哲学を何も知らない人間でも分かるように、具体例を交えて教えてください。webの紹介は任意で結構です。宜しくお願いします。
ソクラテスの対話は問答法や対話術とかよっばれるもので、相手がわかっていると思っていることの矛盾点を突きながら、正しい認識にたどり着こうとするものです。
ソクラテスは「無知の知」というものを唱え、知ったかぶりになるのではなく、「自分は知らないということを知っている」、つまり、常に本当の知を得ようとする姿勢が大切だと説きました。
この姿勢を実践しているのがソクラテスの対話と言えるでしょう。
例として上記URL(キャッシュ)をあげます。
▼ソクラテスの問答例
【カリクレス】
「およそありとあらゆる欲望をもち、それらを残らず満たすことができて、それによって喜びを感じながら幸福に生きるということを言っているのだ」
【ソクラテス】
「先ず手はじめに聞くが、人が疥癬にかかって、かゆくてたまらず、思う存分いくらでも掻くことができるので、掻き続けながら一生を過ごすとしたら、これもまた幸福に生きることだと言えるのかね?」
【カリクレス】
「やむをえぬ。
そういうふうに掻きながら生を送るものも、やはり快く生きることになるだろう、と言っておく」
【ソクラテス】
「快い生ならば、幸福な生でもあるだろうね?」
【カリクレス】
「いかにも」
ここでは、カリクレスは「欲望を満たすことこそが幸福なのだ」という、一見すると常識的な主張をしているわけですが、それに対してソクラテスは「先ず手はじめに聞くが、人が疥癬にかかって、かゆくてたまらず、思う存分いくらでも掻くことができるので、掻き続けながら一生を過ごすとしたら、これもまた幸福に生きることだと言えるのかね?」というふうに切り返し、カリクレスの考え方の底の浅さを指摘しているわけです。
「対話篇」を通じてソクラテスが取った手法、という点からひとつ。
ソクラテスは、皆が驕り高ぶって生活していることを諌めようとして、人々に問いかけをしました。
「君、君、私はいつも疑問に思っているのだが、Aということについてどう思うかね。」
「Aだって? そんなこと簡単じゃないか。Bということに決まっている。」
こう返されてソクラテスは答えます。
「うーん。それは私も考えたんだけれどね。これこれこういう理由で、そうじゃないんだと思うんだ。」
「そう言われればそうだな…そうだ、きっとCということなんだよ。間違いない。」
ソクラテスはまた、困った顔をして答えます。
「それも考えたんだ。でも、これこれこういう理由で違うんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。」
「うーん…もしかして、”A”って、すごく難しいことなんじゃないか? 俺は、なんでも知ってる振りをしていて、何も知らないんじゃないか?」
ソクラテスはその人と一緒に考え込みます。
「私たちは、何でも知ってるように思えて、何もしらないんだなぁ。でも、何も知らなければ、考えようとして、必死で頭を使うんだなぁ。やっぱり、自分がいかにものを知らないか、自覚して、知ったかぶりをしないことが重要なんだなぁ。」
…大雑把に言えばこんな感じのことをして、「相手に何かを教える」のではなく「相手と一緒に考える」ことで、「無知の知(知らないということを自覚していることの重要さ)」を広めていったのが、ソクラテスの対話の中でも大きなものでしょう。
ちなみに、「対話」という手法そのものが持つ欠点はソシュール、ウィトゲンシュタインなどの「言語ゲーム」の概念、及びそれを受け継ぐハーバーマスやリオタールなどによって色々と語られています。
具体的には「会話は自己満足にすぎない。」「そもそも相手は聞いてやしねぇ。」「意図なんて伝わらねぇ。」「人間は分かり合えない。」「つか、おっさんがいきなり話かけてきたらキモいから無視するよな普通」などなど。
ざっくりと簡単にまとめてみましたが、どうでしょうか。
ふむふむ
これはクセノフォンの「ソクラテスの弁明」です。ソクラテスはこのように対話により自らの信ずるところを周囲の人に説明していったのです。
プラトンの「対話編」について紹介した本です。
http://www.bk1.co.jp/product/635083
オンライン書店ビーケーワン 404 ページを表示することができません
ソクラテスの弁明 改版
エウチュプロン,クリトン
(角川文庫)
もしも関心をお持ちになったなら。
スペック外です、すみません。
なるほど