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引用:表題作である「世界の中心で愛を叫んだけもの」はアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話の「世界の中心でアイを叫んだけもの」の基になっている。
この話は内容的になにを書けばよいのかいまいち分からない。
「名前の無い土地」などは最後の最後でこの土地の名前を知ったとき驚いた。
「少年と犬」は核戦後の瓦礫の山と化したシティを舞台にチンピラの少年と言葉を話す犬との友情を書いた話で、これは理解しやすく楽しめたと思う。
他にも色々な話があり、読んでいくと終わりに期待できる作品が多い本です。
だそうです。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」ハーラン・エリスン (著)→新世紀エヴァンゲリオンの最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」(「けもの」のオマージュ)→「世界の中心で、愛をさけぶ」(パクリ)
ということがわかりました。
正直、最初の回答はゴメンナサイでした。
エヴァもセカチューもエリスンのをタイトルパロったのは知っていましたよー。(正直パロった二つは内容詳しくは知らないけどタイトルだけだろうと思う)そうじゃなくて難解なんで内容の解説が欲しかったんですが。
ちなみにAROA2005さんがエヴァを(オマージュ)、セカチューを(パクリ)としているのはなんか他意があるんでしょうか? 同じじゃないの?
http://kdai-toshokan.web.infoseek.co.jp/ellisonh.html
ハーラン・エリスン〈Harlan Ellison〉
原題のほうがわかりやすいかもしれませんね。
The Beast that shouted Love at The Heart of The World.
世界の中心(Heart)とは人知を超えた存在を意味し、人類は中心(Heart)の意思(Heart)を推し量れない。
話はそれますが、
エバンゲリオンにも人類補完計画という人知を超えた存在に近づこうとする計画がでて来ます。
対して、セカチューは単に響きの良いタイトルを当てはめただけで、話の壮大さは前2作には及びません。
だから私もエバンはオマージュ、セカチューはタイトルパクリと思ってます。
うーむやはりまだ分からないです。でももう回答も付かないと思われてきたので終了します。
>話の壮大さは前2作には及びません
・・・どうなんでしょうね。別にセカチューの肩を持つつもりもないですが、オマージュもパクリも原意は同じですし。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」について何も書かれてないようなんですけど。これで、「だそうです」というのはあんまりですー。
エヴァの下敷きとあるが、見たことないけど、多分タイトルパロッただけじゃないの?。下敷きにしたんであれば両者の内容比較をしてるサイトとかあれば、それはそれでいいんですけど。