辞書を見てもイマイチ意味が分かりません。帰納的思考と演繹的思考を、実際の例など示しながら分かりやすく説明してください。
帰納:観察や実験によって得られたさまざまな事実を土台として、
それらに共通する一般的法則を見いだしていく方法。
例)ソクラテスもプラトンもアリストテレスも死んだ。→人間は死ぬ
演繹:まずだれにとっても疑うことのできない真理から出発し、
理性的な推理を重ねることによってつぎつぎと新しい知識を見いだしていく方法。
例)人間は死ぬ→ソクラテスは人間である。ゆえに、彼は死ぬ。
http://www.hatena.ne.jp/1121097106
人力検索はてな - 帰納(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B5%A2%C7%BC&kind=&mode=0&jn.x=33&jn.y=11)と演繹(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=0209290-0000&kind=j..
文章で考えると分りやすいと思います。
帰納的な文章とは、まず具体例などが来て、その後最後に言いたい事のまとめが来ている状態の文章の事です。
逆に、演繹的な文章とは、言いたい事(まとめ)を先に述べてから、具体例を挙げていく形の文章の事です。
ちょこっと数学的に考えると、、
X, Y, Zをそれぞれ命題変数だとすると、
X∧Y⇒Z のような形のを帰納的、
X⇒Y∧Z のような形のを演繹的、と考えるといいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/fear-prayer/
fear-prayerの日記
URLは、ダミーです。
帰納は、まず経験ありきです。たとえば、あなたの周りにいるカラスが皆黒いので、「カラスは黒い(カラスとは黒いものである)」という一般的命題を引き出してくる。つまり、個々の事例から一般的な法則を見出すやり方です。科学では、仮説を立てる際に使われます。
逆に、演繹は、まず理論ありきです。まず、
カラスは黒い」という一般的命題があり、次にそれを信じて、あらゆるカラスは黒いだろうと考える。科学では、仮説を検証する際につかわれます。
要するに、どちらも「推論」の方法で、個々の事例から一般的なルールを見出すが帰納で、逆に、一般的なルールから個々に事例を推測するのが演繹です。科学はこの二つを両輪にして、立論→検証のプロセスを繰り返し、徐々に発展していくわけです。
ひじょうにわかりやすく説明してあるページです。以下は抜粋です。
物事を筋道立てて考えるには、一定のルールがあります。その代表的なものが、帰納法と演繹法です。
帰納法とは、観察された事柄から、何か法則を導き出す方法を指します。例えば、「あのレストランはスパゲティがまずい。ハンバーグ定食もまずかった。だから、あのレストランの料理は全部まずいに違いない。」というのは、帰納法による推論といえます。この推論は絶対に間違っているとはいえませんが、絶対に正しいとも言い切れません。もしかしたらエビフライ定食やみそカツは美味しいかもしれないからです。そのレストランの料理を実際に全て食べてみて、どれもまずかったのであれば、この推論は正しいことになります。(もっともその場合、「このレストランの料理は全てまずい」というのは推論ではなく、事実を述べていることになりますが。)しかし、料理を全て食べてみるわけにもいきません。このように、少数の事例や知識から法則を導いて知識を増やそうとすることは、子供から科学者まで、みんなが用いている手法なのです。
一方、演繹法とは、何か一定の法則から、結論を導き出すことをいいます。「大学生はみんな遊んでばっかりだ。隣の兄ちゃんは大学生だ。だから彼は遊んでばっかりに違いない。」というのは、演繹法による推論といえます。演繹法は前提と結論からなります。先の推論は、
・(前提1) 全ての大学生は遊び人である
・(前提2) 隣の兄ちゃんは大学生である
・( 結論 ) 隣の兄ちゃんは遊び人である
というように分析できます。このような形式の推論は、定言的三段論法と呼ばれています。前提や結論での表現は次の4つのうちのいずれかになります。
・すべてのAはBである
・すべてのAはBではない
・あるAはBである
・あるAはBではない
妥当でない三段論法は次のような例です。
・(前提1)すべてのAはBである
・(前提2)すべてのCはBである
・( 結論 )すべてのAはCである
・(前提1)あるAはBである
・(前提2)あるBはCである
・( 結論 )あるAはCである
これらの推論で導き出された結論は、たまたま正しいこともあります。しかし、手続きとしては妥当なものではなく、常に正しい結論を導けるとは限りません。
先の、「大学生はみんな遊んでばっかりだ。隣の兄ちゃんは大学生だ。だから彼は遊んでばっかりに違いない。」という推論は、手続きは妥当です。しかし、「全ての大学生は遊び人である」という前提は間違っているかもしれません。(この場合は、もちろん間違っているのですが。)前提が間違っていれば、たとえ手続きが妥当でも、正しい結論は導けません。逆にいえば、前提さえ正しければ、いつも確実に正しい結論を導けるのが、演繹法の優れたところです。
Yahoo! UK & Ireland
帰納というのは、多くの事例を集めて、そこから共通事項や一般的な法則を求める方法です。
たとえば、日本人Aさん、日本人Bさん、日本人Cさん・・・・はみんな日本語を話します。よって、日本人はみんな日本語を話す、という結論が出ます。(もちろん、これは必ずしも真ではありません。例外があるので。帰納法による推論の正しさは、程度の問題です。)
演繹というのは、帰納の逆です。ある一般的な法則から、何らかの特殊なケースにおける結論を引き出すことです。
たとえば、日本人は日本語を話す、という法則があったとします。そこから、日本人Aさん、日本人Bさん、Cさんは、日本語を話すという結論が出ます。
大体、こういう理解でいいと思います。もちろん、例外もあります。
http://www.google.com/search?q=”帰納と演繹”&num=10&ie=Shift_JIS:detail]
goo辞書に書いてある通りですが、具体的な事例をたくさん集めて枠組みを考えるのが帰納、枠組みが与えられていて具体的な事例を考えるのが演繹、として良いと思います。
あまり具体的ではない例ですが、手元の紙に点をたくさん打ってその点の集まりの形を推測するのが帰納、まず形を決めて枠を描き、その枠の中の点が枠の中にあるよね、というのが演繹です。
もちっと具体的にいきますか。この三毛猫は雌だ。あの三毛猫も雌だ。だから、三毛猫は全部雌だ。とするのが帰納。「三毛猫は全て雌である」と決まってて、そこからこの三毛猫は雌、あの三毛猫は雄、とやっていくのが演繹です。
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