注:「本」がなくなる、という回答は不可。「本」が生き残る未来を仮定すること。端的には【100年残る作品】を問うているのであり、揚足取り的な指摘は無用。なお、文芸書の他、実用書やビジネス書、コミックも可。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4088562097/249-0822379-...
Amazon.co.jp: NANA (1): 本: 矢沢 あい
NANAはずっと読まれそうな気がします。
ハリポタはいかにも残りそうな感じはしますけれども、けれどもですよ、新刊書店で入手できるかどうか。というか、静山社って100年もつんですかね。もたないような気がするんですよね。出版社は有為転変はげしいですし。で、ハリポタはその翻訳の経緯から考えて、青山社が消えたら、それっきり消えてしまいかねない。そこが問題ですね。
そしてマンガですけれども、さてさて。正直、非常に非常に困難であろう、と私は予想しますね。50年前のマンガで、新刊書店で入手できる作品なんてほとんどないですからね。100年は短くありませんよ。100年間ずっと、10冊も20冊もですね、書店の本棚を占拠し続けられるのか、ということですね。古書店でなら手に入る、と。そういうことならふつうにありうる。でも新刊書店でね、いつまでも買えるとなると、これは難題です。「SLUM DUNK」さえ既に怪しくなりつつあるわけですからね。いや、まじめな話。
反則でしょう。ご紹介いただいた商品は2003年発売ですが、原作はもっと古いじゃありませんか。
私が1990年以降と書いたのは、もはや「定番」の出尽くした時代の作品が、果たして100年の命を与えられているのだろうか? という意図を込めてのものです。現代の私たちから見て、手塚治虫より浦沢直樹の方がいいマンガを描くように思えたりするわけですよ。手塚は現代の視点からいえば、絵も話も単純すぎたりして。でも、生き残るのは手塚なんじゃあるまいか。小説だってそうで、必ずしも漱石が素晴らしいとも思えない。現代作家は、やはり日本の小説100年分の進化を背負っている。小説技術も、読ませるストーリーも、まあ、ふつうに考えて現代小説の方が優れている点がある。だから新刊書店で平積みになっているのは現代作家であり、漱石じゃない。でも、漱石はしぶとい。いつまでも生き残っていくわけ。
つまり、後代まで残る作品というのは、今、一番売れている作品ではない。別の何かが関係しているはずなんです。そのあたりをね、探りたいんですね。そのヒントがほしいんです。
すみません、ISBNのことが良くわからなかったので、文で紹介します。
私的には「チーズはどこへ消えた」が残りそうな気がします。今後、世界は著しい変化の道を歩んでいく事でしょう。その過程でうまくいきていくには対応していくしかないのですから、まだ変化がおきていることにきずいてない人にとっては、まさに手放せなくなる良書になることでしょう。
う〜ん、なるほど。なるほどねえ。ビジネス書の名作は、けっこう長生きしますからね。ただ、既に「過去の本」となりつつあるような気がするのは私だけでしょうか。
「理科系の作文技術」は90年以降の本じゃないからダメなんですけど、この本は、100年残る可能性があると思っています。「バカの壁」は微妙。案外、使い捨てかも知らん。「大往生」はいいんじゃないかと思っていましたが、既にそこらの書店から消えていますね。難しいものです。
ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』
日本では1999年、アメリカでは1992年の出版です。現在の「トラウマ・ムーブメント」の理論的な中心ともなった本であり、現在の「トラウマ・ブーム」はこの本を抜かしては考えられません。また、URLのAmazonのレビューを見てもわかるように毀誉褒貶の激しい本でもあり、歴史的な価値と共に今後長く論争の的となっていくような本だと思います。
岩明均『寄生獣』
日本の小説だと90年代以降では阿部和重、舞城王太郎あたりが好きですが、100年残るとなると疑問もあります。漫画の将来がどうなるかはわかりませんが、もし今のような漫画文化が続いていくなら、哲学的な深さも持ち、100年後も当然問題となっているであろう環境問題についても考えさせられる『寄生獣』あたりが残っていくような気がします(『心的外傷と回復』ほど自信はないです)
いいところを突いてきましたね。科学的知見は90年代にもエポックメーキングなテーマがいくつもありましたので、それらの知見が全否定されるようなことがない限り、時代のパイオニアとして最初の本が生き残っていくことは容易に想像できます。で、「心的外傷と回復」ですけれども、毀誉褒貶かまびすしい中、新たなる定番が登場すると忘れ去られてしまう危険がある。いつまでもこの学問が現状程度の位置をうろうろし続けるなら生き延びるでしょうが、さてどうなりますことやら。
そして「寄生獣」ですけれども、オンデマンド出版の類もOKとするならですね、まあ生き残るかもしれない。でも漱石の「こころ」のように書棚に並び続けるかというと、これはかなり可能性低いといわざるを得ないのではないか。専門書店が大切に扱い続ける性質の本でもないと思うので、厳しいでしょうね。文庫版が何年頑張ってくれるかが問題。
個人的にアレレと思っているのが「ぼくたま」で、文庫版発売後、次第にフェードアウト。いつの間にか地方の書店では注文しないと買えない本になってしまいました。私が中年になるくらいまでは書棚に並び続けると思ったのになあ。
永続性という点で考えると確かに漫画は厳しいかもしれませんね。
それに小説家も殆ど残らないかもしれないと思います。
ただ、その中でも普遍性のある一握りは残るのだと思ってます。
というわけであえて漫画をいくつか選んでみました。
西原理恵子の「毎日かあさん」
現在子育て中の母の視点とアナーキーな彼女本来の資質が融合した傑作だと思います。
そして同じく西原理恵子の「ぼくんち」。
言葉で説明するのが難しいです。未読ならばぜひ読んでください。
それから漫画だけでは片手落ちかと思うので小説を。
というか小説家では筒井康隆は絶対何らかの形で残ると思ってます。昭和から平成までの日本の小説世界での第一人者でしょう。初期だけが傑作ではなく、今もなお瞠目すべき作品を生み出し続けている方だと思います。
「ぼくんち」は大好きです。映画化された際に1巻ものも発売されましたが、やっぱりフルカラー全3巻のバージョンがいいですね。「毎日かあさん」は「ちくろ幼稚園」と読み比べるとまた楽しい。
筒井先生は、たしかに残ると思う。というか残ってほしい。第2期筒井康隆全集が発刊されるのはいつのことかわかりませんけれども、出たら買うつもり。
現在入手できる100年前の作品を考えると、やはりその時代を代表するような作家の作品ということになるのではないかと思います。その意味で村上春樹は残るのではないでしょうか。(評価は別にして)
本当は『ノルウェイの森』をあげたかったのですが、90年以降の作品ということで「ねじまき鳥」をあげておきます。
90年代以降の15年間、日本の文化は空白地帯だったのか否か。
少なくとも村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」を書いたぞ、と。
外国の作家ではクッツェーかなと思います。ノーベル賞を取っているというのもありますが、やはり読み応えがないと、長く残っていかない気がします。
日本の作家では村上春樹なんかだと当たり前すぎるので、最近読んで面白かった伊坂幸太郎はどうだろうと思います。これから順調に成長していけば、20年後ぐらいには大作家になっているのでは?と思います。
うーん、一応、日本国内の書店で残るかどうかということで。クッツェーは残るのかな。あっさり絶版とかないよね、って思いたいけれど、さてどうかな。何度絶版になっても不死鳥のように蘇る、というパターンを辿りそう。
なるほどね、伊坂幸太郎が順調に成長していくと、初期の名作として末永く残るんじゃないかと、そういうことですよね。現時点で若い作家は、その点、数十年分は得しますよね。で、「重力ピエロ」なのですが、ううむ、新潮社ってのもわりとこう、絶版をやってくれちゃう会社ですからねえ……。ま、他の出版社が拾うかもしれないし、ありえないとは申しません。
個人的な感覚からすると奇書系の方が残りそうな気がします。「いい本」は時代と共に変化しますが、奇書は永遠に奇書のままですから。普通の本から奇書に変化する場合もあるかもしれませんが、他の書物では代用できないという意味で残る可能性が一番高いのではないでしょうか。
舞城王太郎は現時点では無理かもしれませんが、何年後かに常人では理解不能な逝ってしまった作品を発表できれば、100年後には残ると思います。
京極夏彦作品も奇書というか、歴史書みたいなそんな感じで残りそう。キャラ設定は別として、京極堂の考え方になんじゃこりゃみたいな感じで。
あとはSFかな。時代を超えて理解されそうだし。もう2001年は過ぎているのに、『2001年宇宙の旅』が読まれているくらいですから。上記は最近読んで難関だった一冊。
基本的に純文学と恋愛小説(漫画含む)は残らないと考えていいと思います。あるとしたら的確に時代を映して、なおかつ+αがある作品。最低でも夏目漱石を超える作品が出ない限りは残ることはありえないでしょう。
恋愛はいうまでもなく、時代によって一番価値観が変化するものの一つですから。変わらない部分もありますけど、それは22世紀の作品で事足りると思います。
本の例えが上手くないかも。すいません。
京極夏彦の場合、どの作品が残るかが問題。全部が残ることはありえないですね。尾崎紅葉クラスになると、90年代になってから全集が刊行されたりもしているわけですが、現代作家が100年後に全集を出してもらえるかというと、それは無理でしょう。京極先生もたくさん書いてしまいましたからね。でも1冊、2冊残るか、といえば、残るような気はします。で、それが「絡新婦の理」なのかどうか。うーん、どうなんでしょうか、正直。たしかにシリーズ最高傑作ともいわれますが、残るとすれば「姑獲鳥の夏」や「魍魎の匣」など初期作品ではなかろうか、という気がするのです。違うかなあ。
舞城王太郎が果たして残るだろうか。残るかもしれないのですが、舞城先生の作家寿命次第という感じもします。「阿修羅ガール」はどうでしょう。これって、読者に前提知識を多く要求しすぎる作品じゃないでしょうか。廃れちゃうんじゃないかなあ。奈津川サーガの方が、その点は有利かと。
飛 浩隆 先生のことは存じ上げませんでした。ううむ、いろいろあるなあ。
マンガに私が辛いのは、出版社が実際に絶版をやらかしまくっていて、読者が古い作品をちゃんと買っていない現状があるから。最終巻が90年代の「AKIRA」は例外として生き残るのではないかと思っていますけれども、他に何が残るか。「DORAGON BALL」だって巻数が多過ぎて、無理ちゃうのか、と。マンガは構造的に厳しい。内容は本当に素晴らしい作品がたくさんあるのですが、雑誌連載がドンドンのびて超大長編になっていくところに悲劇がある。「デビルマン」がいいのは、全5巻でおさまっていることですよ。あれが全10巻だったら、本当に厳しい。「寄生獣」が難しいのはそこです。「SLUM DUNK」はド傑作ですが、20巻を越えている。100年もつとは思えないんですよね。
100年後にも「国語」の授業があり、文学史年表が教科書の巻末(あるいは資料集の中)についているのなら、村上春樹・村上龍の両氏について年表中に必ずなんらかの記載があると考えられます。
文学史年表に載るような作家の主要作品なら、当然新刊書店で扱うでしょう。という理由で龍氏の主要作品として将来文庫でしぶとく残りそうな気がする「半島を出よ」を挙げます。
(春樹氏の方は「ノルウェイの森」あたりが残りそうな気がするのですが、これは80年代でしたよね、たしか。)
村上龍先生の90年代以降の傑作といえば従来「五分後の世界」とされてきたわけですが、「半島を出よ」売れてますね。評価も、今のところはいい。ただですね、問題はこの長さ。大長編がしぶとく残るのはきついですよ。文庫にしたら3巻組とかになってしまいそう。まあ村上龍先生は残るでしょう。残るとして、どの作品が残るか。「半島を出よ」はありえる話ですけれども、どちらかといえば「五分後の世界」の方が確実じゃないかと。
100年後の人がいかなるカタチで「ゲーム」をやってるかはともかく、人が「何か」の助けを借りて楽に楽しみたいと思っている限り、攻略「本」は無くならないのではないかと考えました。
ならば「FFⅦ」というのをひとまず上げてみました。このゲーム自体がもしかしたら「古典」になりうるのではないかと思いましたので。
いやー、うん、まあ、えーと。
ゲームについて、今ひとつわかっていることは、実写を取り込み人間の俳優を使うようにならない限り、ゲームはハードの進化に伴って何回も作り直されるということです。最近は声優が声を当てているそうですが、声優の個性が作品の内容と不可分になっていない限り、取替えがきいてしまう。とすると、古い映画がそのまま愛され続けるようにはいかないわけです。
ゲームが作り直されると、攻略本も作り直されます。「ファイナルファンタジーVII解体真書」が100年後まで生き残ることはありえないですね。
(3) トランスクリティーク -カントとマルクス- (定本 柄谷行人集)
①この本のあとがきで、著者は、この本は若い頃から40年かかって考えてきたことの総決算だといっている。そういう思考のスパンの本だからこそ、22世紀まで生き延びるのでは?さらに、最近では、資本と国家の120年周期説まで唱え始めており、思考のスパンはどんどん長くなっています。
②この本は、永遠の反抗する青年像を描いた本を、過去半世紀にわたって第一級の作家だった人が訳したということで、なにかしらの形で残っていくのでは、断続的に復刊されたりするのでは、と思います。谷崎の源氏物語訳などが残るように!?
「定本柄谷行人集3」ですが、岩波だから、可能性としてはあるでしょう。しかしですね、この本が本当に残るかな。だいたい全集とか選集ってのは寿命が短いんですよ。単巻作品の方が残る。それはなぜかというと、ひとつの論のまとまりは生き残るけれど、いくつかの論の「編集」はあまり評価されないからです。「定本柄谷行人集3」の編集・構成が特別に優れたものでない限り、この本が生き残る可能性は高くないですね。あとは岩波の力次第ですが、100年は楽じゃない。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」これはありうる。原作が永遠の命を与えられているので、問題は村上春樹の翻訳の寿命。うーん、日本語が100年間でぐちゃぐちゃに変化しない限りは大丈夫じゃないかなあ。
この時代の風俗をあらわすものとして残ったりしないですかね、蹴りたい背中。
文庫になったり、文庫夏の100冊とかに出たり、ちまちまと…残らないかなあ…。
同様の理由で、金持ち父さん貧乏父さんも、この版型ではなくても残っていくような気がします。一瞬消えても、30年たったら甦ったりして、どうでしょう。
養老 孟司さんの本も何らかの形で残るのではないでしょうか。でもどっちかというとコレより唯脳論のほうが残りそうだなあ…。1989年出版か…。
1990年っていう縛りは思った以上に難しいことがわかりました。
講談社文芸文庫や講談社学術文庫のような商品展開がありますので、綿矢先生の実力次第では先生の代表作として末永く残る可能性がないとはいえません。ただこういうのはホント、売れ続けないとダメですね。どうなんでしょうか、そのあたり。「世界の中心で愛を叫ぶ」も、あれだけ売れたんだからいつまでも新刊で手に入るかというと、それはなかなかどうして。売れ続けるっていうのは、けっこう難しいことだと思います。
村上春樹と村上龍は何か残すとして、宮部みゆきはどうか。微妙じゃないか。大沢在昌は? これは無理でしょうな。「大極宮」トリオの内、何か残しそうなのは京極夏彦だけではないか、と私は思う。西村京太郎は全滅でしょう。内田康夫もアウトでしょう。赤川次郎……ありえないと斬って捨てることもできないけれど、じゃあ何が残るのか、というあたり。やっぱダメかも。
養老先生の著書が全部消えることはないとして、残るのは「唯脳論」か「バカの壁」か。両方残ればいいのですが、そうもいかないだろう。「バカの壁」……う〜ん。
「金持ち父さん貧乏父さん」は、たしかに何度か復活しそうな感じではあります。ただ、内容の抽象度が低い。現世の状況に乗っかっている箇所が案外多い。「チーズはどこへ消えた?」あたりと比較して、不安は大きいですね。
「ダヴィンチ・コード」
出るかなーと思いつつ誰も出していなかったようなので。
宗教は100年なんて楽勝で乗り切るでしょう。
そう考えると、論争を巻き起こした書ってことで古典文学的扱いで残る気がします。
あ~でも、どうですかねぇ、もっと宗教論争に発展しそうな本が登場しいたら廃れて行くかもしれませんね。
「ちびまるこちゃん」
BK1では出ませんでしたが、初出は1990年です。
マンガは巻数が多いから不利と見られているみたいですが、文庫版だったり永久保存版だったりが出ているのを見ると巻数の課題さえクリアすれば根強く残る気がします。
とりあえず、ドラえもんみたに途中で切ってもエピソード別に編集してもよさげなのであげてみました。
「ダヴィンチ・コード」が起こした「論争」は庶民レベルのもので、学術的にはとくに……。なので、「薔薇の名前」に比べると弱いのでは。でも100年残る可能性はあります。
「ちびまる子ちゃん」はたしかに、巻数の問題をクリアして生き残る可能性がありますね。「よりぬきサザエさん」のような感じで。
http://www.bk1.co.jp/product/1350017
http://www.bk1.co.jp/product/1350018
http://www.bk1.co.jp/product/1352779
勾玉三部作は古代日本を舞台にしたファンタジーなのに、共感をもてる主人公がいるし、日本のファンタジー作品にこれほど良いものはないから残りそう。
http://www.bk1.co.jp/product/2034589
ダレンシャンシリーズは涙あり、恋あり、笑いあり、勇気あり…いつまでも変わらずある考えがテーマなので残りそう。
あと、既出のハリー・ポッターにも一票です。
ありがとうございます。
スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法 (ハヤカワ文庫NF)
意外とこの「スローライフでいこう」あたりが残るのではないでしょうか?人知れず売れ筋の書籍で、内容もなかなか良いです。後半部分はちょっと宗教的な感じの事が書かれてあるので、好き嫌いが分かれるとは思いますが、全体的に見て、良い本です。今後、さまざまな物事がスピード化すると思いますが、必ず現状の逆の発想に関した事を人間は求めると思うので、今後も長く読まれ続けると思います
ありがとうございます。
う〜ん、どうでしょうか。
正直、マンガは厳しいと思ってます、私は。だって巻数が多いでしょ。書店に嫌われるんですよね。手塚治虫の作品でさえ、新刊書店で買えるのは非常に限られていますよ。「NANA」が100年残るかなあ。