http://www.hatena.ne.jp/(o^ー’)b:detail]
趣味は個人の自由ですから、
理由のあるなしにかかわらず、
好き勝手に変えていいものと思います。
ただ、イデオロギーとなると、
これを変えることは敗北ですよね。
信念が崩れただけなら
まだ負けたわけじゃありません。
崩れたものは、もう一度積み直せばいいんです。
でも、転向してしまったら、もう元には戻れません。
再び積み直すことは出来なくなるんです。
過去を振り返るのが辛くなります。
それに、イデオロギーというものは
少なからず社会的な影響を与えるものですから、
ある程度は責任だって取らなければなりません。
少なくとも影響を与えてきた他者に対しては、
与えてきた影響に見合う程度は、
何らかの申し開きが必要となりそうです。
それでもよければ、イデオロギーだって自由です。
もう一度積み上げることを放棄して敗北を容認すれば、
何でも自由に変えられます。
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全然問題ないと思います。とっとと趣味やイデオロギーを転向する、ということ自体立派な信念ではないでしょうか。
ただし、一緒にやってきた人を裏切るような行為になる場合だけはやり方について要注意かもしれませんね。
人間は自己実現をすることで喜びを得る動物でしょう。自分が納得して趣味やイデオロギーを変更するのであれば、悪いことではないでしょう。最近突発的に発生する、破廉恥主義とか凶暴主義とか、刑法等法律に触れることがないようなものであれば。
(基本原則)第1条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。3 権利の濫用は、これを許さない。
→こちらに違反しない限りの自由は保障されています。
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Amazon.co.jp: 生き方のコーチング: 本: ローラ・バーマン・フォートガング,米山 裕子
決して悪いことではないです。
過去の自分を責めるのではなくて、変化を受け入れることができた自分を誉めてあげることが出来れば最高なことだと思います。
MSN パーソナルズ
URLダミーです。
自分自身を生かしていくことの中で信念などが生まれると思います。逆にいえば、信念が無ければ生きていてはいけないのか?と聞けば答えはNoだと思います。だから、趣味やイデオロギーを転向してしまうことはわるいことではないと思います。長い人生において、回りまわって考えは変わるものだろうと思いますし、回帰する場合もあるでしょうし、新しい何かを得ることも有ると思いますし、悪いことではないと思います。
http://www.geocities.jp/pchchk/
論語講座「以費塾」
URLはダミーです。回答が重複し多々ポイント不要です。
君子は豹変する。
意味:自分の過ちに気づいた時、立派な人間は豹の身体の柄がクッキリとしているように、すっぱりと態度を改める。
過ちを改めるに憚る事なかれ
意味:自分の過ちに気づいたら、それを改めることに躊躇してはならない。
両方とも論語の言葉です。数千年たってもこの言葉は真理だと思いますが、逆説的にいえば、こう言う言葉を残したという事は人間は古今東西転向することに躊躇するようですね。それは、そのイデオロギーを信じてしまった自分の愚かさを認められないから。
それは、孔子自身も。晩年は自分の行動に確信が持てなくなったのか、「夢に周公を見ず」と、自分が理想とした周公を夢にに見なくなったことを嘆いていますが、これは孔子の行動原理が「怪力乱心を語らず」というわりには、夢にその姿を見る・見ないというオカルティックというか思い込みに支えられていたことの証明でもありますね。
悪いことではないけど、それを実行できる人は少ないし、それが正しかったか間違っていたかは、取り返しがつかないぐらい時間がたってからでないと結論が出ない場合が多い、という事ですかね。それでは現在活動している人間は困るから、「転向は悪いことだ」というイデオロギーが生まれて、行動を縛る……と。
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イデオロギーですが、崩れそうな時こそ筋を通すべきケースもありますが、じっくり自省してみて自分に誤りがあって改めるのはさして悪いことではないと思います。
しかし、流行に踊らされていたり、浅薄なままで主張をコロコロ変えるのはあまり良く見えませんね。
次に趣味についてですが、それぞれ年齢や経験で見方が変わってきますし、特に問題は無いかとv(・ω・)b
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悪いことではありません。第一に、自分の信念だと思っていたことが信念でなかっただけのことです。
趣味やイデオロギーなど、その瞬間にしかない幻にすぎません。誰でもそれらを一貫している人などいないのです。
別に悪い事ではないんじゃないですか?
良いとか悪いとか考える前に、趣味ってなんで持つのか考えてみてはどうでしょうか。
細かい事考えず、好きな事をめいっぱい楽しむ、それが趣味でしょう?それで満足感を得られるなら多少のお金もかけるでしょうしね。信念とかそういうのとは結びつかない気がします。
まぁ考え方の違いだと思いますけどね。
ともかく、ぜんぜん悪いことではないと思います。どんどんいろんな事にチャレンジしてみてはいかが?新鮮な気持ちになれるから、精神の健康にいいと思います。
いいのではないですか?人間誰でもあることだと思います。
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URLはダミーです
悪いことではなく当たり前のことです。
ですがイデオロギーが変わることによって、例えば第三者からの評価が変わることがあるかもしれませんね。
例えば「あの人、前はこう言っていたのにやっていること違うじゃない?」ってな具合で。
人によってはそれが許せない場合もあるかもしれませんが仕方ありません。
180度変わることは少ないとは思いますけど、今まで思ってきたこと(信じてきたこと)が更に深い方向や違う角度に変わっていくのは仕方のないことだと思います。
挫折も大事な経験のひとつです。挫折したままではうまくないですけど。
うまくまとめられなくてすいません。頑張ってください。
自分としては悪くはないと思います。
趣味を変えることで新しい自分を見いだせる可能性ができそうなのでいいと言えばいいのですが慣れることができなければまた崩れるかもしれないので悪いと言えば悪くもなるような...
決めるのはあなた自身なので。
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私この趣味と心中と思いながらも色々な趣味に手を染めて、金、時間をかけて来ましたが、どうしても最長5年周期ですっかり変わってしまいます、その度色々勉強するわけで悪くはないこととも思いますが、この趣味20年なんて人のエピソードを読んだりすると、反省の気持ちもあります。ただ、問題は新しい趣味に移った時今までの
アイテム、場所はどうするのだと言う難問に何時も参っています。しかし人生いいとこ50年!したい事をして死にましょうと思うことにしてます。
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# URLはダミーです。
どのような過程で信念が崩れたのかにもよりますが、悪い事では無いと思いますね。
・自分の信念を曲げずに貫き通す人
・柔軟に立場を変えて物事に取り組める人
過去に偉人と呼ばれた人にもいずれのタイプもいると思います。
怖いのは特定のタイプの人間だけに世の中が偏ってしまう事ですね。
多様性が社会の進歩とバランスを司るので、頑固な人も柔軟な人も両方存在して全く問題ないですよ。
http://www.hatena.ne.jp/1115299949#
人力検索はてな - 自分の信念が崩れそうなときや崩れしまったときに、趣味やイデオロギーを転向してしまうのは悪いことですか?
イデオロギーや趣味がその人の信念を
表しているコトもあるかもしれませんよ?
信念ですか。崩さないようにしないといけませんね。ありがとうございます。
「80Sグラフティ」/木村さん
悪いいいの問題ではないと思いますが、無理して信念を通さなくてもいいと思います。
代わりに、人の批判もしないように心がけましょう。
悪いいいの問題ではないですか……。難しいです。
まだまだ回答があるのですが、少し放っておいたら、かなりの量の回答を頂いたので、ここで終了します。
なるほど。抽象的な質問なので、回答を頂けるのか心配だったのですが、世の中はバランスですね。