前の持ち主の意図を一緒に考えてください。
書き込みがあったのは、後半3分の1辺り、手元の78刷では213ページ、シンガーミシンの生徒さんの紹介で、
芙美子含めて3人のちっぽけな新興女性新聞社へ行くくだり(その後秋田雨雀を訪ねる)。
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昼。
下宿の中食をもらって舌つづみを打つと、…
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の『中』の字を○で囲み、右に『?』と油性ボールペンで書き込まれています。
古本屋をよく利用するので、書き込みのある本に出会うことは珍しくありませんが、
この『放浪記』に書き込みはこの部分しかなく、非常に唐突で、読み終わっても気になっています。
前の持ち主はどういう意図で書き込んだのでしょうか?
ご意見を聞かせて下さい。
URLはダミーで構いませんが、もし林芙美子の著作や人生について、
面白いエピソードや文学研究者以外にも分かり易く解説しているサイト・文献をご存知ならば
是非それも合わせて教えてください。
人力検索はてな
あれ、「中」じゃなくて「昼」じゃないの?
と思いました。その印をつけた人もそんな風に気になったのでは・・
もしかしたらあとで誤植かどうか調べるつもりだったのかも。
(URLはダミーです)
URLダミーです
前の持ち主が「中食」って言葉を知らなくて、読みと意味は何なんだろ?の意。もしくは「昼食」の誤植ではないのか?の意。ではないでしょうか。後で辞書で引いたりする言葉に印をつける癖のある人だが、結局その本ではその語だけだった、とか。ありきたりな推測ですが。
ご回答ありがとうございます。
まず、失礼ながら、「『昼食』の誤植ではないか?」は先に同じ意見を頂きましたので、
ここでは私の意見は省かせていただきます。
> 後で辞書で引いたりする言葉に印をつける癖
なるほど。
でも言葉が分からないのであれば、この場合「中食」2文字を○で囲むような気がするのですが。。。
さすがに『中』という字を知らない、ということは考えられませんよね。
> その本ではその語だけだった
これは「中食」という語を、前の持ち主が分からなかったとすれば、可能性がありますね。
私は今回特に辞書を使わずに読み終えましたが、
細かく辞書を引く方であれば、有り得ると思います。
http://www.ecobois.co.jp/afternoon.6-1.html
このごろおもうこと・・・昼飯考(ひるめしこう)【昼食を考えるお話し】
たぶん、前の持ち主は女子高生、
国語のテストで「ちゅうしょく」を「中食」と書いて
バツにされた経験があるのでしょう。
それで、「ほら、中食って言葉あるじゃん」と
うれしくなって印をつけたんだと思います。
今では「中食」は朝夕の間の食事というより、
外食の一歩手前(お惣菜を買ってきて家で食べる)の意味もあるようですが。URLはその辺の考察です。
林芙美子というと、NHKの朝の連続TV小説というイメージがあるので、今確認したら、
「うず潮」の作者だったんですね。
どういうわけか私は「おはなはん」だと思い込んでました(^。^ゞ
面白いご意見、ありがとうございます。
> うれしくなって印をつけた
のであれば『?』は付けないと思いますが、
意気揚揚とこのページを広げて、国語の先生に見せる女子高生を思い浮かべて
ひとり笑ってしまいました。
紹介してくださったページも興味深く読ませていただきました。
> 外食の一歩手前(お惣菜を買ってきて家で食べる)の意味
「なかしょく」ですね。
手元の新明解国語辞典では、
ちゅうじき(昼食、中食とも書く)---昼食(ちゅうしょく)の老人語
と説明されているのですが、
「中食」は、異なる意味と読みを持って現代に蘇ったのですね。
興味深いです。
NHKの連続ドラマ、私は両方知りませんでした(苦笑
> どんな困難も持ち前のバイタリティで突き進むヒロイン「おはなはん」
は『放浪記』を読む限りでは林芙美子に似てますね。
その単行本の前の持ち主は中食とあったのを昼食の誤字ではないかと考えたのではないでしょうか?
こちらでも多分昼食と思われるの事を中食としていますので、多分林芙美子の固有の言い回しなのだと思います。
結構近代の小説を読んでいると作者独特の言い回しがでてきますので、それはそれで面白いのですが。
ご回答、ありがとうございます。
> 中食とあったのを昼食の誤字ではないかと考えた
先にも同じ意見が出ましたので、ここでは私の意見は控えますが、
それが最も理解し易い答えなのだと思います。
紹介してくださったページ、2つとも大変素晴らしいです。
尾道は私も大好きな場所です。
あの美しさは、多くの文人が惹かれるのも頷けます。
『大島行』でも「中食」が使われているとのこと、
やはり誤植ではなく、林芙美子が書いた通りなのですね。
明日図書館にでも行って調べてみようと思っていましたが、
手間が省けました(さすが人力検索!)
ありがとうございました。
「中食」とは、近年の分類では「持ち帰り惣菜」を食べることを意味し、レストランなどでの食事「外食」と、家庭で素材から調理する手作りの食事「内食」(ないしょく)との中間の調理済食材や惣菜で手軽に済ます食事のことです。
最近、その需要が高まっているとはいうものの、歴史は古く、戦前から東京の下町などでは、持ち帰りの惣菜を売る店があり、そこから買ったもので簡単に食事をすますことがありました。
いわゆる惣菜産業の歴史は意外と古く、昭和初期には、けっこういろいろなものが手に入りましたから、林芙美子は何を食べたのか、前の所有者は興味津々だったのではないでしょうか。
決して昼食の誤記ではありません。
ご回答、ありがとうございます。
2つ目に紹介してくださったページ、興味深く読ませていただきました。
しかし、ここで林芙美子が書いた「中食」は、
お惣菜のことではなく、明らかに昼食の意だと思うのですが。。。
(もちろん、林芙美子がこのとき食べたのは、
下宿の主人がどこかの総菜屋で買ってきた「お惣菜」かもしれませんが)
> 林芙美子は何を食べたのか、前の所有者は興味津々だった
これは新しい考察ですね。
『放浪記』では、継続的な飢えを伴った貧しさが、全編通して描かれていますが、
このシーンの直前、彼女は脚気になり、また2週間勤めた会社とも縁が切れたと書かれています。
健康をおびやかす飢えと隣り合わせだった状況で、
林芙美子が何を食べて舌鼓を打ったのか、前の持ち主は疑問に思った・・・
『中』だけを○で囲んでいるので、少し無理矢理ですが、面白いご意見だと思います。
ありがとうございました。
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更なる回答を希望いたします。
よろしくお願いいたします。
http://entetsutana.gozaru.jp/hourouki/hourouki.htm
「大衆食堂」の呼称が生まれる時代の林芙美子『放浪記』と食風俗
丸の理由は既に皆さんが述べているとおり、
「ん?なに?この字」といったことだったのでしょうが・・・・。
「放浪記」はある意味、食のドラマなんですよね。
「食う」ということが生きるということと重なっていく。
「放浪記」は、まさに生きるということと
食うということがリアルに結びついたドラマなんです。
そんな食のシーンが多数登場する小説ですから、
自然と読者の目はその描写に注目させられます。
普通なら気にも留めずに読み飛ばしてしまうような文字さえ、
丸を付けたくなるほどに注目してしまうわけです。
昼と明記されているのに「昼食」じゃない。
どんな飯なんだろう。
俄然興味が湧いてきます。
第一、もう今の時代、下宿という概念すら薄れています。
ただのアパートと違うよな、いや、違わないのかな。
そういや賄い付きの下宿という話も聞いたことがあるぞ、
そんなことから下宿で提供される飯は中食と呼ぶ習慣があったのかもしれん。
考えていくとキリがありません。
リアルなドラマですから、小説の記述そのものだけでなく、
その時代背景にも興味が及びます。
で、あとで詳しく調べてみようと
真っ新なページにボールペンを走らせていく。
きっとこのページには、ボールペンの書き込みだけでなく、
読むための栞とは別の紙が挟んであったことでしょう。
http://www.nhk.or.jp/book/review/review/030330.html
週間ブックレビュー 2003年03月30日の放送内容
こちらの津野海太郎氏による
「林芙美子の昭和」のブックレビューは短文ながら、
林芙美子と食の関わりに言及して興味深いです。
ご回答ありがとうございます。
> 丸の理由は既に皆さんが述べているとおり、
> 「ん?なに?この字」といったことだったのでしょうが・・・・。
やはり書き込みの理由はそれなのでしょうね。
紹介いただいたページ、両方面白く読ませていただきました。
「『放浪記』と食風俗」では
食の部分がピックアップされていますが、
これだけ見ても、放浪記で描かれた日常が浮かんできますね。
「放浪記」の時代は芙美子にとって苦労の連続だったようですが、
今では忘れがちな、食の楽しみが再認識できます。
また、私は『放浪記』を読んだ後、
とても清々しい気持ちになったのですが、
書評のページの
> 何を食べてもうまい。そこに林芙美子の基本がある。人生肯定がある。
この文章は、そう感じた理由を端的に表していると思います。
苦しくても前向き、反省させられますね。。。
面白いページをご紹介いただきまして、ありがとうございました。
↑=Google“中食(ちゅうじき)夏目漱石”より。
漱石の代りに、林芙美子・森鴎外・樋口一葉・島崎藤村・芥川竜之介
を入れても(ネット上では)検索されませんでした。
江戸時代までは一日二食が普通で、腹ごしらえの「中食」はあっても、
「昼食」の概念がなかったのです。明治三年から朝・昼・夜ごとに空砲
を打ちはじめ、明治七年から正午だけ「お昼のドン」が残ったそうです。
うろおぼえの記憶ですが、昭和中期(1960年代以前)の旅人たちは、
宿屋の朝食を残し、にぎり飯にして出かけたそうです。
チップをもらった女中が、気をきかせて握ったとも伝えられています。
当時の下宿も、賄(まかない)つきが多かったので、勤め人が持って
出る弁当は、もっぱら朝食の残りを詰めていたのです。
佐藤紅緑は、志のない月給取りを「佃煮弁当!」と呼びすてています。
飽食の時代となって、この「昼食」の概念も変化しつつあります。
外食産業の業界用語として「中食」は「なかしょく」と呼ばれます。
ふたたび朝餉・昼餉・夕餉の時刻が、不定時になったからでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
前の持ち主の書き込みの意図はなんだったんでしょうね?
漱石も「中食」と書いていたんですね。
かなり前ですが漱石を集中して読んでいた時期があったので、
私は「中食」と書かれていても不思議に思わなかったのかも、とふと思いました。
前の持ち主にとっては『放浪記』が初めての「中食」との出会いだったのかもしれませんね。
ありがとうございました。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=12023400&p=%C3%E6%B...
Yahoo!辞書 - ちゅう‐じき【中食】
不思議なのは
「昼。
下宿の中食をもらって舌つづみを打つと、…」
の部分で『昼。』と言っておきながら中食と書いているところですね
中食とは朝と晩の間に食べる軽い食事のことをさします
昔は一日二食が普通でした
つまり、この中食は昼食をさしているわけではない
現代人には文章とその言葉の意味の違いが理解できず「中」を『昼』と直さずに『?』を書いたのではないでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
> 『昼。』と言っておきながら中食と書いている
4番目の回答で紹介された青空文庫の芙美子の著作によれば、
「昼食」の意で「中食」と記されていると思います。
もしかすると、この時代がちょうど
朝夕食の間の軽食としての「中食」と、1日三食の内の一食としての「昼食」が
混在していた過渡期なのかもしれませんね。
> 現代人には文章とその言葉の意味の違いが理解できず
> 「中」を『昼』と直さずに『?』を書いたのではないでしょうか?
なるほど。
前の持ち主にとってはまったくの新語として目に飛び込んできた、ということですね。
私も現代人のつもりですが(笑、
特に辞書は引かずに、漢字の印象から「中食」という言葉の意味を捉えました。
ですが、前の持ち主は言葉の意味を曖昧なままにしない方で、
新しい言葉として受け止めたんですね。
ありがとうございました。
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/hayashi/horoki/HayHor...
UVa Library Etext Center: Japanese Text Initiative
同じ文章の中に「昼食」という記述も出ていますね。また、この時代に、最近作られた「なかしょく」という意味で使用されているとも考えられませんね。
ここで「中食」という言葉で表しているのは、「賄い付き下宿で供される食事」ではないでしょうか。
このような使用法があるかどうか調べてみたところ、発見できませんでした。
しかし、ここでは、外出しないで食事をもらったことを簡潔に表すために、この言葉を使った(作った)のではないかと思います。
ご回答ありがとうございます!
更に素晴らしいページを見つけていただいて感激です。
(他に「中食」もしくは「昼食」が使われているところはないかと
読み返していましたが、既に読み飛ばしていました…苦笑)
両親と暮らしていた行商時代の部分で、
坑夫の昼休憩のことを「昼食時」と書かれていますね。
ということは芙美子は「昼食」と「中食」は区別していたと考えてよさそうですね。
『放浪記』にはこの書き込みのあった箇所以外には「中食」は使われていないようですが、
前の持ち主は、何故ここだけ「中食」が使われているのか気になった、
と考えられますね。
この場面での下宿は、新興女性出版社が入居している三階建の下宿屋なのですが、
芙美子は食堂へ行ったのではなく、
> 外出しないで食事をもらったことを簡潔に表すために、この言葉を使った(作った)
なるほど。
合点しました。
この書き込みの理由が、単なる誤植の疑問か、芙美子の言葉づかいの疑問なのか、
自分では確かめる力が足りなかったので、
非常に参考になりました。ありがとうございました。
URLはダミーで失礼します。
面白そうな話題ですね。是非参加させてください。
どう見ても同じボールペンで書かれた字なら無理がある推察ですけど、
『中』の字を○で囲んだ人と、『?』を書いた人は別人・・・という考えはダメでしょうか(^^;
その本は、すでに数人の手を渡っていて、
○で囲んだ人は、皆さんがおっしゃっているように、「昼食じゃないの?」と思い、思わず○で囲んでしまった。
その後、別の人が、umodeさん同様に○印を不思議に思い、横に『?』と書いてしまった。
う〜ん、無理があるでしょうか。
面白いご回答ありがとうございます!
> どう見ても同じボールペンで書かれた字なら無理がある推察ですけど、
> 『中』の字を○で囲んだ人と、『?』を書いた人は別人・・・という考えはダメでしょうか(^^;
> その本は、すでに数人の手を渡っていて、
> ○で囲んだ人は、皆さんがおっしゃっているように、「昼食じゃないの?」と思い、思わず○で囲んでしまった。
> その後、別の人が、umodeさん同様に○印を不思議に思い、横に『?』と書いてしまった。
> う〜ん、無理があるでしょうか。
まず、ボールペンで書かれた筆跡は、同一人物だとは思います。
(筆圧、線の太さから。こちらも推察ですが)
でもとても面白いお考えだと思います。
私もこの書き込みを見つけてから、書き込みはしませんでしたが、
メモを挟みましたから。
具体的な行為は別物でも同じ理由ですよね。
確かに、この版は今から約30年前に発行されていますから、私の手に渡るまでに
複数名の方に読まれた可能性は高いと思います。
だから、昭和50年代に書き込まれたか、平成に入ってから書き込まれたか、
それだけでも、この書き込みの意図が変わってくるような気がします。
(最近になって読まれたならば、皆さんが指摘されてるように「昼」の誤植と思ってチェックした、
昭和50年代に読まれたならば「中食」という言葉は知っていたがその前に「昼食」と記述があったので
その違いが気になってチェックした。。。など)
ちなみに、現在本屋で売られている、昭和54年発行の改版では
該当の部分は「昼食」となっていました。
時代に合わせて、編集されている方が変えられたのでしょうね。
もし、書き込んだ方が、この改版のものを読まれていたなら
このような書き込みはきっと無かったわけで、
こんなに私を悩ませることは無かったでしょうね。。。(笑
ありがとうございました!
--------
そろそろ締め切りの時間が迫ってまいりましたが、
直前まで回答お待ちしております。
締め切り後、個人的にはてなダイアリーでまとめてみたいと思っていますので、
興味のある方は是非ご意見を残していただければ幸いです。
(URLは文面とぜんぜん関係のないものです。)
ぱっと思い浮かんだだけなのですが、書き込んだ方は「昼食」の「ちゅう」が「中」になっているぞ、おかしいんじゃない??という意味でそう記し付けたのではないでしょうか?
林芙美子が夜店を出したそうです。
ご回答ありがとうございます。
> 「昼食」の「ちゅう」が「中」になっているぞ、おかしいんじゃない??
きっとそうなんでしょうね。
でももっと穿った考えをついしてしまいます。
道玄坂のページ、ありがとうございます。
いつ頃出されたんでしょうね?>夜店
「放浪記」にも出てくる露店のことでしょうか?
ありがとうございました!
http://www.hatena.ne.jp/1108489263
人力検索はてな - 古本屋で手に入れた、林芙美子『放浪記』(新潮文庫、昭和52年8月78刷)に不思議な書き込みがありました。 前の持ち主の意図を一緒に考えてください。 書き込みがあったのは..
「おまえ大食漢だよな」
「あたし小食なの」
の中間の『中?』
腹八分目ってことか?
でも、「大食」も「小食」も、『下宿でもらって』というのとつながらんよな?
下宿の飯がいつもちょっと足りないから、
『中』なのか?でも「おかわり」が言い出せない小心者だったのか?
こんなところではないでしょうか?
面白い回答ありがとうございます!
なるほど〜、面白い発想ですね!
書き込んだ人の造語としてそういう意味に辿り着いた、と。
でも前後からおかしいし「?」なんですね。
それでも通じるかも!?
こういう勘違い(?)を考え始めると、
書き込みの意図への考察が広がりますね。
ありがとうございました。
-------
7日で質問終了かと思っていたのですが、
再質問を設定していたので、質問続けます。
http://www.hatena.ne.jp/1108489263#
人力検索はてな - 古本屋で手に入れた、林芙美子『放浪記』(新潮文庫、昭和52年8月78刷)に不思議な書き込みがありました。 前の持ち主の意図を一緒に考えてください。 書き込みがあったのは..
まともでない回答しか思いつかず、すみません。
「和食」
「洋食」
『中食』?
その日の昼食は、中華料理だったのか?
それも、かなり豪勢な!
だって『舌つづみを打つ』ということは、相当美味しかったということだし。
でも、中華って書かないで、中食?
こうも解釈できます。
続けての面白い回答ありがとうございます!
先の回答よりも今回の方が好きですね(笑
「和洋中どれにする?」とか言いますしね。
辻褄も合うと思います。
ううむ。自分の中でも広がってきました。
ありがとうございました!
http://d.hatena.ne.jp/Waldstimme/
Waldstimme
「中食」の解釈については、いろいろな方が述べられているのでそれには触れません。「中」にだけ「?」が書かれているのは、前の持ち主がその言葉の使い方を不思議に思ったということは間違いないところですが、こういった一文字だけに「?」を入れることは、編集者がゲラ刷りを著者校正にまわす際によくやることですね。その持ち主が編集者である可能性は少ないでしょうが(編集者ならば引き出し線の先に「?」を付けるのが普通ですから。
ご回答ありがとうございます!
新しい人物像が浮かんでまいりました。
> その持ち主が編集者である可能性は少ないでしょうが
とのことですが、
私の手元の「放浪記」は昭和52年に刷られたものです。
現在書店で並んでいる「放浪記」は昭和54年に発行された新版の改版で、
11で私が書きました様に、該当の「中食」は「昼食」と変更されています。
もしかすると、この書き込みをしたのが新版(の改版かも)を編集された方で、
「この『中食』は時代に合わない」とチェックを入れ、
それが新版に反映された・・・
のかもしれませんね!
編集者さんの校正の記述法とは異なるようですが、
編集者の卵(もしくは編集に携わりたいと希望していた頃)が
この本を手に取っていたのかもしれません。
新潮文庫「放浪記」の歴史的な一冊だったのかも。。。
今まで全く考え付かなかった方向でした。
ありがとうございました!
単に中食知らなかっただけといいたいとこだけど、知ってて付けた可能性も
以下胡散臭い薬中の妄想なのでと前置きして
その時代に中食って言葉は今ほど使われてたか難しい。間食的食事を中食と使ってる本を読んだ記憶がぼんやりとな。あてにせんでね。よってポイントいらない
ご回答ありがとうございます。
> 知ってて付けた可能性
どういう意図で付けられたんでしょうかね?
その場合は、知っているのに「?」を付けた意味に興味を持ちます。
> その時代
とは、『放浪記』が書かれた時代でしょうか?
それとも、前の持ち主が読まれたときのことでしょうか?
『放浪記』の時代だと、先に指摘された方もいらっしゃいますが、
「間食的食事」(昼食)として使われていた様ですね。
前の持ち主(書き込み主)が読まれたのが昭和の時代だと、
今のような意味での「中食」は一般的ではなかったはずですから、
もし書き込み主が「間接的食事」として「中食」を知っていたならば、
どうして「?」が・・・?
まだ気になるんですよね。。。
ご回答ありがとうございました。お体をお大事に。
http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/
望星(ぼうせい)
リンクは月刊望星(東海教育研)のウェブサイト
マル中は誤植の可能性を指摘したのでは? 中食は昼食ではないか、と。
林芙美子については最近では、望星で連載されている太田治子氏の「石の花--林芙美子の真実」が興味深かったです。
石の花--林芙美子の真実(1)/太田治子 (オオタ ハルコ) /望星/東海教育研究所/35(10) (通号 421) [2004.10]96〜105
石の花--林芙美子の真実(2)/太田治子/望星/東海教育研究所/35(11) (通号 423) [2004.11]/100〜107
石の花--林芙美子の真実(3)/太田治子/望星/東海教育研究所/35(12) (通号 424) [2004.12] 96〜104
石の花--林芙美子の真実(4)/太田治子/望星/東海教育研究所/36(1) (通号 425) [2005.1]90〜98
石の花--林芙美子の真実(5)/太田治子/望星/東海教育研究所/36(2) (通号 426) [2005.2]98〜106
石の花--林芙美子の真実(6)/太田治子/望星/東海教育研究所/36(3) (通号 427) [2005.3]88〜96
「放浪記」の雑誌書評としては以下のものがあります。
林芙美子「放浪記」の世界/原田美紀子/日本文芸学/日本文芸学会 / 日本文芸学会 〔編〕 (通号 31) [1994.12]p111〜121
『放浪記』 (特集=林芙美子の世界) -- (作品の世界)/斉藤明美 (サイトウ アケミ) /国文学解釈と鑑賞/至文堂 / 至文堂 〔編〕/63(2) [1998.02]95〜99
劇化された『放浪記』 (特集=林芙美子の世界) -- (林芙美子をめぐって) /今村忠純 (イマムラタダスミ)/国文学解釈と鑑賞/至文堂 / 至文堂 〔編〕/63(2) [1998.02]77〜84
ご回答ありがとうございます。
沢山の記事を挙げてくださってありがとうございます。
いずれも耳にしたことの無い雑誌なので、専門誌のようですね。
また機会があれば読んでみたいと思います。
ありがとうございました。
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全くの私事なのですが、
東京に行く折に、森光子主演『放浪記』を観劇しようと思ったのですが、
当日券も出ない完璧な「完売」だそうです。
残念ですが、恐るべし『放浪記』。
週末には質問を終了させていただきますが、
今しばらくお付き合いくださいませ。
多分校閲の記号ではないでしょうか。
上記のサイトとは使用法が違いますが、○をつけてその横に○=正しい字(今回の場合は昼(?))と書き込んだり、そのまま横線を引っ張って正しい字を書き込んだりするようです。
早速の回答ありがとうございます。
そうですよね。それが一番しっくりと来ますよね。。。
ただ、戦前の著作ですから、今と漢字の使い方が異なっても、それほど違和感が私にはないのです。
他にも一般的には現在使われないと思われる漢字もありますし、
なぜ、その一文字が、ボールペンで書き込むほど気になったのか。。。
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更に回答お待ちしております。
出来れば既出ではないご意見をお聞かせください。