http://www.hatena.ne.jp/1124114353
と同じ条件になります。(ちょっと回答が難しいのです)
ちなみに私には今のところ殺したい人は居ません(幸せだ)。
http://takapan.nobody.jp/tbyk/t_nazehitoo.html
なぜ人を殺してはいけないのか。
ちょっと宗教的ですね。
http://www.page.sannet.ne.jp/mikotan/sango/sango8.htm
�Ȃ��l���E���Ă͂����Ȃ���
たとえを入れて説明しています。
http://maysenba.exblog.jp/400405
仙波眞弓のココロ : なぜ人を殺してはいけないか。
ある人の考え方です。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4075/000622.html
�Ȃ��E�l�������Ȃ���
ここの最後のほうの結論から読んでみてください
引用すると
> 人間同士の了解を当然維持しようとする
ということでしょうか。
まぁ、そんな気もしますが…
妖精現実さんですか。MKVの詳しい解説わかりやすいです。
ここは(まさに上のページ)実は見たこと在るのですが、回答のように見え、難しすぎる!
ということなのです。私は頭が悪いですから…。
Yahoo! JAPAN
進化論的に考えれば、【人を殺してもよい文化】が【人を殺してはいけない文化】との
生存競争に勝てなかったからでしょうね。
きっと、古代には人を殺すことが許された文明もあったはずです。
しかし人を殺すことが許される文明は当然、文化の進歩が遅くなりますし、
もちろん労働力という点においても不利でしょう。
そうやって停滞しているうちに環境の変化についていけずに絶滅するか、
あるいは発達した【人を殺してはいけない文化】との戦いに敗れ、滅んでいったのでしょう。
昆虫などは縄張り争いなどで日常的に殺し合いをするわけですが、
知恵を持った人間の場合は、殺し合いをしない方が生存に有利だったわけです。
そうした淘汰の結果、
【人を殺してはいけない】というルールが人間という種そのものの性質として根付いたのでしょう。
今も人類はぼろくそ人殺ししているように思うのですが…、
いや、たしかに町中で人殺しは(それほど)ないですが…。
人を殺し続ければ、やがて人はいなくなります。
人が少なくなったらまた殺すのをやめて人を増やす。
そんな無駄な循環にならないためじゃないでしょうか。
人間は無駄ではないとするのはなぜでしょう?
人間が殺し合い滅びることがこの世界にとってプラスになるかもしれませんし、無駄は重要だと思いますよ。
人間は効率的にできているとは思えないのです。
その理由なら、親も家族も友人も知人もいなかったら(世界にはそういう人がたくさんいそうですが)、その人が殺されても悲しむ人がいないから殺して良いということにはなりませんか?
後者については理由がないのでコメントできません(汗)
だったらもう地球なんか化け物だらけですよきっと!
でもこれは立派な分かりやすい理由の1つですね。
しかし残念なことに、私は大好きだった祖母が亡くなってウン十年、
未だに会いに来てくれません。
やっぱり化け出るのは大変なのか、嫌われてたのかな…。
http://www.hatena.ne.jp/1124114353
人力検索はてな - 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。 説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース..
↑全て読んでいないので、重複していたらすみません。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」私は「自分が殺されたくないから」と答えます。
殺す方法によっては痛みがない方法もあるのかもしれませんが、苦痛を受けるのは皆いやだと思います。
ただ、痛みを知らない人は人を殺すことに抵抗がないかもしれない、だからわざわざ「人を殺すのはいけない」ということで巡り巡って自分に与えられるかもしれない痛みの可能性を減らしているのでは?
あくまで個人的な見解ですので、ポイントはいりません。
あ、重複は全くかまいませんよ。でも、他人の回答をコピペは法律的にまずいと思いますが。
たしかに仰ることは分かりますが、逆に殺す人の数を減らす努力はしているのでしょうか。
日本など先進国が消費するお金(で買える食料や医薬品)の数%ですごい人数の人が救えるのは
CMなどでもやっていたと思うのですが。
上のは1例ですよ。他にもたくさんありそうです。
輪廻転生については詳しくないのですが、私が死んだ後なぜか人間に生まれて、1歳にもならずに栄養失調で死ぬとしたら急いで支援を!
なんて考えてしまいますが、私は輪廻転生を信じていないし、だから危機感がないんでしょうか。
自己中心ですね…。はぁ(私のことですよ、誤解無きよう)
http://www.hatena.ne.jp/禁止されるとやりたがる法則:detail]
逆に考えればいいわけです。
「なぜ人を殺さなくちゃいけないの?」
どっちが楽しく生きる上でコストが安いかは一目瞭然だと思います。
逆に聞きたいのですが、なぜ死ぬまでに1度も
「人を殺さなくてはならない/殺したい/殺さねば!」
という状況にならないと言い切れるのですか?
世界が無茶苦茶で戦争を通り越えた自体になるかもしれませんし、
飛行機が墜落して雪山サバイバル、海の上で…
これらは、まぁ少し違いますが。
あとは、家族・恋人・親友などを殺された場合ですかね。
もちろんこの状況で復讐を肯定するかは別ですが、
本人にとっては復讐に人生を捨てることがコストが安いと判断されるかもしれません。
少なくとも可能性は0では無いと思います。
http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/mimi.html
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申し訳ないのですが、「とっても分かりやすく説明」するのは大変難しいことなのです。
まず「殺してはいけない」の反対に、むしろ「殺して良い(殺すことが奨励される)」場合があります。そう、戦争です。
つまり、人間の生活では「殺してはいけない」日常的な時と「殺すことが奨励される」非日常的な時があるのです。
フランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユは人間の本質について、過剰を蕩尽するときに大きな快楽・官能を得る動物であるという説を主張しています。たとえば、貯蓄の浪費(ギャンブルや衝動買い)やセックス等がわかりやすいと思います。
話を殺人に戻しますが、ヒトの社会にとって最大の「過剰」といえるのは「ヒト自身」です。つまり、日常空間で過剰(ヒト)を蕩尽してしまうことを誰も望んではいないのです。「戦時下の熱狂」というのは、我が国ならずとも、いろんなところで聞いたり読んだりしたことがあると思います。残念ながら、人間は本質的に「平和」が好きとは言えないようなのです。
詳しくお知りになりたければ、バタイユや栗本真一郎の本をお読みください。
蛇足ですが、戦争を忌避し、死刑さえ無い国。なんとなく将来恐ろしい気がするのは私だけでしょうか??
私は人間がこの先百年単位で生き残るには、人間の本質を遺伝子レベルで変化させる事が必要だと考えています。(たとえばウイルスに乗せて世界中に散布するのです)
たしかに仰ることはなかなか、理解できます。
おお、これは気がつきませんでした。
確かにその通りですね(^^;
リンクはもろ法律関係なので、貼りたくないけど貼りました。
実は「人を殺してはいけなくない」のが、バレたら「政府という法人だけが人を殺せる」優越性が無くなって国民を押さえれなくなるから、「人を殺してはいけない」って、政府が国民を調教しているだけなのです。
話変って、人を殺したら、事故でもワザトした事件でも確かに疲れます。でも、すぐ回復しちゃうから、「殺すの止めた方がいい」って言っても納得出来ないですよ。
ひとつ、広義に考えて「殺」っていうのは、死なせるだけではなくて、「黙殺」っていうように言う場合も「殺」なんです。
この質問をしている貴方に、「質問するな黙れ」って、何か力がかかったら貴方落ち込みませんか? 「何で黙らされなければいけないか?」って反抗したくなるでしょう。
貴方は、「自分は黙らされてはいけない」と当然思っているでしょう。
だから、「人に完璧な黙殺の仕打ちをしてはいけない」と思いませんか?
> 貴方は、「自分は黙らされてはいけない」と当然思っているでしょう。
私の発言は時として、いや、しばしばくらいか、かなりおかしいことがあるので、私の発言が遮られることは、大抵納得のいくことです。
しかし、私が本当に気が狂ったら怒るかもしれませんね。
いや、今すでに狂っているから、、とこれ考えるのは止めよう(汗)
おっしゃることはだいたい分かりますが、いまいち分からない面もあります。
http://blog.lv99.com/?eid=247607
こどものもうそうblog | 「なぜ人を殺してはいけないか」 主語が何か、はっきりさせてから考える大切さ
「われわれが人を人を殺してはいけない」のは、殺してよければ、「われわれ」がいなくなるからです。「われわれ」がいなければ、「いけない」も何も判断できなくなる(判断するわれわれがいない)から、「われわれは人を殺してはいけない」とも「いい」とも言えなくなり、質問自体が成立しなくなるので、このような質問が存在していることそれ自身が「われわれが人を人を殺してはいけない」ということの説明となります。
「自分が殺されたくないから」という理由だと、殺されたいと思ってる人は殺していいことになるので、(理屈では)ダメでしょー。
質問者は、理屈ではなく納得したいのでしょうか? だとすると難しい質問ですね。
よく考えるとこの話は少し変ですよね、(今頃気がついた)
「殺したい派」が殺しまくっていれば「殺されたくない派」が生まれ自然に身を守ると思うのですが。
そうなれば滅びるかどうか…
守る、生きる、という力も相当強いと思うのですが、特に子どもを守る親の場合。
http://www2.odn.ne.jp/cir82010/d-top.html
Twelve Doors
URLは関係ありません。
無理です。ルールに外れますが言います。
私の考えですが「倫理・宗教・法律」がなければ「人を殺してはいけない」理由が無いと思います。
倫理・宗教で作られた社会で法律いうルールを守ることで人間は守られていると思います。昔は宗教=法律のような時代もあったようですし、宗教同士のぶつかったところで起こった戦争では相手を殺しているわけですから、異教徒=敵であり人間ではないと言った考えも割りとあったように聞きます。社会の外にいるものはその社会では保護されず、社会によって殺されてしまう。社会に殺されないためには社会に入るしかなく、社会に入るにはルールを守らなければならない。
となると「人を殺してはいけない」理由は倫理・宗教・法律的なものになってしまうと思います。
本能と言うのも考えられますがそれでは「人を殺してはいけない」理由ではなく、「人を殺さない」理由に近くなるので違うかと思います。
今回の回答にはなっていませんが、おっしゃることは概ね分かります。
人殺しを許可してしまうと、いつ誰に殺されるかわからないから他の人と付き合わなくなる。
そうしたらいずれ文明が滅びてしまうから本能的に人殺しを回避するようになってるんじゃないですか?
> 本能的に人殺しを回避するように
そんな本能聞いたことないですよ(汗)
あるんでしょうか、、、私はないと思います。
前のスレ読んでました。
人を殺しても、別に良いです。
でもいけないことになっているので、それを説明するには
「倫理や宗教や法律や情というものが人にはあって、色々うるさいから、殺してはいけないってことになってるんだよ」
で良いのではないかと思いました。
この回答の本質は「倫理・宗教・法律・情」からくる説明では無いと思うのですが、単語が出てくる時点で既に条件に合ってなかったとしたら、すみません!!
うむ、コロンブスの卵的ですね。
納得できる理由です。
なんで殺して死んだ相手が自分を殺すのでしょうか?
その家族や殺した人を愛していた人が逆襲するなら分かりますが。
そこまで含めての意味でしょうか。
なら、殺されたい人は人を殺した方が良い、と言うことになってしまう気がするのですが…、
それは違うような。
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URLはダミー
大変面白い質問ですね。
・一つはそれを許すと、後々自分や親近者が対象者になることから、それを事前に防止している(自衛的側面)
・生物学的に同種を大量に殺し合うのは人間の特性かもしれませんが、エスカレートすると種の保存・存続が危ぶまれるようになります。理性とは別に、生物本来の種の保存の機能が働いていると考えられるかも
。
・他の生物とホモサピエンスは同じ生物ですが、自分勝手な私たちは別格に捉えて、人間自らを高めることにより、倫理の矛盾を隠している。口実として上記を使い、現実からの逃避を行っている。建前と本音の使い分けも人間の得意技ですから。
・我々は長い歴史の中で、人間が人間を殺すことを「悪」とする考え方を文化のコンテキストに内在した。その結果、嫌悪感を覚えたり、罰を与えたりし、更にその傾向が近代法の整備により近年急速に強まった。
> 生物本来の種の保存の機能
地球を何度も壊せる量の核兵器があるですよね、たしか。
ちょっと、後半分かりません。すいません。
http://www.google.co.jp/firefox/
Mozilla Firefox スタートページ
URLはダミーです。
簡単に、その問いに答える人が少なくなるからです。
詳しく書くと、人間は社会的動物でひとりでは生きられないという事実があり、人を殺すということはその事実に背くからです。
背くこともできますがそれは個人の好みや倫理などによる選択の問題でしかありません。
この問いをここで他人に投げかけた時点であなたは他とともに生きることを選択しています。
ひとりで生きることを選択した人は問いを持たずに人を殺します。
> その問いに答える人が少なくなるからです。
これは今までで一番説得力がありました。
http://www.hatena.ne.jp/1124370315
人力検索はてな - 「なぜ人を殺してはいけないか」をとっても分かりやすく説明してください。ただし http://www.hatena.ne.jp/1124114353 と同じ条件になります。(ちょっと回答が難しいので..
質問の条件の中で最も単純な答は、
『生きようとする者を殺す権利は誰にも無いから』です。
他には説明のしようがありません。
なぜなら、人が存在しなければならない納得できる理由など無いからです。
正反対のことをいっておられませんか?
ちょっと訳が分かりません。すいません。
倫理・宗教・法律、および情を抜きにしてというならば、人は食べ物じゃないからでしょう。
あらゆる生物は、生きるために他の生物から(間接的なものを含み)その栄養源を補給しています。
場合によっては、共食いをする場合もあるでしょう。
が、人間が人間を殺す場合、戦争やテロ、個人的な殺人を問わず「利害関係」以外の理由がないから、殺人はよくないと。。。。。
http://blog.goo.ne.jp/gesotoku/e/a4083d525ade1a100e98c4a9b13cb3d...
ゲソの三国志ブログ:三国志に登場する「人肉」シーン
この話が美談なのは、食べ物としているからだと思います。
すいません、、がんばりましたが訳が分からなくなってきました。
最近ジオグラフィックチャンネルで、イルカは殺人ならぬ殺イルカをする
というのをやってましたね。
違う子どものイルカを他の親がよってたかって(食べる訳じゃないです)
自分の産んだ子ども以外にいくつかの動物は冷たいですが、殺すというのはあまり見なかったので
驚きましたね。人間以外でも殺すということがあるのかと。(メスを巡る争いとかは除きますが、結局イルカのもこれに該当するのかな?)
どう考えても殺してあげた方が幸せな人がもしいたとしたら、きっといると思います。
話が変わってくる気がします。
つまり…
生きることは悪いことかなと思います。
ということですか!?
日本語難しいです。
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/
「で、みちアキはどうするの?」
URLはダミーです。最初の質問者おっさんじゃん!中学生くらいならこんな質問しても可愛げがあるのに。
いけないのではなく「いけない事だ」と信じ込まされているだけだと思います。時と場合によっては、他人を殺す事が最善の策である場合もあると思います。ただ現在の(多くの国の)社会で生きるうえで、殺人行為が不幸な結果を招く場合が多かったため&偉い人にとって不都合があったため、罪であると建前上決められたのではないでしょうか。そして、その理由を理屈で説明して相手を納得させる事が難しいから、余計な考えの付かない子供のうちから刷り込まれるのではないでしょうか。
人の生き死にに理由はありません。あるのは事実と個人の感情のみです。人を殺すのにも理由は要りません。要るのは手段と行為のみです。
一方的な刷り込みに反発して疑問を持つのは当然だと思います。妄信的に信じ込むよりは健全です。でも実行するのはやめた方がいいと思います。世間の常識は適当に守る方が、生きていくのが楽だから(←私が人を殺さない理由)。
多少酔ってますが、早く開けやゴルァってことなので。
ちょっと厳しめの見解を述べさせていただきます。
> 中学生くらいなら
当方20代のおっさんです。何か?
> 「いけない事だ」と信じ込まされているだけ
> 時と場合によっては
つまり外的要因によって決まることなので
「人を殺してはいけない」 とは一概には言えない、という答えでしょうか?
すいませんが、でしたら、回答になっておりません。
後でイワシを使うなどして話すのならかまいませんが、
一応質問していることに対する回答なので、
ポイントはそのようにします。といってもこれは皆さん共通ですが…。
> 世間の常識は適当に守る方が、生きていくのが楽だから(←私が人を殺さない理由)。
常識が殺すだったら殺しますか、私とは違いますね。私は殺されるのならともかく、状況がある程度変化しても殺したくはないですね。
殺されるのと殺すのと、どっちがいいですかというアンケート取ったら、、そりゃ後者か(汗)
http://www.hatena.ne.jp/1124114353にも書きましたけど
「絶滅しちゃうから」がわかりやすい言い方かもしれないです。
別の言い方をすれば、
「好きな人に出会えなくなるかもしれないから」
小学生に説明することを念頭に入れて回答すると、こんなかんじかなと。
繁殖するっていうことに逆行しちゃうわけですよ。
でも、今回も思うんですけど、倫理とか社会的にとかいう理由を除くと、ほとんど解答できる範囲がせばまっちゃいますよね。
生物に特化しちゃうとか。
どんな感じの回答をご希望なんでしょうか。
どんな感じの回答が、一番すっと理解しやすいか、納得できるかが知りたいのです。
ありがとうございます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894090325/249-4571462-...
Amazon.co.jp: さらば文明人―ニューギニア食人種紀行: 本: 西丸 震哉
前提として私の考えです。
・生き物は種族繁栄のために進化
・連絡手段がなくとも、同種類の生物同士は共通の意識に包まれている(細菌からクジラまで)
ヒトはいっぺんに沢山子供を産めません。
しかもお腹から早々に出してしまうので危険です。
さらに子供を作れるようになるまで、10年以上もかかります。
だから大事に育てます。
牙も爪も脆弱です。脳を大きくする方を選んだために、大変生命力がおちました。
だから武器を開発します。
こんなことを繰り返すうち、人類はとても死にやすく、増やしにくい面倒な動物になりました。
殺しがフリーになると人口が減ってしまいます。
なので、「みんな同種を殺すのはやめようよ」という暗黙の共通意識がもちあがったのです。
でもまあ、子供が沢山増えすぎたら調整して減らさないと親が死んで結局子供も死ぬので、子供沢山産みすぎな時代や国は命が軽くなってます。
あと、同種族なのに、国単位でわけたりして、「別の国の人間は、うちの国とは違う種族」みたいな意識が浸透すると、戦争がおきてカンタンに他国の人間を殺します。
別種族だから殺していいのです。隣の国の人間は、自分ちで飼ってる牛や馬とおんなじなんです。戦争はそういうもんだと思います。(だって味方が死んだら泣くくせに・・・)
食人の話がでていましたが、同じ部族同士は食べないんですよ。外部のヒトを食べるんですよ。
あと儀式として食べてる所がありますが、これは自分たちが豊かに平和に暮すための人柱として殺しているので、姥捨てや子の間引きと一緒ですね。
「なぜヒトを殺してはいけないのか」
はカンタンにいうと、人類が滅びないためです。
「なぜ殺すのか」
も人類が滅びないためです。
「親の愛」も「恋愛」も「地球に優しく」も人類が滅びないためです。
ついでに自殺について一考。
自殺がダメ言われてるのは、OK社会にするとみんな死ぬからです。
だいたい寿命が長すぎます。
効率のいい動物は、子孫作れなくなったら死ぬもんです。
ヒトはこんなに効率が悪いのに、なんとか頑張れているのは「他人も自分も殺したらためだよ縛り」があるからです。
なにもそんなにしてまで子孫繁栄させなくても、と思うのですが、宇宙に存在してる全てのものは永くそこに在りたいものなのですね。
それを否定したらビックバンから考え直さないと。
> 自殺がダメ言われてるのは、OK社会にするとみんな死ぬからです。
みんな死にますか!?
そうですか、、うーん。
明日には閉じたいと思います。
倫理でも宗教でも法律でもないのでOKと思うのですが、経済的にみて「もったいない(社会全体の経済損失)」からだと思います。
心理的にもそうだとおもいます。殺された人だって妊娠時から育てるのに必要だった人員や物資が必ずあった、それらを消費して今の形があるわけで、「なぜ他人が手をかけて育てあげたカメやリンゴを理由なく壊してはいけないか」という(低レベルの)比喩もできるのではないでしょうか。
実際、人一人妊娠されてから育つまでには有形無形の税金がたくさんつぎ込まれています。(少子化社会では特にその割合いが高くなる一方です)
建前では、命に値段はないとされているのですが、生命保険の業界では命の重みをお金という数字で計るのは普通にやることです。これは民事損害賠償に準じているとすれば「法律」に該当しちゃう?
なるほど、ドライな考え方ですが、逆に言うと損失にならない場合は殺しても良いと言うことになりますね…。
http://www.hatena.ne.jp/だみー:detail]
> 逆に聞きたいのですが、なぜ死ぬまでに1度も
> 「人を殺さなくてはならない/殺したい/殺さねば!」
> という状況にならないと言い切れるのですか?
一応、以前あった質問を引くなら、どのような状況においても守らねばならない条項として「なぜ人を殺してはいけないか」という命題を分類するなら、これは倫理的な話をしていることなので質問自体が倫理の話をしていて倫理を持ち出すなという矛盾した設定になっているような……。
どんな状況においても状況に構わず守らねばならないされる規範性を倫理というわけで。
小難しい理屈はさておき、上での回答を補足させていただくなら、ポイントは二つ。
人は楽しく生きようとしたがるという快楽原則と、人には個人であると同時に他人の集まりという大きな集団と一体にもなれるという共感原則があります。
苦しい境遇に個人としておかれた場合、自分の定義を個人から集団や誰か他人に移して、「俺は不幸でもお前が幸せなら・・・」「この国が幸せなら・・・」と依存することで自分の幸せ(快感)を確保します。
上の論理で快感を確保しようとした場合、自分が他人を殺すという論理を認めてしまうと、この他人への共感がし辛くなるので、極力殺さないように、という心の働きがありうるわけです。
だからまあ、復讐やサバイバルなど極限状態におかれた時の苦悩とは、個人として誰も信じられない地獄で生きたいか、他人を信じて個人として幸せに死ぬか、という葛藤の中での選択なのでしょう。
なるほど、難しいですが。
私の質問は、少し甘めに、一応同じように禁止するけど…多少なら良いかな。と例外はOKです。
↑ダミーです。
他の方の回答をすべて確認していないので、重複してしまったらごめんなさい。
自分の子供へ説明する時は
人にやられたらイヤな事は他の人にやってはいけない。
と説明します。
どんな人間でもその人生はその人のモノなのだから、たとえ配偶者や親・子供だろうと他人が勝手にその人生に終止符を打ってはならないと思います。
その観点からすると死刑制度を否定する事になりますが、それはまた別の問題なので・・・。
なるほど。まぁ、分かります。
他にも色々、問題はありますね(死刑以外にも、安楽死とか、)
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20050818#1124370017
「で、みちアキはどうするの?」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
それは、自分自身にとって、人を殺すということがとても手間のかかる作業だからです。
誰かを殺すために力を使う・殺す場所を用意する・死体の後始末をする・等々。
手間がかかること=不快であるとは感じませんか?
丁度、ルパンの石川五右衛門がよく言う
「またつまらぬものを斬ってしまった」というセリフに近いものがあると思います。
殺すほど手間を掛ける事も無いのに、自ら『殺す』という選択をしてしまうというのは、背負わなくてもいい苦労を自分から背負ってしまうという事です。
だったら、そんな苦労はかなぐり捨てて、別の目的や楽しみを見出せば良いだけの事なのではないでしょうか。
イスラムの人々についても、やはり経済的な不公平感を無くせば別の目的や楽しみも見つかって、テロは無くなるのではないかな、と思います。
前回と今回を通して見てきた事についての雑感になってしまい、申し訳ないです。
> やはり経済的な不公平感を無くせば
これが劇的に大きいとは思いませんが、もちろん大きな要因の1つではあるでしょうが。
って関係ないな。失礼。
↑ダミーです。
人はひとりでは、けして生きていけないです。
ひとりで生きていると思っていても着てる服や、食べているもの、殺そうとして使う凶器、すべて誰か他人が一生懸命に作ったものです。
人が働いてものを作り、はげましあい、笑ったりしているから生きていける…。
生まれてきた人すべてが、この世に必要な人だと思います。
思いっきり感情論で来られるとさすがに。
一人では生きていない、なら
地球の人口 - 2人(一人は自分) = 殺してもいい人
ということになりそうな気もしますが、もちろん実際に2人でもしょうがないので人数は問題ではありませんが、
http://www.daiwakosho.co.jp/tenji_jyo/
大和工商リース株式会社|事業案内-展示場販売事業部
URLはダミーです
逆説的に考えますと、
人が人を殺すのは、
倫理・宗教・法律以外で、かつ情も関係なく殺すことは無いのではにかと思います。
例外として、本能で、自己の生命維持の為と言うのがあるとは思います。
しかし、本能も、種の保存のため基本的には同種の生物は殺さないことになっています。固体の生命を守るための例外的な場合だけだと思います。
つまり、倫理でも宗教でも法律でもなく情にも訴えず、人を殺してはいけない、と言う説明はほとんど不可能です。本能という説明はかろうじてできる、しかし、人間の場合その本能は、倫理や宗教や、法律、感情の前では無力なことも多い。
まぁ、たしかにあれだけを完全に除けると、本当に避けようのない偶然の事故で殺してしまった、くらいしか残らないか…。
本能はおっしゃるよりは強いと私は考えます。
逆説的に考えると分かりやすいですね。
Yahoo! JAPAN
子供にそう聞かれたら二人で屋久島に行きたいです。
二人で縄文杉の前に立ちます。そして子供にチェーンソーを渡して「あれを切れるかい?」と聞いてみたいものです。
極端に想像力を殺してしまっているのでなければ、あの木の前で私たちは敬虔な気持ちになるはずです。
「私たち一人一人も縄文杉と同じようなものです。一人一人が脈々と続いてきた存在です。
母親が死んでから生れた子供は一人も居ません。貴方の命は地球上に人類が誕生してから、一度も途絶えることなく貴方に受け継がれてきた大変貴重なものです。いつの時代のいつの瞬間も貴方の先祖が存在していました。確かに生きていてその時代の空気を吸っていました。そんな彼ら一人一人の血があなたに流れているのを想像してください。言葉にならない感動を受けませんか?貴方の先祖はどの時代も父母から命のたすきを受け取り、次へ渡してきました。そのため命は尊敬を払い、厳粛に扱うものです。命は雄大な流れです。
人を殺すということのはそのかけがえの無い流れを絶ってしまうことです。時に穏やかに時に必死につながれてきたひとつの命の流れを、つまらない個人の愚かしさで断ち切るということです」
と、子供に伝えたい。
最近は命が軽んじられる傾向にあり、悲しいですね。
URLはダミーです。
その例は「通り魔」はしてはいけないになってしまうのでは?
縄文杉に恨みがあればその人は容赦なく切るでしょう。(そんな人居ないでしょうけど)
人を殺すことと
> 母親が死んでから生れた子供は〜略〜命は雄大な流れです。
これは少し関係ない事になってしまっている気がします。
これだと、「雄大な流れ」を断ち切るのはなぜダメなのですか? という質問がまたできてしまうわけです。
これでは少し納得できない部分がありますが…。
http://blogs.yahoo.co.jp/tomfeb1/MYBLOG/guest.html
Yahoo!ブログ - エラー
これは、私のブログのゲストブックの内容です。「人は生まれたら必ず死ぬ」ので、ほっといても「死ぬ」から、わざわざ、手間隙かけて、殺す必要があるのか?と思うからです。「いけない」というよりも「なんで殺すの?」と思ってしまうのは、私だけでしょうか?
私もそうなのかもしれませんが、生きていてもエネルギーを浪費するだけの価値のない人間というのは間違いなくいると思います。
たしかにほっといたら死にますが、早死にした方が、地球のためになると思うのですが。
もちろんこれは、その方がいい気がする、というだけで、だからどうやって殺そうか、という話ではありません。
「なぜ無駄に浪費されるエネルギーを節約しようとしないのか?」
という新たな質問になりますかね…。
16番の方と重複しますが・・
殺しても良いです。
あなたは殺したことないですか?
私はあります。
昨日も呂布軍3万を倒して(殺して)きました。
何が言いたいかというと、
「倫理・宗教・法律・情」を説明から外す定義をした時点でこの質問の回答を現実に
当てはめることはできなくなると思います。
現実社会には「倫理・宗教・法律・情」がありますから・・・
まして「倫理」や「情」を外した時点で、殺す対象は「人」ではないと思います。
人には「倫理」や「情」がありますから・・・(多分)
よくこの手の質問で、
「○○であれば△△してもよいのですか?」
という質問者のコメントを見ますが、質問の定義の時点でフィクションの世界ですので、
そのフィクションの世界でなら
「構わない」
と言う回答になると思います。
わかりやすく言うと
「ド○クエで△△オーブってどこにあるの?」
と質問して
「ジパングにあるよ」
と回答をもらったときに、あなたは日本を行脚しないでしょう。
ドラ○エのジパングを探すはずです。
長くなりましたが、
彼方の疑問の答えになっていないかも知れません。
しかし、質問から判断する適切且つ簡単な回答は、
「殺しても構わない。但し「倫理・宗教・法律・情」のない世界で、「倫理・情」のない人なら」
となると私は思います。
現実社会で殺しちゃだめですよ。
なるほど、けっこう理解できました。
私が思うに(無理に、または強制的な不本意などでも)「人を殺してもよい」と思ったから、その人々は人を殺してきているのであり、殺してはいけない、と考えるから人を殺してはいけないのです。
では、なぜそう考えたのですか?と聞かれれば、それはそう考えた人の価値観であり、価値観の前提にはどうしても「倫理・政治・宗教」などのすべて、またはいずれかが関わってしまいます。そう考えると、このような質問ができる(することを許される)人間は、このような『生死に関する価値観』という概念を持てる生き方をしてきた=そういう前提の社会に生きている ということになります。
まとめると、「なぜ人を殺してはいけないか」という質問ができる社会に生きているから、ということではないのでしょうか。(選択や質問の自由がない人々も、世界にはたくさんいるでしょうから。)
殺してもよい、ならばこんな質問は生まれませんよね。
戦争なんかの(内戦とかもう、すごく長いところ)前線からはてなにつないで
「なぜ人を殺してもいいのですか? 私も殺されそうです」
と、書き込む人は居ないでしょうね。(無理だな…)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/event/shi.html#declaration
フランス革命 出来事・用語 さ行 し・す・せ・そ
この質問はよく問われていますが、答えは簡単です。「それがルールだから」。
ゲームにもスポーツにもルールがありますよね?今現在のところ、おおよその文明国においてのルールの中の一つが、殺人を罪とすることです。
「人権」という言葉をご存知でしょうか?URLはフランス革命の時の人権宣言を簡単に解説したサイトです。あなたの問いに逆に質問したいのですが、「人権」を認めますか?認めるのであれば、先のルールに従わなくてはいけません。「人権」を認めませんか?認めないのであれば、たとえば人を殺してもいいのです。迷うことはありません。
ただ、今あなたが属している文明のなかでは、それはルールに外れることですから、「退場処分」になります。それだけのことです。
付け加えると、「人権」なんてものは人間がでっちあげたもので、そもそも「無い」ものです。文明の合理的な発展のために<発明>された概念にすぎません。これによって、社会を破綻無く効率よく運営できるようになり、20世紀に始まる文明の爆発的な発達が成し遂げられました。
また、「人権」を認めていない国も、当然残っています。「北朝鮮」「中共支那」、それに「韓国」などもそうでしょう。それらの地域の文明をお好みの場合は、そちらで生きてください。
法律ですね。たしかに簡単です。
人権を認めていない国に関しては……今ブームのやつですか。
livedoor
「なぜ人を殺してはいけないようになったのか」と、考えてみました。
きっと、権力者や富豪等の特権を持つ方が、弱者たちの妬み等による反乱から身と財を守るすべを考え、人は殺してはいけないと全てを平等のように伝えたのではないかと思います。
この問いの答えとしては
権力、財産等の保守
だと思います。
そうなんですか?
ちょっと状況設定がすごいですね(汗)
では、私の頭も回らなくなってきましたので、このあたりで終わりたいと思います。
回答ありがとうござました。
ポイントですが、正しく振り分けられる自信がなくなってしまいました。
均等にしたいと思います。良い答えを頂いた方、申し訳ありません。
うーん、難しいですね。
しかし、最後の所にもありますが、自分が殺されるのはイヤ、というのはどうでしょう。
殺され方にもよるし逃げて泣きわめくだろうけど、最終的に殺されても自分は幸せだと思える場合が私には(私がそう思うのではなくて、私が殺されても良いと思うという意味)あると思います。
殺しにきてくれー とは言ってませんよ(^^;
現代社会で、こういう心理の方は意外と多いのでは?
自殺は迷惑をかける、死にたいけど自分は生きている、事故かだれかがうっかり殺してくれたら…
なんて考えです。
ちょっとずれたかもしれませんね。すいません。
とりあえずもっと簡単に!