので、指示内容が明確というか限定的です。
私は歴史を専攻しましたが、遺された過去の事物などに即して、ある「系譜」を見出し、その将来性を論じるような手法が好みでした。これは、いわゆる人文科学系の学問によくみられるものです。事実や、基本的な論理の組み立てに関すること以外、正解・不正解が判定できず、あとは魅力、説得力の問題になります。
そこで導き出されるのは、結局「ものの見方・考え方」となりますが、それが科学技術の使われ方などにも影響を与えるわけですから、理系より劣っているという認識はありません。
http://www.kiss.c.u-tokyo.ac.jp/educ/grad-jugyo.html
国際社会科学専攻の授業科目
ただし文系といっても社会科学系は、上記のような人文系の手法もとるし、対象を社会などとして自然科学的な観察とか実験(刺激を与え反応を見る)などしますから、いちがいに同じ類の学問ともいえないところがあります。
理系でも、観察結果を分類する類と、新たな物質を生成する類では、学問の相互作用はあるにしろ、そこから同じ理系の原理を抽出するのは難しいほど異なっていると思います。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0267.html
松岡正剛の千夜千冊『日本人の法意識』川島武宜
私法を専攻されたということですが、その研究の究極の問いが仮に「よりよい世の中にするための社会的ルールはどのような形にすべきか」であれば、
法律の形と解釈に関する過去と現在のみならず、心理学をはじめとする人間の本性や、日本の社会のなりたちに関する研究などを深め、総合することが必要となるでしょう。
その手法には社会科学的なものと、自然科学、人文科学的なものとが混在することになるのではないかとおもいます。
http://www.ms.kuki.tus.ac.jp/KMSLab/makita/stellung/stell_phi_ph...
私の立場 哲学(哲学の事柄) 哲学とは
専攻は哲学でした。
哲学は自然科学と違って唯一の「答え」を探し求める学問ではなく、むしろ新たな「問い」を提起する学問であるといわれます。
哲学をすべての文科系の代表にすることに異論もあるでしょうが、すべての学問はまず、疑問を持つところから始まるわけで、これを頭の中でひねくり回しているうちは、自然科学には発展していきません。
ひねくり回す頭の数だけ答えが出てきてしまう可能性もあるからです。
そのひねくり回し方が、言語学であったり、社会学であったり、という文科系の学問への枝分かれに発展していくわけですが。
で、その哲学が開拓した新しい問題の領域を、ある現象面に絞って客観的な事実のみを模索していこう、つまり誰が頭をひねくり回したとしても変わらない答えうぃもとめようとした時点で、自然科学という学問は生まれたのでしょう。
医学も物理学も天文学も、あらゆる理科系の学問も、その始まりは哲学だったゆえんです。
どうも、文章が散漫で申し訳ありません。一言でまとめるなら、たった一つの答えを模索するのが理科系、いろいろな可能性を追い求めていくのが文科系、ということで、いかがでしょうか。
(ご専門の法学も、裁く人によって答えが代わってくる、ある種典型的な文科系学問ですよね)
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
自分は薬学部卒です。
個人的には文科系、理科系っていう分け方にはあまり意味がないと感じています。
学ぶということに関しては、論理的な思考、柔軟性が要求されます。
文系だから感性豊か、理系だから理論武装でギチギチなんてことを言われたりもしますが、理系研究者には、柔軟な思考と感性により重要な発見をなされた方々が数多くいらっしゃいますし、文学研究においても、体系的に、論理的に物事を組み立てて行くことが要求されるはずです。
高校2年の時、授業を選択するにあたり文学部に行って国文を勉強しようか、薬学部に行こうか、本気で迷いました。
単にその対象が違う分野にあるというだけで、さしたる違いはないと思っています。
個人の興味がどこに向いているかで進む方向が変わるだけだと。
余談ですが、同じ学部出身者の中にも、論理的にどうかという以前に、感情論だけで押してくる人も当然います。
そのあたりは、個々の人間の本質に違いがあるのだと理解しています。
Yahoo! JAPAN
いい質問ですね。
私もTomcatさんの仰るように、研究対象の違いにすぎないと思う。学問というのは本質的に論理的なものであって、感性の介在する余地というのは少ないです。
あくまで大学受験という選別システムの中での区分だけ、じゃないのかなと思います。
だから、理系だから国語ができないといったのは間違いですよね。確かに、純文学などのような技術に比べ感性の比が高いものというのは論理では割り切れないと思います。
けれど、いわゆる「国語」が教えるべき論理的な文章、すなわち法文や評論文などは、理系でも文系でも論理をわかっている人は一様にわかるのですね。
ぼくも、わからないのは美術や純文学といった所謂ファインアートというもの。確かに、技術というのはある程度のロジックなのですが、感性の比があまりにも大きいかなと思います。
物理専攻です。
>理系向けの大学設備には予算がかかるため、明治政府は数学ができない人間をふるいにかけたかった。そのため、理系と文系の区別ができたのだ。
とあるように、そもそも理系と文系と呼ばれているものの間に、なにか本質的な差異があるのだとは思いません。せいぜい数学を利用するか否か(人文科学か自然科学か)といった程度のものだと認識しています。
人の背中は見えるが、自分の背中は見えない
文科系と理科系の違いを一言でいうなら、
研究対象が『人』か『人以外』かだ。
人の病気を治す医学部は理系であるが、患者は生物の一種と考える。
(文科系の研究対象が『人の心理から生まれるもの』とした方が解りやすいかな。)
文科系か理科系かで結構考え方が違う。
しかし僕は文科系の理論は理科系で、理科系の理論は文科系でも使えると思う。
(学問を追及していくと、元は全て同じ)
趣味ではあるが今それを研究中。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A7%91%E5%...
人文科学 - Wikipedia
専攻は哲学でした。
文科系と理科系の違いは、端的に言って
人文科学と取り組んできたか自然科学と取り組んできたか、
という違いだけでしょう。
学ぶということはすべからく「科学する」ということであり、
論理的思考によって究極は真理を探究していこうとすることが学問です。
ここにおいて文科系理科系の違いはなく、
ただ学問的対象が自然の所産であるか
人為の所産であるかのみによって
その専門性が分れます。
「本質的な違い」を探求するならば、
ここのみに答えが求められるでしょう。
よく文系人間・理系人間という言い方もされますが、
学問を「科学」としてとらえた時、
そこに大きな違いは存在しないはずですし、
また、違ってはならないのだと思います。
文学も法学もまた科学です。
http://www.hatena.ne.jp/1108845953
人力検索はてな - 1. 文科系と理科系の本質的な違いは何なのでしょうか。 但し、実験できるか否かという観点は除いてお答えください。 なお、回答にあたりあなたの専攻を付した上でお..
URLはダミーです。 ごめんなさい。
**大学工学部情報工学科卒業です。
なので、理系としての立場からのコメントと言う事で....
(情報工学は、文系/理系と言う意味では中途半端と言うイメージ
ですかね。 因みに私が併願したのは電気工学です。)
自分のイメージとしては、数字や理論が好きな人が理系かな。
会社勤めをしてそれなりの年数が経ちますが、状況を順序立てて
説明しても理解して貰えない場合には、かなりがっかりしますね。
一生懸命説明しても感情論で押されると、なす術はありません。
「何で状況を理解できないんだろう」と思いますけれども、発想
の構造が異なると思えば、「しょうがないなぁ」と思います。
と言っても、別に文系の人達を否定している訳ではありませんよ。
あくまで「発想が違う」なんですよ。 自分としては、データや
状況証拠を並べれば「言っている事が正しいだろう」と誰もが
思ってくれるだろうと思うのですが、実際には思う通りの展開には
なりません。 「そう言う考え方があるの?」と驚く毎日です。
まぁ、必ずしも全員が“文系/理系”に分かれるとは思いません
けれどもね。 あくまで、「その傾向が強い」と言う事で。
回答になっているかなぁ〜、と思いながら、経験上での思いです。
では
データや状況証拠というのは、主張を裏付けるために用いるわけですよね。学問には、その理由づけとして数値、あるいは言葉で記述された根拠があります。
そういうのを無視してしまう、あるいは理解できないというのは、文系だからしょうがないやと納得されるのではなく、大学卒業者と言えるのかどうかが怪しいからだと考えられたほうが正しく感じます。
しかし、ビジネスとなったら学問的ノウハウよりもそれ以外の問題解決方法も通用しそう。
http://www.tackns.net/sub/igen.html
文科系の方が威厳があるのはなぜ? - Tack'ns
文科系は、感性で書ける。理解できる。
感性で答えが千差万別。
http://www.tackns.net/sub/somatsu.html
理科系を粗末にすると国が滅ぶ - Tack'ns
理科系は、起承転結がはっきりしないと
美しくない。永遠のクイズみたいなもの。
絶対の答えしかない。
そうじゃないでしょうね。
というか、お答えが妥当なものか判断する以前の問題で、書かれている内容が不明瞭なため判断しようがないですね、これじゃ。
ところで、「回答にあたりあなたの専攻を付して」というのは読んでないんですか。
書いておいてほしいのは、その専攻者が想定している文系ないし理系のイメージにバイアスがあることが予想されるからなんです。
高校の時点もしくは大学の看板での話は、単純に学部もしくは学科による選別ということでしょう。
卒業して感じたことは、文科系の学問というのは、法律もしくは慣習を立証の根拠とする学問であり、理科系は、立証の根拠を科学的事実にする学問といえるでしょう。
書かれる以前に、質問文をよく見て、何が求められるかを認識されてから回答されるようお願いします。
・自然科学は自然事象を対象とする科学的研究
・社会科学は社会事象,より具体的にいえば社会における人間行動を対象にした科学的研究
・人文科学は人間そのものに関する学問、とりわけ精神的活動の成果に関する研究のこと…をいうのかな。
いわゆる理科系とは自然科学を専攻するところ、文科系とは人文・社会科学系を専攻するところと定義づけできます…が、厳密にいうと現在の学問領域は細分化され、最近の大学の学部・研究科の設置申請・認可の状況を見てもどの学問領域かと問われるとどこでもないような学部がたくさんあります。人文科学と自然科学、社会科学と自然科学の複合領域に教育内容がまたがる「学際領域」という造語が生まれています。
私は法学部の民事法専攻ですが、職業生活を送るにあたって、自然科学の知識は絶対に必要な素養だとわかってきました。仕事で来る文章を読んでもさっぱりわからないのはかなりきつい…。
あまり勉強しなかったことを現在後悔しているところです。
何だか文系理系の区別は上記に書かれたこと以外の意味はないですよね。
>自然科学の知識は絶対に必要
うん。
http://iwatam-server.dyndns.org/column/64/
文系と理系 再び | iwatamの個人サーバ
理系(電気系)卒業で、現在、言語に関連する仕事をしてます。
上記URLに下記があり、自分は同意見です。
−−−−−−−−
理系の人は、まず自然をよく観察し、実験をしてデータを集め、そこから法則 性を導き出す。文系の人はまず人間をよく観察し、仮説を立て、それを現実に あてはめて正しいかどうかを確認する。
つまり、理系と文系では、法則性と事実が逆になっている。理系はまず事実が あってそれにあてはまる法則を出すという順番なのに対して、文系ではまず法 則を立ててそれを事実と比べて検証する。
−−−−−−−−
学生時代、哲学は眠いだけでした。しかし、最初の職場の先輩(理系)から、自然科学をちゃんとやれば弁証法そのものだと指摘されました。それ以降、哲学講座が催眠ではなくなりました(笑)。
TomCatさんが指摘しているように、学問対象の違いでしょう。学問対象の中に人間の営みを含むか否かが違うだけのように思います。
上記URLに下記もあります。
−−−−−−−−
残念なことに、学校教育ではこの原理の正反対のことをやっている。理科では まず公式を教え、そしてそれを実験で確認する。逆に文系では個々の歴史上の 出来事をまず教え、その間の関連性を考えさせる。だからどちらもつまらない 授業になってしまう。
−−−−−−−−
授業に馴染めたか否かが進学時の文系理系を分けていると思います。
表現から一見、文系と理系の違いが明快に示されているかに思えます。が、理系だったら検証しないのか、あるいは文系だったら法則定立をもうちょっと遅くしないのか等、突込みができそうな説明ですね。
自然科学の知識がないと分からん哲学が確かにありますね。とりわけ物理学を全然勉強せずにマッハ『感覚の分析』を読み始めて「???」となった記憶があります。
ただし、すべての哲学が弁証法で解明できるとは賛同しかねます(ドイツはそんなんばかりやけれども、英米は違う)。
http://starfish.dyndns.org/y/archives/2005/01/caeccac.html
無関係な死 出張中: 線引き問題:理系と文系
情報工学と哲学を専攻しました。
ご質問の理系と文系の違いにつきまして。その本質的な違いは無いというのが最も正答に近いと思います。例えば心理学と経済学に関しまして、現代日本では双方とも文科系に含めて考えられていると思いますが、欧米の大学では理系と考えられ数学的能力が強く求められている所もございます。経済学など、日本の学者は数学ができないので、世界的にはほとんど通用しない(ノーベル経済学賞の対象たりえない)とも言われています。
医学の脳科学を専門にやられる方は、自分のやっているのは科学ではなく宗教学ではなかろうかと錯覚する瞬間もあるそうです。物理学の礎石であるニュートンのプリンキピアは、宗教色の強い書物です。突き詰めてその本質を考察してゆけば学問カテゴリはその時代とその地域から帰納された一見解だと思われます。その国の教育行政組織により、便宜的に区分されているというのが実情でしょう。
ここまでくると、理系文系とは実に現在には通用しにくい概念ですね。
専攻は化学です(大学院2回)
理系=ヒラ
文系=管理職
livedoor
大学の専攻は応用力学でした。「理系」のバックグラウンドで、「文系」の仕事をしています。
日本で言うところの「文系」「理系」というのは、正直言って少しずれていると思っています。
自分としては、「哲学系」「科学系」「実学系」と分けるのが適切なのでないかと思っています。
議論は別の機会に譲りたいと思いますが、日本の大学の学科を分類すると次のようになるとイメージしています。
哲学系=心理学科以外の文学部、理学部数学科、等(主として人間の頭の中だけで完結する分野=紙と鉛筆があればどこでもできる。すべての学問の基礎となる)
科学系=数学科以外の理学部、経済学部、社会学部、等(主として現実世界に起こる事象を解明する分野=真理探究が第一、解決方法は第二)
実学系=法学部、医学部、工学部、農学部、薬学部、教育学部、商学部、文学部心理学科、等(主として現実社会に作用を及ぼす方法を作り出す分野=解決方法が第一、真理探究は第二)
ご異論が多々あるだろうことは、当然承知しております。
さて、日本で言うところの「文系」「理系」の本質的な違いはなにかということです。
私見では次のように考えています。
「文系」=日本を動かすためには、権力をもって人を動かすことだ。さまざまな道具立てを用意して、他人をコントロールして自分の目的を達成しよう。仕切りを完璧にすれば安泰だ、という考え方。
「理系」=世界には人間の力だけではどうにもならないことがたくさんある。真理を見極め、それをコントロールするすべを作り出そう、世の中100%安心ということはない、という考え方。
日本において「文系」が相対的に優遇されていると感じる人が多いのは事実でしょう。
日本人の性質として、理屈が正しくても、イヤなものはイヤ。でも長いものには巻かれろ、という面があると思います。
結果として、他人を支配することにのみ熱心な「文系」人(上にはイエスマンで、下には絶対君主)が相対的に幅を利かすことになってしまうと感じるのです。
まあ、そういう風に文系理系の定義をされれば、たいていの人が社会の中で生きていく以上、あなたのおっしゃる「文系」的視点は多かれ少なかれ必要なものじゃないでしょうか。別に、「文系」には悪い側面だけがあるわけじゃない。
とりあえず、私見。
文系・理系の学問上の取り扱いは違うが、その対象とする学問への取り組みに当たり、文系あるいは理系独自のツールがあるかのように研究上の手法まで区分けされるなんておかしいってことかも。ましてや研究上の手法云々以前の教育上の理系文系の区別するなんて不必要ってことかも。
もう終わります。
実は、私も文系と理系との違いが、単に学問対象が自然かそうじゃないかにしかない気がしたんです。ロジカルな考えをしない学問なんてあるんでしょうか。また、例えば哲学が文系だけのものだとか医学が理系だけだとかは、実に誤れるものです。
関係ないですが、高校時代に文系理系に区別する意味なぞ有害無益だった気がします。全部するのは3年間では無理なため、あるいは大学受験科目がそんな仕分けをしているからという気がしなくもなかった。高校3年でやるのが無理ならプラス1年してでも全部しろよというのが良いなあ。