この作者は尾崎放哉なはずですが、種田山頭火だと書いてある場合もあります。
質問1:いったいどちらが正しいのでしょう?
質問2:どちらかが間違いであった場合、なぜその様な情報が流れているのでしょう?
質問をきちんと理解し、的確なお答えを頂ける方のみお願いいたします。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c8%f8%ba%ea%ca%fc%ba%c8
尾崎放哉とは - はてなダイアリー
回答1:当然、尾崎放哉です。
回答2:二人とも自由律俳句で有名な人なので、単に勘違いとか覚え違いが原因かと…
http://honda4377.hp.infoseek.co.jp/iori-8.htm
「己(おのれ)」を考える
1:尾崎放哉が正しいです。
2:上記URLの1-(2)にあるように、
「その放浪の句(「咳をしても ひとり」)を聞いて、種田山頭火が感動して、「からす泣いて 私もひとり」 と和している。」
とあります。
また、尾崎放哉と種田山頭火は自由律俳句の代表的俳人として並び称される存在のようです。
このような背景から勘違いや錯誤が起こったのではないでしょうか。
勘違い説。
何かの文献に間違って記載されていたものが広がったってわけじゃないみたいですねぇ。
回答1:尾崎放哉
回答2:共通点が多いからではないでしょうか?
尾崎放哉(1885-1926)
種田山頭火(1882-1940)
①どちらも「自由律俳句」ってので一世を風靡した人
②種田山頭火(早稲田中退)、尾崎放哉(東大卒)と本来ならエリートたる道はあったのに、どちらもあえて地位も名誉も家族もきっぱりさっぱりと捨てて己が道を突っ走った。
③荻原井泉水(せいせんすい)の門下生。
「咳をしてひとり」
この放浪の句を聞いて、種田山頭火が感動して、「からす泣いて 私もひとり」と和しています。
どうも世間の勘違い説が有力ですか。
上記サイトの中に以下のようにあります。
「近代になると、放浪の俳人・尾崎放哉。一高、東大を出て、一流企業に入ったのに、すべての財産、職を投げ捨てて奥さんとも別れて、ひとりで放浪の旅に出た。最後は結核を病んで、四国の小さな寺のさびれた庵で息を引き取るわけですが、そのころ
「咳をしても ひとり」 という俳句をつくっている。
大宇宙を前にしてたったひとりの自分がそこにいる、そういう感覚というか自覚だったのではないでしょうか。
その放浪の句を聞いて、種田山頭火が感動して、
「からす泣いて 私もひとり」 と和しています。」
調べた所、確かに「咳をしてもひとり」は尾崎放哉が詠んだものですが、それに対して山頭火が
「からす泣いて 私もひとり」
と詠んでいます。
「咳をしてもひとり」の詩について調べて行くと山頭火の詩(からす泣いて~)も同時に知ることが多いのではないでしょうか。
それらの情報が混乱し、ここで質問にある間違いが発生したのではないでしょうか。
推測の域を出ず申し訳ありません。
質問1:
尾崎放哉です。
質問2:
まず一つ目の理由として考えられるのは、一般人にとっては尾崎放哉と種田山頭火では後者の方が圧倒的に有名だと言うことです。
「放哉」というラーメン屋はないですが、「山頭火」というラーメン屋はありますよね?(これは別に種田山頭火が由来ではないのかもしれませんが)
実際、私自身高校の頃まではその句の作者を種田山頭火と思いこんでおりました。「自由律=種田山頭火」という図式が頭の中にこびりついていたのです。
また、山頭火の句の中に「鴉啼いて私も一人
」というものがあります。
これは尾崎放哉の「咳をしても一人」に答えたものであると山頭火自身が述べています。
こういった本歌取りの句のために、二者が混同された可能性もあります。
さらに、愛知県刈谷市の稲垣道場には多くの自由律俳句の文学碑がありますが、そこに記されている句の作者の半分以上は種田山頭火です。
残りの中に尾崎放哉の句もあり、「咳をしても一人」も山頭火の句と同じ碑に記されています。
こういったことも混同された理由の一つとなっているのではないでしょうか。
やはり似たような自由律俳句なので、世間の勘違いなんですねぇ。
実際私も種田山頭火の句だと思っていたのです。
「分け入っても分け入っても青い山」
と一緒に覚えていたからでしょうか。
皆さん、ありがとうございまた。
勘違いですか・・・