↓(あなたのイメージに近い番号を選んでください)
1.アナログ派=時計のように、ギリシャ数字が並んでいる。
2.デジタル派=0123456789の組合せが変化する。
3.年・月・日・時・分・秒、が整然と分別されている。
4.過去や未来、それぞれの無限大などが存在する。
5.左から右に向って、直線状(曲線状)に並んでいる。
6.前から後に向って、十進法や60進法のような法則がある。
↓(どちらが長いと感じますか)
7.過去の一年間>未来の一年間
8.過去の一年間=未来の一年間
9.過去の一年間<未来の一年間
(URLは、なるべく画像を。〆切は72時間後です)
わたしの“脳内風景”は、数年間の日付がカレンダーのように並び、
歴史年号も電話コード状のランダム・コイルでイメージしています。
http://www.hatena.ne.jp/1085083249
↑(過去はてな=数の風景)
あなたのイメージに近い番号を選んでください=(1)
時といったら、アナログ。デジタルだと、脳内はコンピューター関連のことになってしまう。
アナログの時計はゆがみ、まわりは暗黒で、地面も空もない。ありきたりな脳内風景。
(どちらが長いと感じますか)=(9)
終わったものはあまり長く感じない。もう終わったことだから。
これからのことはとても長く感じる。何があるかわからない。
どうも「時」「風景」でこんな情景を連想してしまうんですが
アナログ時計のイメージは絶対ありますね
実際の時間は繰り返さずに遠ざかっていくものですが・・・
あと過去の1年は常に短く来る1年は長くあれと感じます。
そして毎年どんどん1年を短く感じるようになりますね
1年の感覚というのは今まで過ごしてきた時間のうちの1年という割合で感じるものなので
>実際の時間は繰り返さずに遠ざかっていく<
重要な視点ですね。ダリの作品は、今後もカブるでしょうね。
下記の引用は、やや理論的な説明をこころみています。
── 心理的な時間は、年をとるにつれて短くなり(時間が速く進む)、
年齢の逆数(たとえば5の逆数は1/5)に比例する(P176-177)。
── 織田 一朗《時計の針はなぜ右回りなのか 19941025 草思社》
1〜3はどれも当てはまらないですね。
自分の時の風景には単位は出てこないです。
ドラえもんのタイムマシンの背景のような空間
(ただし、時計図形はなく、また色もついてないです)の中を
波打ちながら無限に貫いている一本のチューブのようなイメージです。
過去も未来も一年の「長さ」は同じですが、
より沢山の可能性を持っているということで
未来の一年間の方が「広い」イメージがあります。
>「長さ」は同じですが「広い」イメージ<
arsyu さんのイメージは、地動説のように、みずから移動していて、
スピード感がありますね。下記に選んでおきましょう。
── 藤子 不二雄=藤本 弘&安孫子 素雄《ドラえもん 1969 小学館》
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-ring/tokei/gazou/doratimef....
(時計を描いた絵画の代表作・その2)
うーーーん。1〜6は、どれでもないっていう感じ。
脳内風景としては、時の断片が紙吹雪みたいに
ランダムに舞っているイメージです。
ただそのひとつひとつにインデックスが付いていますから、
「過去一年」とか「過去一年の中の週末」とか、
「生まれて今までに見た夕方」とか「真夏の太陽」とか、
自在なキーワードでいつでも検索できる。
そんな感じです。
長いと感じるのは、
9.過去の一年間<未来の一年間
既に定型データとして記憶されている過去よりも、
期待感という冗長な可変長データを含む未来が
圧倒的に長く感じられます。
URLは、なんか初日の出っぽい画像です。
来年も、すてきな「時」が巡りますように(^-^)
>時の断片が紙吹雪みたいに舞っているイメージ<
>そのひとつひとつにインデックスが付いている<
>自在なキーワードでいつでも検索できる<
TomCat さんの多彩な行動力は、たぶんつぎの能力によって合成され、
敏捷な判断を生みだしているようです。このテーマは、わたしの小学校
時代の恩師について、ぜひ伝えたいエピソードに由来しています。
EQ(情動知能)Emotional Intelligence Quotient
IQ(知能指数)Intelligence Quotient
SI(社会知能)Social Intelligence
ただし今回の設問では、もうすこし初期の段階として、空間認識とか
記号認識が、現代人の高度な知的能力に、どれくらい影響しているか、
理論家と実務家のちがいは、どこにあるか、というレベルでしょうか。
URLの時計の方の画像かな〜。
基本的にアナログ(1)なんですけど、
無秩序に並んでいる感じで、過去・未来のそれぞれの∞があって(4)、
過去の一年間=未来の一年間、どっちも差がない、経験する順番だけって感じ。
第2画面がズバリ、わたしの脳内風景(タイプ2)です! わたしの
イメージは、糸がほぐれた蹴鞠のように、もっと大きいのですが……。
ワープロ時代から(何度も描きはじめて)完成できなかった画像です。
── 《ようこそ無神蝶の国へ!》
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/7837/clockRoom.html
(時計を描いた絵画の代表作・その3)
http://images.google.com/imgres?imgurl=http://www.tobunken.g...
Google Image Result for http://www.tobunken.go.jp/sympo02/img/t_kohan.jpg
6番です。その流れ方のイメージはとてもシンプルなものと捉えています。URLは直接質問の回答を内容にしたものではなく、画像が一番イメージに近いと思ったものです。
このようなイメージからすると、8番となりそうなんですが、あくまで「感じる」レベルからすると9番ですね。過去の時間は自分の過ごしてきた印象的な出来事と関連して感じており、それらは過去となっては全体的に一瞬で把握できてしまうのに対し、未来の時間は刻一刻と向かってくる瞬間瞬間の連続としか感じられないので。
matiki さんの着眼点は、とてもユニークですね。
いちばん奥の一枚だけ陰画になっているところが、Webならではの
工夫みたいですね。
静止画の連続は映画フィルムの原理で、むしろデジタル系ですね。
(絵巻物よりも、劇画が主流になったように)
過去を一瞬で把握できるのは、記憶の原理でしょうか。
── 黒田 清輝《湖畔 1897》
http://www.tobunken.go.jp/sympo02/img/t_kohan.jpg
(時計を描いた絵画の代表作・その4)→(時間を描いたWeb参考例)
僕の感覚としては、1, 4, 5, 6, 8でしょうか。
それぞれの無限大が存在し、後ろから前に向かってずーーーーーーっと道が続いていくイメージです。時刻を表す数字はなく、ひたすらの連続量です。
>数字はなく、無限大が存在し、後ろから前に向かって<
ring_ring さんのイメージには、先史時代や超未来もあるはずですが、
それぞれ現在の前後に、おなじ連続量として存在するのでしょうか。
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20020911/
国際共同研究事業における成果について
イメージでいうと、量子時空間なのですが、適当なURLがなくって。上記の図
でいうと、4次元時空(図では3次元座標であらわされてますが)の中で、自分の存在のところで、場の波がぐっと上昇している感じ。
すなわち、時間にも量子的時間があるということでいえば、<3>ですか。秒よりもっともっと小さな時間量子が整然と分別されている。
そして、その時間量子は無限大に広がっていて(しかし閉じているのですが)、実際には過去・未来の区別はない、という意味で<4>に近い。
すべての時間単位は平等で、われわれが実感できるのは<現在>だけ、という意味で過去の一年間=未来の一年間なので、<8>、
3、4、8ですね。
So-Shiro さんは、とてもIQが高くて、長文思考が得意なんですね。
理数科にヨワイわたしが要約すると、つぎのようになるのです。
「現在は、過去と未来に押しあげられた“白波”のような時間である」
a.自然界には三つの時間があり、それぞれの質と量は異なる。
b.三つの時間帯は、過去:現在:未来=1:2:1、の比で存在する。
c.過去と未来は同じような性質で、現在を持ちあげ、強調している。
http://www.iiib.com/NO/001/NO001001ss.html
スライド・ショー(ノルウェー編) -- インターネット国際情報銀行
1つ目:あえて言うなら4。
2つ目:9。
lainnote さんのイメージする「過去の一年間<未来の一年間」とか、
「沈まぬ太陽」は、TomCat さんの「今までに見た夕方」と似ています
が、ほんとうは微妙にちがうのでしょうね。
(なかなかイメージどおりは難しい(^^;)
イメージは、強いて選ぶなら
4.過去や未来、それぞれの無限大などが存在する。 です。
ただ、数字ではなく本当に風景です。
【自分にとっての時間イメージ】
はっきりしたものではなく、なんとなく白っぽく明るくて、緩やかに登り坂(もしくは階段)です。
遠くは見えなくて、未来を思うときは近い視点のまま、どこまでもたどって先へ行きます。
過去を振り返ると…下り坂は見えません。ぼやけてあいまいで、道ではなく、どこまでもぼやーっと広がる感覚。
【自分を含む、大集団にとってのイメージ】
これも景色っぽい。ただ、視点は高いところからで、古い時代から未来へ大河のように無限に広がる。
>↓(どちらが長いと感じますか)
7.過去の一年間>未来の一年間 に近い
tomo031208015 さんは、はてなアパート忘年会から新年会にかけての、
居残り経験者ですね。やはり「過去の一日>未来の一日」でしたか?
とても幻想的な風景的イメージなので、ぜひ大切にしてください。
全体的な「時」のイメージとしては5が一番近いでしょうか。よくある歴史とかの年表のような感じです。帯状で一直線です。
また長さについては、未来のほうが長く感じますので9ですね。
全体の時間の流れに関してはそういう感じですが、自分の中で流れた時間についてはまた別の風景があります。えーと、上手に説明が伝わるか分かりませんが、上記映画に出てくる「ハイパーキューブ(超立方体)」みたいな感じ?です。超立方体…というか、まさしく映画「CUBE2」に出てくるあの場所みたいな。縦横に繋がった箱がいっぱいあって、それはあらゆるところに繋がっていて、ある法則に基づいて並んだり移動したり…みたいな感じです。あまりこういう図形とか詳しくないのですが、映画を見て以来、そういう風に思っています。
>歴史とかの年表のような感じです。帯状で一直線<
わたしの脳内風景(タイプ1)もおなじです!
超立方体(Hyper Cube)については、つぎの図形を連想しました。
四角形の中に内接する四角形が、順々に回転して小さくなる(↓)。
── Haxley, Aldous《Young Archimedes 〜 Little Mexican,1924》
── 瀬尾 裕・訳《天才児/世界短編文学全集 19630520 集英社》01-P369,379
URLはダミーです。
4番ですね。
→特に将来については、ビッグウエーブに乗りまくり、ナイスウインドでウインドしま来る。こういう感じの妄想、というか希望で無限大に広がってます。
9番です。
確かに、1年間の長さは短く感じるようになりましたが、この歳にして夢が多く、あれこれしたいと考えていると、想像する1年はかなり長くなります。
sami624 さんの“波乗り”は、新しい波がやってきて、これに乗ると
高くもちあげられて、つぎに古い波に乗って降りてくる、というような
体感イメージなのでしょうか?
そうだとすると、So-Shiro さん(8.回答)からヒントを得たように、
「現在は、過去と未来に押しあげられた“白波”」となりませんか?
つまり、乗った人にしか分らない快感かと、想像しているのですが。
1.アナログ派 です。
私の中ではサルバドール・ダリのイメージが強いですね。
url欄に示したように、幾つもの時間軸の時計が、グニャグニャとあちこちに漂っているような気がします。
過去と未来の関係は、
9.未来の方が長く感じる です。
マラソンにたとえると、「今までの事・何キロ走ってきたか」よりも
「これからの事・後何キロ残っているか」が気になってしまうからです。
Corgi さんの画像は、メガネが熱で溶けたようなイメージですね。
複数の時間軸があって、マラソンの始点と終点の間に、現在の自分が
走っているという表現は、とても説得力があります。
URLは俺の日記です。
俺は思うに「2」と、「4」と、「9」です。
なぜ最後が9かというと、過去はすでに体験してしまった物なので他だ一つに決まってしまっていると思います。でも、未来は自分が考えたことや、行動によってさまざまに分岐していると思います。
nagaki さんのギター(6弦4度)も、わたしのチェロ(4弦5度)
も(通常の奏法では)左手で弦を押さえてから、右手ではじくか、弓で
こすります。つまり、左手が過去を、右手が未来を担当するのです。
こうして演奏者の頭の中では、左手を先に準備しながら、右手で結論
を出しているのではないでしょうか。ところが、右手の作業中に左手を
ふるわせるヴィブラートとか、グリッサンド奏法もあるんですね。
しばしば音楽は時間の芸術だと云われますが、単に聴いている時間の
問題ではなく、作曲者や演奏者の“脳内風景”を想像すると、ますます
謎が深まります。
http://www.hatena.ne.jp/1085083249
人力検索はてな - あなたは“数の風景”を、どのように描いていますか。 0.デジタル派=0123456789の組合せが変化する。 1.アナログ派=頭の中で、順序よく数字が並んで..
私は3番です。
昔、鉛筆で0〜9までの数字を書いて、消して…という単純な作業のgifを利用したカレンダーのflashを見たことがあります。すっと画面を見つめていくと、すさまじい速さで変わっていく秒の積み重ねが分に変わるのだと改めて実感した気がします。
それから、時間の感覚は、9番でありたいと思います。
だって、もう終わってしまった事よりも、これから先の未来に想いを馳せている方が楽しそうじゃないですか?(ニコニコ)
nazo-_-nazo さんの“ネネコ”という愛称はとても素敵ですね。
(漢字で、子々子と書くこともできます)
>3.年・月・日・時・分・秒、が整然と分別されている<
あなたは「秒が分に変わる瞬間」をイメージできるんですね!
>終わった事よりも、これから先の未来に想いを馳せて<
老人にとっては、過去の記憶こそ、かけがえのない財産となるのです。
1,4,9です。
具体的には、大きい1本のDNA鎖のような螺旋構造の中に、小さい何組かの構成単位がまたフラクタル状に組み合わされているイメージです。年、月、日…のように細かい(そして繰り返される)単位が、繰り返して現れるように。
ダリ《記憶の固執 〜 柔らかい時計 〜 1931》が天才であるとしても、
どうして他の画家は“時間や時計”の心象風景を描かないのでしょうか。
あるいは絵画の手法が、時間の概念には適応できないのでしょうか?
ここまでは哲学的な画像ばかりでしたが、はじめて商品カタログが、
登場しましたね。あるいは“世界一小さな道具箱”をつくる時計職人は、
哲学者よりも時間について考えた人々なのでしょう。
http://www.screensaver.co3.jp/pages/menu24-0.html
スクリーンセーバー博物館 カメラ・時計・写真のスクリーンセーバー
3.年・月・日・時・分・秒、が整然と分別されている。
です。刻々と・・
8ヶ月前の“数の風景”にくらべて“時の風景”は、それほど多様な
イメージがなさそうです。あるいは、もっと独創的なイメージをもつ人
の目にとまらなかったのかもしれません。
回答者のみなさんには、貴重なご意見や感想をいただき、とても参考
になりました。いずれまた、あらたな趣向の質問としてお目にかかり、
おたがいの“脳内風景”について語りあいましょう。
>時計はゆがみ、まわりは暗黒で、地面も空もない<
かならずしも“ありきたりな脳内風景”ではなさそうですが……。
下記の情景も、時計が歪んでいますが、もっとシンプルなんですか?
サルヴァドール・ダリ《記憶の固執 〜 柔らかい時計 〜 1931》
http://www.salvastyle.com/menu_20th/dali_memoire.html
(時計を描いた絵画の代表作・その1)
>何があるかわからない<
既知の記憶と、未知のちがいでしょうか。
それぞれの長さは、どれくらいの比率に感じられるのでしょうか。