昔の蒸気機関車では複数人乗務してましたよね?
1名運転になるのに曲折(反対)は無かったのでしょうか?
預かる人命の多さ、事故時の影響を考えると疑問に感じます。
例えば以前テクノジャンボが導入された時、航空機関士の削減に組合は猛反対しましたよね。
今は結局2名体制ですが、どんなに進歩してもまさか副操縦士がいらないと言う話には今後もならないはず。。。
これに比べ、なぜ列車は国鉄・私鉄各社すんなり1名に減ったのか疑問です。
回答には正確性を求めます。
http://encyclopaedicnet.com/japan/a_/a_a_a_a_e_e__6.html
日本百科事典 - ワンマン運転
1950年代に一部で始まりました。
複数と言っても実質は動力の石炭を絶えず補充する
助手として乗っていた訳ですから、
一人で運転してたと同じです。
電動になれば、石炭をくべる助手も必要もないです。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/56/rn1986-110.html
法政大学大原社研 1984〜1985年の国鉄の合理化と民営・分割問題〔日本労働年鑑 第56集 110〕
まず、大原則ですが、列車は2名乗務、電車は1名乗務が基本です。
それは、列車は蒸気機関車から発展したことで、
蒸気機関車では、当然石炭を炊かなければいけないので、
2名以上の乗務になります。
その延長で電気機関車やディーゼル機関車牽引の客車では、
機関士と機関助士の2名乗務に成っていました。
客車から替わった、長距離の特急電車や新幹線も、
最初は2名乗務でした。
それとは別に電車は、路面電車からの発展のため、
最初から1名乗務で、近郊電車や私鉄は現在まで続いています。
それを踏まえて、二段階で1名乗務に変わった経緯があります。
一回目は機関車の1名乗務で、それは1970年(昭和45年)頃から順次進めるられ、
1985年(昭和60年)頃に完了した。
当時はそのために頻繁にストライキがあり、電車の運休や遅延がありました。
今では考えられませんが、電車や機関車にスローガンが書かれていました。
二回目は長距離電車や新幹線の1名乗務、1980年(昭和55年)頃で、
一回目よりひどくはありませんが、それでもストライキはありました。
決して曲折や反対が無かったわけではありません。
ありがとうございます。
終了します。
ありがとうございます。
もともと運転士2名ではなく、運転士+その他と言う性格だったわけですね。