0.デジタル派=0123456789の組合せが変化する。
1.アナログ派=頭の中で、順序よく数字が並んでいる。
2.マイナスの領域や小数点、無限大などが存在する。
3.左から右に向って、直線状(曲線状)に並んでいる。
4.十進法、百進法、千進法、万進法のような法則がある。
5.(その他のイメージ)
6.もともと数学は得意(苦手)だった。
(URLは、なるべく画像を。〆切は72時間後です)
http://www.metrologic.com/asia/jp/barcode/kako.html
Page Not Found
バーコードや映画マトリックスの数字の流れる風景を思いますが。
5その他のイメージ
「そろばん」が浮かびます。<昔習っていたので。単に球が桁ごとに並んでいるだけですが動きます。
わたしの幼時記憶では、もとの算盤は“5つ玉”だったのが。戦後に
改良されて“4つ玉”になりました。4のつぎは5なので、5つ目の玉
は要らない、という理由です。むかしは、そうは考えなかったのですね。
もちろん2です。
「無限」にも、大小があります。
例:自然数の数も整数の数も無限だが、整数の数が多い。
…で、4の意味がわからないので、よろしければコメントいただけますか?
無限に「大小」があるのは、とても面白いですね。
わたしの「X進法のような法則」は、10の位で屈折し、100の位
で折りかえし、1000位で小屈折、万の位で大屈折するのです。
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5.
”数の風景”に当たる物は存在しません。
無理やり当てはめるなら1.のデジタル派になるかもしれません。
私の中では数字は数字でしかありません。
計算を行う時には”計算のルール”に従ってゲームを進めるような物です。
数学が不得意だと思った事はありませんが、
”数の風景”という考え方が無いので、
私の中の数学の世界は
そう言った風景の有る人に比べると
荒地なのかもしれないですね。
こんな回答で構わないでしょうか。。?
わたしの、これまでの伝聞調査では、実は“数の風景”のイメージを
持つ人は、きわめて少数派なのです。とくに数学が得意だった人には、
理解されないらしいのです。決して“荒地の風景”ではありません。
複素平面(直交座標)
複素平面(極座標)
複素数で考えるならばこのどちらか。(私は複素数を日常的に使うので。)
実数に限るのであれば,負の無限大と正の無限大の両方向に延びる数直線があって,整数の点に目盛りが振ってあるようなもの。URLの初めの図で両側が矢印になっている(無限に延びることを示す)もの。
あなたも数学の優等生だったようですね。わたしは劣等生を代表して
云いますが、このあたりの座標なら理解できるのです。ところが実際の
テスト当日には、もっとやっかいで面倒な問題が用意されているのです。
麻雀やトランプは、でたらめに配られたカードを、なんらかの秩序に
並べもどすだけでなく、他人の秩序を妨害するゲームですね。わたしの
空想ですが(算数教育も)この原理を適用すべきではないでしょうか。
5.3次元空間で無限遠や地平線がある。
有名な数学者の言葉で「私と彼の意見は、半径無限大の円が1点で接しているようだ」というのがありそのイメージにちょっと感動した。※半径無限大の円は直線にほぼ等しいが、直線ではない→意見がほぼ同じだが1点を除いては異なる
たぶん「私と彼の意見」は、数学的直線や円が実在するかしないか、
という命題で、まったく正反対の立場にあるのでしょうね。わたしは、
論理的に存在すると信じていますが、いまだに確証が得られないのです。
ゼロが中心にあって3次元的に象限が広がっています。虚数とかもあります。
ディメンジョン、何進法かは、その時々で変わります。
吉田 洋一《零の発見 19391127 岩波新書》によれば西暦999年末に
即位したローマ法王も零の価値をよく認識していなかった」そうですね。
数学ぎらいの読者のための古典的名著より。<09991231=10000100>
ほとんど、わたしのイメージと同じようですね。するとあなたも数学
優等生ではなかったのですか? わたしのイメージは(先述のとおり)
ところどころ「X進法のような法則」で、折りたたみ式なのですが……。
5その他。
掲題は画家、クロード・モネの家。
数字は進数よりも単位で考えています。
地面の面積の単位、その地面に含まれる石の数、石に含まれる珪素の数、珪素に含まれる陽子の数、陽子に含まれるニューロンの数。その数が揺らぐ確率。地面の面積を計る為の縦幅、横幅、起伏は?面積は変わる?水が浸入すると?
そんな複雑な系があちこちにある感じです。
カオス〜な感じです。
http://www.angeworks.com/3dcg/3dcg/kaleidoscope/kaleido_07.html
3DCG kaleidoscope
簡単にイメージすると。
複雑系、自己相似性(フラクタル)、1という数字の中に1以外の数字の要素もある。合わせ鏡の万華鏡っすかね。
ちなみに、紙上の問題を解くときは数直線で考えます。
モネの《睡蓮》から「数が揺らぐ確率」が連想されるとは意外でした。
わたしの好きなマグリットの代表作も「自己相似性サイズ」によって
身のまわり品を描いています。
Magritte,Rene-Francois-Chislain 画家 18981121 Belgie 19670815 68
「マグリットの部屋」は、通名《身のまわり品 1952》油彩 81×100cm
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/1175/heya1big.jp...
私の今の生活では、有理数までで事足りてしまってますし、心象風景としてイメージできるのも有理数までです。
そして、有理数の無限集合の計数は可算無限(可附番無限)個、すなわち自然数と1対1対応している(画像のような感じ)ので、心象風景としては自然数や整数と同じ、つまりデジタルの世界になってしまいます。
従って、私にとっての数(有理数)の世界の風景はデジタルな無限となり、設問中の選択肢の中では0.と2.が該当します。
なお6.についてですが、数学は決して得意な方ではありませんでした。
ここでいう“数の風景”とは、記号だけの“心象風景”のことです。
このあとで“時の風景”についても設問を予定しています。
学校の授業では、ついぞ語られることのなかったイメージをたずねて。
数の大きさを評価する際(特にパーセントや、少数部分の大きさを考えるとき)は数直線をイメージし、上2桁までを見て分数に近似していますね。
例えば、3.731なら数直線上での3と4を四等分した3つ目の位置よりちょっと小さめ、などと考えたりします。
分母は最大5程度です。
(すなわち、0,33,66,100/25,50,75/20,40,60,80のいずれかに近似します)
また、大きい数の場合は万進法です。根っからの日本人なもので。
今でも198,000,000などのような千進法は数えなおします(^^;
数学は非常に得意です。
参考になりましたでしょうか?
数学劣等生のわたしも、小学校では優等生だったのです。しかし分数
あたりから自信がなくなったのです。いまでも[1/3+1/4]など、
二つのコップを思いうかべ、両方の分量をイメージしてから計算します。
2や6です。離散的な「数」という意味なら、グラフとかハイパーキューブ(上記URLなど)のイメージを浮かべると思います。連続した「数」であれば、3次元で無意味にうねる曲面(^o^)とかかもしれません。
「数字」といわれると、古い頭なもんでニキシー管か電卓の液晶を思い浮かべそうです。
非連続なら座標で直線状に、連続数は曲線状、ということでしょうか。
わたしは、歴史年号にかぎって(電話コードのような)らせん状の曲線
をイメージしています。ニキシー管?……(!)
Yahoo!
URLはダミーです.
周り一帯を数字や数式が飛び交う,といった感じでしょうか.
もしくは,変化し続ける行列やベクトル,といった感じですかね・・・.
グーグルで“行列&ベクトル”をイメージ検索しました。
http://images.google.co.jp/images?q=%E8%A1%8C%E5%88%97%20%E3...
http://crazyblue.gooside.com/sy/faustfestival.html
ファウストイベント特別ページ
頭の中で数字が踊っているような感じです。
想像しすぎると気分が悪くなります。
上のURLの背景を数字に変えたような感じです。
変な喩えですみません。
小泉八雲《耳なし芳一》を連想しました。現代の日本では、もっとも
多くの種類の文字や記号が混在して、混用されています。とくに本家の
中国でさえ放棄した漢字まで、みごとに息を吹きかえしているのです。
あと何分くらい残っているか、という量的な感覚は、アナログ表示の
利点ですね。さいきん気づいたことに、過去の3年間と未来の3年間は、
どうやら未来のほうを(はるかに)永くイメージしているようですね。
7番。ブラックボックス。
いきなり、神の啓示のように答えが浮かんでくることがあります。(^^;
「ある時ふと“おばあちゃん”のことを思いだす、この現象はなにか?」
分子生物学の利根川進教授は、ヒトに関する数々の不思議のなかで、
最後の謎は“記憶”ではないかと提言しています。(啓示≒記憶?)
http://www.hatena.ne.jp/1085083249#
あなたは“数の風景”を、どのように描いていますか。 0.デジタル派=0123456789の組合せが変化する。 1.アナログ派=頭の中で、順序よく数字が並んで.. - 人力検索はてな
>0.デジタル派=0123456789の組合せが変化する。
>1.アナログ派=頭の中で、順序よく数字が並んでいる。
あえて言えば、アナログ派。アナログなんで、並んでいるというよりは、
ゴムチューブチューブのような連なり。多分、イメージ派なんだと思う。
>2.マイナスの領域や小数点、無限大などが存在する。
数学の無限を学んだときに、数学と無限大は似つかわくないと思った。
何せ、無限なんだから、限界がない。すなわち、きりがないものには、
大きさがない。よって、おおきさがない故、「無限は存在する」とい
う表現は、矛盾する。故に、無限に大小の概念はない。
うーん、無限てなんだろう、なんだろう、なんだろう、
なんだろう...って古いか?。
だから、無限の概念を一括りしてしまう∞という記号は、無限という
概念を総括できるんだろうか?
定量的なことがらであるからこそ、数学的な解法があるんじゃないのかな?。
無限て定量的なの?
3.左から右に向って、直線状(曲線状)に並んでいる。
僕には意味不明?。数字は、イメージの表現手段に過ぎない。
4.十進法、百進法、千進法、万進法のような法則がある。
実は、数学はまるっしき興味ないのだけど、これって、コンピュータの
16進数、8進数、2進数と同じなのかな。だったら、億だろうが、京
だろうが、意味は同じだよね。
5.(その他のイメージ)
四次元時空間がイメージできない。だって、過去の時間も、未来の時間
ないから。過去は記憶で、未来は過去の記憶からの類推。だから、未来
は予測であり、未来の事実は不明。んな、ところじゃ。
6.もともと数学は得意(苦手)だった。
算数は糞みたいだったけど、数学になったとたん、興味なくなった。
いぢよう。
数字が「ゴムチューブのような連なり」のイメージだったから数学に
「興味がなくなった」という経過には、いたく共感できます。もし指の
数が6本だったら、10進法でなく12進法が普及していたはずです。
ひふみ祓(はらへ)やひふみ祓詞(はらえことば)のイメージです。ひふみよいむなやこともち。文字は縦書き、原則として声に出すもの、というイメージですね。
60進法を司るのはなんといっても時計でしょう。数は昔から時や暦と常にともにあったのですから。
統計・グラフ、株式市場の推移、為替相場の推移など、数は現実を把握するために欠かせないものであります。つまりは道具であると同時に現実を表すものとしての機能です。ちなみに私は数学は苦手でしたが現在もう一度勉強中です。数学史を学びながらですと楽しいです。
たしかに、123を「ひふみ」と音読すると、ありがたい気分になり
ますね。しかし漢数字「一二三〜八九〇」の序列は、コンピュータでは
認識されず、JISコードでは「〇一九五三四七二八六」と並びます。
フランス革命後、メートル法を採用、時間も10進法に改めたところ、
内外ともに不評だったので60進法に戻されたそうです。しかし現代の
実態は、25時とか59秒1のように(無造作に)混用しています。
わたしは、あまり統計グラフを信用していません。データAを折線で、
データBを棒グラフで示したりすることは、整合性が矛盾しませんか。
役所が好んで使うのも「さきに結論ありき」ではないでしょうか。
(めずらしい画像を紹介していただいたので、つい辛口になりました)
「数の風景」というよりは「座標空間」を思い浮かべるんですよねえ。とりあえずいくつの変数で座標軸をつくって当てはめてみる、と。数字はその上で現れた結果でしかないように思います。
あなたの「座標空間」は、中学以後の授業で学んだ成果でしょうか?
あなたが学校教育を受けていなくても、かならず到達できたイメージ
なのでしょうか。
その上で「数の風景」があるとすれば、その数字が持つイメージでしかないような気がします。古今東西さまざまな事象が数字に代表される中で数字自体にまとわりついてきたイメージというものはすでに捨て去れなくなってるんじゃないかと思うのです。特に整数には強いイメージが付いていて、それ自体はすごく面白いと思う。
個々の数字に、それぞれ異なった意味があるなら「1は2より少なく、
3は2よりも多い」ということではないでしょうか。これがもし運命に
左右されて「1が3より多くなったり」すると、とても厄介ですね。
── 迷信の偏見は他のすべての偏見にまさり、その理屈は他のすべて
の理屈に勝つ。
── Montesquieu,Charles Louis de Secondat,Baron de la Brede et de
/根岸 国孝・訳《法の精神 19690215 河出書房新社》P248
URLはダミーです。
私は5です。
私のイメージがadlibさんにうまく伝わるかどうかわかりませんが、私の中では、私にとって数はひとつの言語みたいな感覚です。
「5=その他のイメージ」ということでしょうか。
これだけで bean さんのイメージは伝わってこないのですが、麻雀の
5は中央の数牌(ウーピン=懸賞牌)としてワンランク上の扱いですね。
1です。
画像のようなゴシックの数字が、5けたくらい並んでいる感じで…。
それは私の現在の数学の限界を示しているらしく、5桁以上の数字を暗記することは難しいです(笑)。
数学はすごく苦手で、高校が文系だったためもあって高校以降の数学はまったくできません。
私は絵を描いたりすることが専門なのですが、計算って右脳でされていて、意識できない脳の働きによって結果が導き出されているような気がします。
意識では追うことができないのだけど、確かに脳は働いている、といったような…。
>画像のようなゴシックの数字<
ひょっとすると「マヤの絵数字」のようなイメージでしょうか。
>5桁以上の数字を暗記<
高校時代には、歴史年号を覚えることが、重要で重大なことに思って
いましたが、のちの電話番号や携帯番号、銀行の暗所番号に比べると、
はるかに簡単だったのですね。
その反面、丸暗記する生徒を軽蔑する先生もいて、ほんとうに必要が
ないかというと、テストではやっぱり威力がありました。
あなたの回答ではじめてのキーワード“右脳”が登場したのですが、
“脳内風景”を描いた絵画作品もあるのではないでしょうか。
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音と同じように個々の数字に「色」が点きます。
1=白
2=黒
3=黄色
4=ピンク
5=紺
6=ワインレッド
7=水色
8=赤
9=レモン色
10=透明に近い黒(現実には表現不可能)
11=グレー
12=紅
13=くすんだレモン色
14=限りなく淡いピンク
15=茶色
16=くすんだ赤
17=空色(水色ではない)
18=黄土色
19=淡いレモン色
20=パーマネント・ローズ
21=赤みがかった白(現実には表現不可能)
と、何桁になろうと全く同じ色はありません。
因みにここまでは緑系がまるで出てきませんが、51で初めて「モスグリーン」が出てきます。
って、質問の意図がまるで違ってたりして?
>音と同じように個々の数字に「色」が点きます<
はじめて聞く、興味あるイメージですね。なにかのヒントによるもの
か、それともあなた自身のオリジナルでしょうか?
音にも色があるという説は「ドミソ」→「赤+黄+青」のように合成
できるのですか?
>何桁になろうと全く同じ色はありません<
ということは《元素周期表》のような規則性がなさそうですね。
むしろ《絶対音感》にちかいものでしょうか。
ぜひ(ご自身のHPで)くわしく公開してもらいたいですね。
http://www.jvcmusic.co.jp/muraji/
KAORI MURAJI
先の続きです。
URLは特に関係ありません。
一年の月(1月〜12月)では、これもまたビジュアル的に表現不可能ですが、4次元の輪を連ねた形(バネみたいに)となります。ただあくまでも「4次元」ですので...。そしてそこへ各月数の「色」がつき、日付までとなると更に複雑になります。
時間に関してはアナログ時計で十分です。
一月一日の前日は12月31日ですが、あなたの“脳内暦”でも隣接
しているのですか。あるいは、まったく別の画面に属するのですか?
わたしの記憶では、色彩学の授業で《色の立体模型》を思いだします。
こうした“脳内風景”を描いたとみられる絵画、サルバドール・ダリ
の《記憶の固執(柔らかい時計)1931 》には、別の意図があるようで、
同列には論じられないと思いますが、とても興味ぶかいですね。
0、3、5です
暗算するときも、頭の中で数字かいてます・・・
ただ、Sinやcosなどの三角関数になると、実際にグラフを頭で書いて、想像しながら、数字を並べます。
紙で計算してるのを、頭の中でやってる感じです
そろばんの暗算に対して“脳内筆算”、しかもグラフで(!)
すると筆記用具も(実体のない)架空のエンピツなのでしょうか。
わたしは(頭の中だけでは)2ケタの加算もおぼつかないのですが。
15+16+17という計算ならば、
3つのビーカーでてきて、
17より1 15に移して 16が3ツ みたいな。
6,数学は計算そのものが一番嫌いでした。(いわゆる数Ⅰ)
つぎのような西洋小噺(出典不詳)を思いだしました。
>>
散歩中の学者に、農夫が声をかける。
「センセイ、むこうに群れている牛が何頭か、数えられるかね?」
「もちろん、簡単なことさ」
学者が、たちどころに数をいい当てたので、農夫はおどろく。
「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんですかい?」
「それはだな、まず足の本数を数えて、四で割るのだ」
<<
はたして愚かな相手をからかったのは学者か農夫いずれでしょうか?
5&6
文字に近いイメージで、それぞれの数字が独立して存在している感じです。表意文字に近いかもしれません。
ですので、256など特定の数字以外で、3桁を越えるとイメージしにくいです。(お金の勘定の時だけは、「,(カンマ)」区切りの数字で浮かびますが、数字と言うより金額と言う認識で、別ものに感じます)
四則計算は紙の代わりに頭の中で筆算をするような感じです。
あなたも“脳内計算”できるのですね。
たしかに“銭の風景”も思いあたりますね。
算数と数学では“数の風景”も異なるようですね。
このたびの設問は「ロールシャッハ法」をヒントに、1985年ごろ着想
したものです(はてなQ&Aで、永年の懸案を試すことができました)。
将来は、トランプのような候補カードを試作したい、と願っています。
その後、一年間の日付をカレンダーのように、歴史年号を電話コード
状のランダムコイルでイメージするようになりました。
なにかのきっかけで(わたしの)イメージが変化したらしいのです。
各ポイント配点は、独創的イメージと新鮮な問題提起を重視しました。
大切な“脳内風景”を公開してくださった回答者諸兄に感謝します。
ひきつづき“時の風景”にも、ぜひご協力ください。
われわれのイメージが、かつて見たものに依存するなら、バーコード
開発以前に生れた人々は、バーコードのようなイメージを持てないか、
あるいは古代からのイメージが実用化されたのか、謎めいていますね。